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シューマンの指

奥泉光「シューマンの指」を読みました。

家族が読んでない時に自分が代わりに読む、

自分が読んでない時に家族が代わりに読む・・・というように

本を取り合いしながら全部読んでしまった、

それくらい面白かった、というのが僕だけでなく、我が家の感想です。



図式化された鍵盤に、やけにリアルな血の跡つきって

ことでギョッとさせる装丁が生きていましたね。



SCH.jpgシューマンの音楽をものすごく効果的に使ったと

評判の小説がある、ということで取り寄せ、読み始めた本なんです。











ただ、自分は奥泉さんの名前と作品について知ったのは、この本が最初。



だからこそ、これが世間的に「サスペンス」とジャンルわけされる本だとは

ほぼ知らず、文芸書=文学として読み始めたのがよかったのかもしれません。



実は途中(半分以上過ぎてから)、唐突にある殺人事件が起こり、

それを境に登場人物たちの境遇や性格は表には地味に、

水面下では急速に激変していくのでした。



しかし、文章が本当に生きている作品ですね。

この本に僕が引き込まれたのは、

冒頭をかざる、ある手紙のイヤミさです。



なんと達者に、クラシック音楽に精通したスノッブを

気取りたいだけの俗物・大学院生(留学組)

という存在を描写してるんだろう、と思いました。



彼は研究しているジャン・パウルという19世紀の小説家の資料をあさりに

夏のドイツに(遊びがてら)出かけているようです。



「BayreuthではParsifalを聴いた。振ったのはJames Levin、評判はよかったが、僕はあまり感心しなかった(略)そういった話はまた今度の機会に。affrettando!」



バイロイトと書かずに
Bayreuthと書いてしまう辺りに

この人物の俗物ぶりが非常にハナに
ついてくるわけです。

(後にこの、鹿内堅一郎なる人物は、小説のドラマの根幹に絡んできます)



この
鹿内堅一郎の手紙には驚くべきことが書かれていました。



シューマンのピアノ協奏曲を「僕らの永峰修人」が弾いた、と。



しかし、
永峰修人は過去に指を切断していました。



「僕は思いきって指の怪我のことを聴いてみた(略)

『指を切断しちゃったけど、ちょっとした方法で再生させたんだよ』と

彼はいったんだ! 冗談めかした感じでね」



・・・・・・という衝撃的なフレーズと共に、

われわれはこの小説の悪夢の世界に巻き込まれていくのです。



悪夢と書きましたが、シューマンはご存じのように精神のバランスを失って

しまいました。

さらに彼が生きたロマン派という時代の文学や、芸術自体が

非常に華麗な名人芸をベースにしながら、その中枢には

ドロドロとしてグロテスクで、悪夢のようなものを抱え込んでいた、

といえるかもしれません。



この作品は1970年代後半の日本を舞台にしながら、

そうした、19世紀中盤のドイツ的な何かを

色濃く感じさせる仕上がりになっています。



80年代半ば、いまや25歳になった「私」は鹿内の手紙に衝撃をうけ、

同じ学校に転校してきた、一級下の
永峰修人や

鹿内たちと過ごした濃厚で、耽美的な日々を回想しはじめる・・・



というのがこの小説の基本構造。

この「私」の文章も、この人ならまさに

こういう文体で書くんだろうなぁ・・・と

思わせられるものでした。



この時点の「私」は、ピアニスト志望で

音大に入ったものの、最終的には音楽を棄て、

医学を志し、現在は医師となっているのでした。



彼がそうなってしまった理由とは。

そして彼にそうさせるようになった理由は

・・・
そう、永峰修人にありました。



謎のピアニスト・
永峰修人の人柄については、

彼がピアノを弾く姿を「私」が想像するフレーズで

何よりも雄弁に語られています。



シューマン唯一の「ピアノ協奏曲」を弾く
永峰修人の描写を

すこし引用してみましょう。



「第一楽章冒頭。あの、決然として、きらびやかなピアノの楽句を、
永峰修人は、速いテンポで、金属の青い火花が閃くように弾くだろう。それは鮮烈ではあるけれど、いくぶん冷たい印象を与えるだろう」



クラシック好きの読者ならもう分かるように、シューマンの「ピアノ協奏曲」、その第一楽章の第一主題を、こういう風に弾くピアニストは現実世界には、おそらく誰もいないと思います。

なぜかというと、この主題は、どう考えてもエモーショナルに、嫋々と響かせる意外、できないモノになってるからです。



ピアノから冷たい、澄んだ響きを出すことは出来ても、
永峰修人のように弾くことは音楽の構造上、出来ない。



自分も大学時代に非常に苦心して試みましたが

音楽についてリアルに書くということは不可能です。

それでもあえて書いてみるとして、たとえば・・・

この第一主題は



ドーシーラ・ラー(ここまでゆったり。音が下がってくるイメージ)



