女と男のヌード

芸術新潮の8月号は、女と男のヌード と題して、30年ぶりだかにヌードが特集されてたらしいんですけど。こういう感じで。

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でもね、全てが全て、え、これがヌード画なの? 
っておもうくらいに印象が薄かった。

同誌でいうと「つげ義春」特集のほうがなぜだかエロさを感じてしまったくらい。




女と男のヌードという特集だけあって、たしかに裸は描かれてるけど、タブーのない世界で裸を描くって無意味なんだなってことしか思えなかったんだよね

裸見てるのに服着てるのと同じ「ニュートラルさ」って、ある種、特筆すべきことかもしれないけど。
もっというと壁紙の柄と同じくらい、

「ふむふむ。で、それが?」的な感じ。


要するに、服着てても、裸でも同じ・・・壁の模様みたいな感じ・・・、という状況が世界的なものなのか、日本の現代アート的なものの特色なのか、はたまたアレが描かれてるため、想定されうる検閲のピーを自主規制で押さえようとした編集部の姿勢によるものかはわからなかったけど。

タブー(外的要因)もフェチ(内的要因)もあきらかでないヌードというのは、オブジェに過ぎぬのだよ。

さらに、ヌードを描くこと、鑑賞することの敷居ってここ何年かで、ほんとにフツーの行為にまで成り下がったのが日本の「なぅ」な状況、日本ではあるとおもうんです。

その中で、「自称芸術家の女」として某氏がタイホされたり、男性の局部が写ってることを理由に白い布をかけさせられたり・・・って官憲の検閲機能だけがとーとつに、虚しく存在してることの不思議さですね。

いやらしいんではなく、うつくしいのだ!(それはもっともにんげんてきなものである!

みたいな、愛のコリーダ的な主張っていうんでしょうか。それってタブーもフェチも濃厚にあった時代だとおもう。日本において「禁断の・・・」って言葉が”枕詞”として、いまだ現役だった時代の話?


もちろん、あれらをもっていくと、とてつもない破廉恥な絵画と受け取られる文化がこの世界の上にあることは想像できるのだけれども。

ヌードは現実の一部にすぎず、それは村上春樹の小説で濡れ場が、ホントにとーとつに始まるあの感じ、と似てるかもしれない。


なー。






 (告知) 2016年7月20日 乙女の美術史 日本編 文庫版」、カドカワから発売! 書き下ろしの「恐い世界史」は三笠書房、王様文庫から9月発売予定…






by horiehiroki | 2014-09-03 01:08 | 読書 | Comments(0)