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女子美スピリッツ2014 −金山桂子展−

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不思議なご縁がありまして、金山桂子先生とお知り合いとなりまして。
「松下村塾読本」執筆作業の合間に、杉並の女子美大までお伺いさせていただいたのが、こちらの展覧会です。


70年代、金山先生がガラス器をテーマに作品を描きはじめられてから、今日に至るまでのお仕事を一望できました。

金山先生の描き方は、下絵はなし、キャンバスに直接、油彩を使って描きはじめるというもので、気に入らないところは削ってはまた塗り、の繰り返しで、ある意味、彫刻的ともいえるなぁ、と。
ひとつひとつの作業は、インスピレーションの結果・・・・というより、入魂の作業、厳しい取捨選択の結果なのです。
今回の展覧会は10数枚ほどの展示でしたが、たいへんな見応えがありました。

70年代後半、つまりぼくが生まれた頃に、ガラス器をテーマとして描こうということ決め、その時はガラス器そのものを描こうということに注力なさったそうです。

78年に描かれたある絵では、薄明にうかびあがる、半透明のガラス器の存在感が、赤系と緑系の補色の絵の具を使って描かれていました。補色というのはぶつかる色と色です。
※画像は展示会場でいただいたパンフレットより


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効果的に使うと、見る者の目に大きな「ふくらみ」のようなものを感じさせることができると思います。この「ふくらみ」をつかって、ガラスの半透明という絵の具には元来ない色を、キャンバスの上に見事に存在させているんですね。金山先生のスタイルは、アタマで考えついたり、心で感じた、「印象」をササッと絵の具にのっけて描いてしまう・・・という即興的なものではありません。
この補色を使った表現も、本当に取捨選択の末に選び抜かれたものなんだろう、と。だからこそ、心に迫るパワーが今なお、放出されていると感じました。

先生の作品は画面の些細な部分、いわゆるマチエールがすごいんです。ある部分の絵の具は艶あり。ある部分は艶なし。その異なる風合いが、美しく調和し、同じ画面の中に同居している。
塗られては削られ・・・・・・という時間の流れが封じ込められていることも感じるのです。

また近年の作品に絵がかれる、穏やかな光と、あわい影の合間にあるガラスの存在感が・・・・・・ガラスという物質にわれわれが感じるイメージをはるかに通り越して、胸にせまってくるのですよ。会場で印刷したパンフレットをいただきましたが(そしてパンフレットの印刷が決して悪いというわけでもないのですが)、実際の作品を目にすると、パンフやパソコンの液晶の画では及ばないほど、深い風合いを感じたわけです。




よく音楽はライブのほうがいい! などといいますが、ある種の絵画作品は、音楽などよりもよほど実物に接しない限り、本当の価値がぼやけてしまうものだと思うんです。金山先生の作品の美的な価値もまさにそういうところにあるとぼくは感じました。

女子美を訪問してから1ヶ月以上たった今のレビューになってしまいましたが、印象はいまでも鮮烈です。


なお、女子美大は、東京芸術大学が男性しか入学を許さないシステムだったので、女性専用の高度美術教育を与えるための場所として生まれたそうですよ。まぁ・・・おそらくは、ヌードモデルを使ったデッサンを男女が同じモデルで描くことは倫理的に問題と感じられてしまった・・・とかそういう手合いでしょうか。また、女子美は森ゆきえ先生の母校でもあるので、こちらにも不思議なご縁を感じました。


by horiehiroki | 2014-12-07 07:05 | 展覧会