とはじまり、とつぜん、堰を切ったかのようにラ! シ! ド!と駈け上ります。



ラシド・ミーレ、ド、シーラー・・・



と続いていくわけですが、またレードーシーラーと下がっていく。



参考→ディヌ・リパッティの演奏。 

問題の第一主題は、動画26秒あたりから。いちおうクールな響きで思いだしてチョイスしました。




しかも、この協奏曲はイ短調で書かれてて、これはクラシック音楽、とくに

ロマン派の時代には非常に「女性的な調」だといわれていました。

また、高い音から低い音にむけて

下がっていくフレーズはため息を表現していると解釈してもいいでしょう。

・・・ですので、
永峰修人のように、この曲の最初の聞かせどころを

そっけなく弾いてしまえる勇気のあるピアニストはいないし、

現実的にどう弾いても嫋々と聞こえてしまうものだと、僕は思います。



でも小説とは、文章とは、リアルに音楽を表現できないものであるからこそ、

こうしたありえないリアルな響きを文によってだけ我々は感じることができる。

のみならず、
永峰修人という人物について、何より詳しく知ることが出来るわけです。



こうした手合いのクラシック音楽の引用については、ただのウンチクと思う人もいるでしょうが、まったく違います。

これは「ハンニバル」とか、ある種のサスペンス小説にありがちな、膨大なウンチクにサンドイッチされて、殺人ドラマが展開する小説ではありませんから。



というか、殺人事件が起きる小説=サスペンスというわれわれの通俗的な「ジャンルわけ」を否定した所に存在する作品なのだと思います。

本作の中では、人物の内面が音楽についての描写で語られているわけで、これは非常に文芸的な小説だといわざるをえません。

奥泉氏は芥川賞作家だそうで、その文章の立ちあがり方には非常に驚嘆させられました。

おなじ芥川賞作家で、この「シーマンの指」という小説では、
永峰修人を中心とした世界では、あまり好意的な書かれ方をしているとは思えないショパンを愛している平野啓一郎さんも、音楽やロマン派に造形の深い作家だと思うけど、

彼の場合、該博な知識を奥泉氏のようにエンタメ的といってよいかな。

とにかく読み飛ばされないように書くことはあまりしません。

というわけで、「シューマンの指」はこれまで、音楽を扱った小説という、

散見される肩書きを持ちながら、他のどの作品にも到達できなかった高みにまで

洗練された内容を備えているようです。



十代の頃の自分たちを思い出すような、青年達の日常にも惹かれました。



たしかに十代って今よりはるかに、

音楽というものに近いところにいられた気がします・・・・・・。

って語りだすと、もう僕の私小説になってしまうので、そこらへんはまた

日を改めて。



ラストの二転三転どころじゃない「謎とき」や証明には

「世界は深い」とニーチェの言葉を思いだしてしまいました。



「ツァラトゥストゥラの真夜中の歌」

(ニーチェの『ツァラトゥストゥラはこう語った』より)

„Zarathustras Mitternachtslied“

(aus Also sprach Zarathustra von Nietzsche)

O Mensch! Gib acht! おお、人間よ! 注意して聴け!

Was spricht die tiefe Mitternacht? 深い真夜中は何を語っているのか?

Ich schlief! 私は眠っていた!

Aus tiefem Traum bin ich erwacht! 深い夢から私は目覚めた!

Die Welt ist tief! 世界は深い!

Und tiefer als der Tag gedacht! 昼間が思っていたよりも深い!

Tief ist ihr Weh! 世界の苦悩は深い!

Lust tiefer noch als Herzeleid! 快楽−それは心の苦悩よりもさらに深い!

Weh spricht: Vergeh! 苦悩は言った。「滅びよ!」と

Doch alle Lust will Ewigkeit だが、すべての快楽は永遠を欲する

Will tiefe, tiefe Ewigkeit! 深い永遠を欲するのだ!



(余談ですが、マーラーの「交響曲 第三番」にニーチェが書いた

上のフレーズが引用されます)






しかし、一番の出色はシューマンの「幻想曲」の引用かな・・・・・・。



高村薫氏の小説にもブラームスのピアノ協奏曲を効果的に使った作品が

ありましたが、個人的にはそれ以上のゾクゾクした感覚を行間から

得ました。



音楽を愛しているヒトは、ぜひこの小説を読んでください。



ものすごく引き込まれて最後まで読みましたけど、

最近読んだ中では出色の出来でした。

シューマンの音楽について知識ないと

ちょい辛いかもしれませんが。

繰り返します。
音楽を愛しているヒトは、ぜひこの小説を読んでください。
by horiehiroki | 2011-02-12 01:05 | 読書