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楽座は楽ではありません

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ちゃんとすわれない貴族、笑ってごまかすの巻

股関節が相当やわらかくないと、肖像画みたいな楽座は無理です。



・・・ということが書きたかったのではなく、ですね。

先日の高円寺・氷川神社の有識装束の講習会では実際に神職にたずさわる方から貴重な現場の知識を得ることもできました。書いてくださいともいっていただけたし、自分自身興味があるので、おぼえがきとしてUPしておいます。

とくに過疎地の神社が廃絶する(廃社というそうです)ことが近年とみに増えているそうです。800社だったかな。これには驚きました。

とにかく(参拝客が絶えない)●●大社など有名な神社と、そうではない神社とでは大きな意識の開きがあり、廃絶問題にはなかなか対処しきれていないということがあるみたいです。

しかし規模にかんけいなく、神社という空間にはいろんな歴史・文化がつまっています。

実際、ぼくが少年時代をすごした堺市には大鳥大社(おおとりたいしゃ)があり、ヤマトタケルが白鳥となって最期に降り立った場所を祭ったものだそうです。

ちなみにオオトリと同じ読みで鷺神社と書く神社は関東にもチラホラみられます。
また、僕が小学生から移り住んだ街(大阪府堺市)にあった(?)白鷺神社(と思う・・・)には、鷺の格好をして舞うなどの儀式があったりした…なぁ。

超うろ覚えですが。スイマセンw


とくに関東では大鳥ではなく、鷺神社と書くところが多いのかな?? 

自分が住んでる中野区にも鷺宮の地名があります。

ここでは酉の日が祭礼日で、これがあの「酉の市」に発展するとか、あるいは江戸時代の武士にヤマトタケルが人気で、そのため江戸の鷲神社への参拝が盛んになった、のだとか。もしかしたら江戸で独自進化を遂げたのかもしれません。

つまりわれわれが昔からの伝統といってる神社の行事もそこまで古くない場合ってけっこうあるみたいですねぇ。

神職の方たちに伺ったんだけど、八百万の神というだけあって、色んな神様が祭られている。その方たちの「特技」を活かしたプロモーションをすることで、廃社を食い止めることができるんではないか。
あるいは、たとえばパワースポットとして近年とつぜん(?)有名になった、加藤清正公の井戸@明治神宮 などなど、神社のなかの史跡を有意義に使えないものか。

極論すれば祭りがなければ祭りを作ることもありではないか、と。

このプロデュースする。ということが大事なのではないか。
人がゲットしやすい情報を発信せず、漫然とうちは神社です、といっているだけでは文化の継承はできないのではないか。

(なお、高円寺の氷川神社には、全国で唯一の「気象の神様」がお祭りされているそうです)


気象の神様=八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)。「知恵の神」 でもあるそうです。お天気キャスターになりたいひとはお願いにいってみてもいいかもしれません。

ーーーーまさに、こういうコトですな。


・・・ぼくが思うに、教化の場であり、伝統文化との出会いの場であるべきなんですよね、神社って。でも単にそこにお社が存在してるだけでは、それが出来ない時代がきてるんです。むずかしいなぁ。

また、過疎地の神社は、ひとりで何社も兼任しているからこそ、ひとりが勤められなくなると神社がいくつもなくなる原因となるのだそうで、やる気がある人がいれば(神職と元々は関係のない家の出身者でも)その人に任せてもよいのではないか・・・というようなシリアスなお話をたくさん伺いました。

神道の教義には、たとえば、キリスト教とかイスラムみたいに●●すべからず的な契約概念はなく、「神様が喜ばれることをしましょう」というシンプルな基本原理があるのみ。しかしそれゆえに逆に学ぶべきコトはたくさんあるだろうから、いろいろと難しいのでしょうけれど・・・。
by horiehiroki | 2012-11-28 03:26 | 歴史・文化