新シリーズ「憂いの佐倉君」
2013年 11月 09日今、森ゆきえ先生のブログにて、新シリーズ「憂いの佐倉君」がはじまっとります
佐倉君=佐倉藩。
三代将軍・家光の寵臣・掘田正盛は簡単にいうと
長年にわたる恋人関係・・・いや、もはや同性婚的な何かでして、
当時はこういう関係は夫婦の仲よりも何世にもわたる絆ってことで
考えられてたんです。
まぁ、お互いヨメさんとかはいるんですけども男色はスイーツと同じで
別腹感覚。
しかし、堀田正盛と同じく、家光さんの恋人だった酒井重澄の場合、
>病気で屋敷で静養しているのにもかかわらず、4子をもうけたことから家光の勘気を受け、
>寛永10年(1633年)勤務怠慢との理由で改易となった
・・・・・とかいろいろありましてね。
高貴な人と男色の関係は深く、男色関係にある寵臣が(嫡男を産むための妻である)正室=正妻ではなく、側室などとの間に子どもを儲けることで、主君側が激怒する・・・・・・・みたいな話。
こういう例は室町将軍時代にもありました。
だから男色は別腹スイーツとはいいきれなかったりするんですよねー。男色が本命で、妻と義務と演技だったりする場合も。
だからこそ、主君に愛されなし上がったタイプの人間は主君が死ぬと殉死せねばって風習が、できていきました。
いかにも戦国時代の遺風っぽいけど、家臣=家の財産として考える戦国時代にはあんまり、なかったんですけどね。初代家康には殉死者がいません。彼にはあんまり、ほもっ気がなかったからかもしれんけど。
このあたりのくわしくは拙著「葵学園」をご覧ください。