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日光東照宮・大猷院へ(2)

華厳の滝です
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落ちる水が作る影がゆらゆらと崖に映っていて
本当に生き物みたいなのです…
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北欧の春ってこんなのかなぁと想像とする木立(実際は奥日光の晩秋)

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そしてついに東照宮にたどり着きました。小学生の時いらいの参詣となります…
本来ならここから旅をはじめるべきなのですが、30日までが
大猷院の位牌公開かと思い込んでいたので…

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石の鳥居ですが、こうやっていくつものパーツに分けて作られているのは
災害対策だそうです。一枚岩ですると、地震でポキッと折れてしまいやすくなるため、
それを避ける工夫だとか。
これで関東大震災の時も、この前の震災のときも
まったく揺らぎすらなかったとのことです…
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こちらは五重塔です。関西の五重塔より小ぶりなのは、日光という立地上、
積雪の害をこうむりやすいからだとか。しかし美しく色彩が保たれています(現在も修復中)

さて、門の側でチケットを買います。1500円だったかなぁ。
現在全面的に修復中なのですが、予算の半分以上を自力で賄わねばならないらしく(何億円分も)
往事のように鷹揚にかまえてはいられない…というのが張り紙からも分かりました。

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陽明門は修復中でしたが、1796年に装飾用の浮き彫りで覆われ隠れてしまっていた(家光公の時代の)壁画が
約200年ぶりに公開されているのを目にできるというチャンスもあります。精密かつ迫力があります

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これはつがいのキジの絵ですね。鶴の親子のちょうど裏側にあります。
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さて、陽明門をくぐり(みざるいわざるきかざる・・・などなどをスペースの都合上すっとばしましたが)
修復が進んでいる本宮あたりの門です。どういうレベルにまで修復するかは歴史的建造物の場合
重要なのですが、金がピカピカに輝く真新しい感じになっています。
ちょっと東南アジアっぽくもありますが、神々しさはあります。
この時もピカーッと午後の輝きに屋根の一部が輝いていました。

こちらの門の奥に、本殿内陣があります。
(写真撮影不可なので画像はありませんが・・・)
もともと「東照宮」とか「東照大権現」といった御神号を書いてくださったのは後水尾天皇だそうです。
また、本殿内陣の左右の壁にずらーっと三十六歌仙とその歌の絵図が並んでいるのが目にとまりました。
紀貫之や中務などの和歌が、代表作とはまた違う観点から選ばれていることもあり、そもそも東照宮に
「なぜ三十六歌仙図が?!」と思われ、東照宮の方に聞いたところ、詳しく教えてくださいました。
こちらの絵を贈ってくれたのも後水尾天皇だそうで、こういう経緯を受け、三十六歌仙の絵図は
ほぼ全ての(全国の)東照宮に飾られているのだそうです。
後水尾天皇といえば幕府と権力闘争を繰り広げた方のイメージがあり、それは
実際に間違いではないのですが、実際のところ、三代・家光公の妹・和子(まさこ)を
中宮(東福門院)として、徳川家とは親戚関係にある方でした。
ということで、特に、という強い意思があって贈られたのが三十六歌仙図であり、それを
全国の東照宮、および大名方の作られた神社では真似る……ということがあったそうです。
また、この三十六歌仙図があるということは、十四代・家茂の正室として和宮が嫁いできたという
事実もあって、明治維新以降、神仏分離などの施策によって生まれた、東照宮存続の危機を救ってくれる
「錦の御旗」となったようです。このあたり、興味深いのでもう少し自分で自由研究してみる予定です。

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こちらは本宮のワキにある、有名な「眠り猫」の浮き彫りのある門で、家康公の墓所である奥宮までつづく急な階段のはじまりでもあります(門をくぐる際、天井には牡丹とポンポン菊と思しい浮き彫りが施されたパネルが張ってあるのに気付きました!)
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こちらは一枚岩を切り出して作られた階段ですが、まったく傾き、揺らぎがありません。
もともと江戸時代は将軍本人しか参詣がゆるされていなかった奥宮に昇ります
(将軍は足腰が達者でないと勤まりません…)
さすがに一気にのぼるのはしんどいものがありました。
日光関係で前々からキツイと脅されていた階段・坂ですが、この階段だけはちょっと大変でした。


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こちらは奥宮の鳥居です。よくみると市松紋様になっており、なかなか他ではみられないデザインでクールです!

