マケポで江戸時代の医療ビジネス。

医者にかかるより、神社仏閣に祈ったほうがよほど効果があるとされていた江戸時代のお話です。それにしても、天然痘という恐ろしい病気の対策が、赤い色のアイテムくらいしかないというのって、どーよ、というお話。
病や死に対して、江戸人は現代人には想像できないほどの無力さをかみしめていたんでしょうね・・・。




神社仏閣が医療ビジネスでぼろ儲け!?医者を本気で頼りにできなかった江戸時代


江戸時代の健康法の第一は養生つまりはエネルギーの消耗をふせぐ生き方の推奨です。
ちなみにツバを吐くことも、気力を損ねると考えられ、NGでしたw

現代人のように(限界を意図的に超えつづけることで、体力・筋力をじょじょにあげていく。その反面、ヘタしたら体調をくずしかねない)”トレーニング”などは健康法とは何重もの意味で思えなかったんでしょうね。

↓は養生訓などを著した貝原益軒センセイの肖像画です。

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江戸時代は義務教育はないのですが、教養人の家庭であればあるほど、女性でもそれなり以上の教育を受けられる傾向がありました。
教える側も、教わる側も一番、難易度が高かったのが源氏物語に代表される日本の古典の講義(国学)でした。
が、いくらインテリ=学者の家でも好き・嫌い、得意・不得意というのがありまして。

漢文を中心にやっている学者の娘たちは親が日本の古典に、専門的には親しんでおらず、男の勉学である漢文の勉強を専門的にやらせるのもどうか、ということで、結局として、貝原益軒センセイの書いた女性の品格みたいな本(女大学という)を読むくらい「しか」できなかったそうです。


貝原センセイの本は、町の寺子屋などでも、程度の高い女子学生さんには教えられていたんですけどね。


※ちなみに源氏などの古典を楽しみとして「読む」のと、専門的に「学ぶ」のには差があるのは今日でも同じです。


ちなみに、吉田松陰の実家の女子教育が実は、まさにそういうかんじでした。吉田松陰がみずから親族、家族の女性のための勉学コースの講師になるまでは。




by horiehiroki | 2014-10-09 09:00 | お知らせ | Comments(0)