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こちらは奥宮内の門です。もともとは家康公の御遺体をまもる木造の建築もあったようですが、すでに綱吉公の時代、老朽化してしまったらしく(気候の問題?)、綱吉公の発案で金属に黒漆を塗布したシックかつ荘厳な建物に変わりました。

家康公の宝塔については、信仰上の理由で写真をのっけることは自粛しておきます。

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こちらの金属製の灯籠ですが、伊達政宗公が外国から取り寄せた素材で作られたものだそうです。
そして奉納されたのですが……フツーは徳川の紋を入れるんですね。
しかし、政宗公は(家光公と親密であり、尊敬もされていたこともあって)
この灯籠に徳川の葵紋はありません。それどころか政宗自身のシンボルである三日月が付いていて、いろんな力関係が彷彿としています。面白かったですね…。

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(ちょうど参道はさんで隣にある島津家から奉納された灯籠にはちゃんと徳川の紋が……笑)

さて、いろいろと書いてきましたが、実際にお参りになる方の参考になるかな…と思われることを最後に。

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色々聞いてたのですが、華厳の滝などにくらべ、バリアフリーは施設の立地上(さらに世界遺産登録を受けた以上)なかなか進んでいない(進められない)のが東照宮およびその近隣施設の現状のようです。

たとえば、事前に調べたところでは、職員さん用の通用門を通ることで数多い階段を、足の悪いヒトでもある程度は避ける裏道があり、それはチケットを売っている社務所に問い合わせればよいです、とのことでした。

しかし現地で聞いてみたところこちらの入り口の門(これ以降が有料)に昇る階段10何段をパスできる(それも坂道を登ったところにある通用口までいかねばならない)という「だけ」で、あとは完全に自力で上り下りしなくてはならない……とのことでした。

また、参道は完全に砂利道(天候対策上仕方ないですけど)なので、車椅子・シルバーカーだとけっこう辛いですね。左右に舗装された道があればよいのですが…。

うすぐらい杉木立の山麓に突如、輝きにみちた寺院群が現れる!という意図で作られた、日光東照宮の伝統的なすばらしさを損なわないよう、しかしなんらかのカタチでバリアフリーが充実するよう願います。

東照宮には(神社の方とお話させていただいたのですが)明治維新以降、朝敵にされていた時期があることもあり、なにかと目のカタキにされ、その後は外国人の意見もあり「けばけばしい」とか、本来の美的目的をはずれた見地からの批評=風評被害を被り続けた経緯がありまして、桂離宮などにくらべると美的には軽視されている傾向が(すくなくとも一般的には)あるようです。

足腰わるくなった老年の方はそういうことを信じ込まされた世代ですから、どうか御自身の目でそれが誤りであることに気付いてほしいと思いました。
実際に久しぶりに今回訪問してみて、東照宮およびその周辺寺院は、客観的に見て、それだけでも京都(の一部)に及ぶくら
い、美的な満足感をあたえうるパワーをもつ、すばらしい施設であることがわかりましたから。東照宮は関東の宝ですね……。○○跡というだけでなく、史跡そのものに、しかもそれが完全に近いクオリティで接することができるのは最大の魅力です。


なにかといえばすぐにチケット購入所の看板が出てくるという事態に、「むかしはこんなことなかった!!」と年配の参拝客にはショックをうける人も少なからずいました。理由あってのことだとおもいますが。

一律1500円という方式で、これで施設内のすべてを見学できるというようにして確実によかったのは、お参りが完遂できるということです。無料あるいは廉価で入場した場合、なかなか奥宮(家康公墓所、宝塔などが見られる)まで歩いて何百段もある急な階段を昇ろう! という人は少なくなると思いますから。
一律式の難点は、どこまで行けるかどうかが、現地にはじめていく(久しぶりに行く)足の悪いヒトには判断がつきかねて、結局どこも見ないままでほとんど終わってしまうことがある……ということですね。
新設された日光東照宮宝物館にはコーヒーショップも入っており、歩けない人はそこで待っていてもらえますが。
東照宮内にも売店・喫茶施設などありますが、食事を摂らなくても入りやすいというと、こちらに敵うお店は無さそうです……。オフシーズンであれば、さほどは混まないようです!

まぁ、立派な観光地なんですが、どこをどうやっていけば、少しの階段でスロープ・舗装された坂を降りてもらえる…というような情報がほとんどネットには出てないため、難はあるなぁとは思いました。



いずれにせよ都内東部ならばともかく、都内西部からスペーシアだと、飛行機で上海にいったほうが安い(片道4000円代)とかの理由もあり(!)、なかなか行きにくいのが栃木・日光なのですが、なんとか家康公の400年忌のうちにお参りができてよかったです。





by horiehiroki | 2015-12-08 02:31 | 歴史・文化