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鼓童特別公演2015「道」

今日は横浜まで行ってきました。
神奈川県横浜市 KAAT 神奈川芸術劇場、いいホールですね。
オペラとかバレエにはすごく向いていると思った。
そして太鼓。
長年の知人・Hさんのご厚意で
鼓童特別公演2015「道」を見ることができたんですよー。
太鼓って本当に複雑で、奥が深い存在だなぁ、と。
今回の公演ではそれを体で感じることができました。

太鼓の最小限の音階で、ミニマル音楽的ゆらぎだの
トーンクラスターだの聞こえてくるとは想像もしなくて
(※ホントにミニマルな要素ではミニマル音楽の醍醐味は聞こえてこない、はずなのに)

度肝を抜かれたのが現代音楽の作曲家・石井眞木による
「モノクローム」…。
鼓童のお客さん、ほんとうに見た目も年齢も嗜好も幅広いですね…。
二部構成で、一部の幕切れがこの「モノクローム」でした。

ものすごくアヴァンギャルドな表現活動もやっているのに、
それで退屈させたり、抵抗を感じさせないどころか、
熱狂させている。
良く考えるとそれって素晴らしいことなんですわ。
世界中でも鼓童だけじゃないかな。

そして、やっぱり伝統曲の凄味ですねぇ。
会場は一際もりあがりました。
神様が降りてくる…! という瞬間があるだけでなく
頭の後ろをそっと撫でられるみたいな感覚に襲われました…。
また、いわゆる尋常ではない「気」が漲っている(俗にいうオーラを出している)
人が大きく見えることにビックリ。
↓の写真は第二幕の「大太鼓」の1シーンですが、ハッピを着ている時の2倍くらいに見えました。
太鼓を鳴り響かせるのは腕というより背中、あと身体をのけぞるようにして打つため、フクラハギだなぁ……と。
ものすごく神がかった感じで、途中で拍手が何度か沸き起こってくるんですが、誰も拍手しないでずっとあのリズムの渦に引き込まれて聞き入っていたら、蒸発してしまうかも……と想わせるパワーでありました……。


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by horiehiroki | 2015-03-20 23:41 | 観劇 | Comments(0)

毎年初夏~夏にかけて、バレエの放送がたくさんあるんですが
今年は少ない気がします。
それでも久しぶり(?)に地上波でバレエ番組がありまして、それがNHKバレエの饗宴2013でした。
内容はバレエ版・紅白歌合・・・じゃなくて、ニューイヤーオペラコンサートのバレエ版みたいな感じですかねー。


■番組の内容


「コンチェルト」小林紀子バレエ・シアター、ピアノ:菊池洋子

「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」橋本清香,木本全優

「春の祭典」東京バレエ団

「ラプソディ」吉田都,ロバート・テューズリー

「コッペリア」東京シティ・バレエ団

「白鳥の湖」中村祥子,ヴィスラウ・デュデック

みたいな取り合わせで、ダンサーだけでなくてもピアニストの菊池洋子さんに出演してもらってるところとか人選になかなかの炯眼が光ります。

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菊池さんはドレスのセンスが素敵です


菊池さんはすでに何枚もCDをリリースしておられますが、たとえばデビュー盤のモーツァルトの録音などから想像してると、まったくレベルがちがう、それは深く豊かな音楽性の持ち主に現在はなっておられます。先日、実演に接しましたが、次世代の音楽史を担うピアニストになられるのでは、と期待しています。


で、東京バレエ団は当然のようにベジャールやるんだけど、これまでキレイ、キレイ、キレイでしょう?な、「いかにもバレエな世界」の流れの中にとつぜん「春の祭典」をブチこんでこまれても・・・とか思いました(笑
いや、熱演なんだけど、明らかに異質。

ネットでも一人歩きしてますよね。


ベージュの衣裳を全裸?!とビックリしたとか(→以前の紅白でもこういうネタがあった)、
アレが透けてるとか、
明らかにセックスを模した振り付けとか。


ま、たしかに世間の常識でいうと、「春祭」はやりすぎ感ただよう振り付けだと思う(w
劇場でみたら、異化効果で、アレも爆発的なエネルギー!とかに脳内変換されるんだけど。
でもテレビでみたら、やっぱり「透けてます…」とか思ったのも事実(w

でもさー、そういう素朴すぎる感想を聞くと、バレエ自体が冒涜されたような気になるから、はじめてベジャール作品を見るヒトにも「あっ、モダンバレエもいいなあ!」って素直に思ってもらえるような作品をお願いしたかった。

ベジャールでももう少し違うのやってほしかったなー。

ソレで、今回、この記事を書こうと思ったのは、最近の日本人ダンサーの活躍について、などなどについて考えたからでございます。

吉田都さんはぼくが色々書かなくても、ほんとに別格。

振り付けを演じる「だけ」の、彼女自身の言葉でいえば「台詞で言えば棒読み(みたいな踊り)」とはまったくちがう、演技が出来る人なんだけど、確実に日本人(&アジア人)の踊りの範疇には嵌らないな、とも感じました。

たとえば今回はロバート・テューズリーとの「ラプソディ」でした。しかし、某動画サイトで拝見できる「ラプソディ」はロイヤルバレエでの、佐々木陽平さんとのデュオだったんですよね

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つくづくパートナーによって女性のダンスって「違い」が出ますよな

佐々木氏も優れた、美しいダンサーだったとは思うんだけど、やっぱり都さんの勢いに翻弄されてましたわ。都さんを踊らせられてない。

今回のNHKバレエの饗宴でも顕著だったみたいに、アジア系の男性ダンサーってやっぱり華奢で細い。

女性はちょうどいい細さなんだろうけど、男性の場合・・・それも王子さまに代表されるクラシックバレエの男性主役となるには、自分がひとりで踊ってる時間の他に、女性主役をリフトしたり、サポートしたりしてうまく踊らせるだけの筋力(これがかなりの負担になるとおもう)が必要になってくる。
これが難しいんだろうなー・・・という気がするわけです。
熊川さんにつづく国際的な名声をもつ、主役級の日本人(ひいてはアジア系)男性ダンサーってあんまり知らないんですけどね。それには体力的な問題が非常にからまってる観があります。。

前にサンフランシスコのバレエを見た時も、いろんなエスニシティ、ひらたくいえば人種、肌の色の人々が活躍してて凄いとおもったけれど、たとえば我々の中で、黒い肌をもつ白鳥や王子さまが完全にOKということになれば、バレエダンサーの勢力地図ってかなり変わるでしょう・・・。

もはやそれは人種差別的なことではなく、TPOのセンスだと。
たとえば、白人の実力派ダンサーでも「白鳥」でいうなら魔王ロットバルトしかできないのはただの個性派。主役の王子さまが出来てこその主役級ダンサー、みたいな下りが山岸涼子の漫画「アラベスク」にも出てきたと思います。

個性の問題。

現代日本で、ケーキやパフェをたのんだり、ピンクのTシャツを若い男性が着ていても後ろ指をさされなくなくなったのと同じ、感性の変化さえあれば、ホントにいろんなダンサーが生まれてくるでしょうね。


前に「クロワッサン」という雑誌の中で、ファーストポジションって映画について(文字数のかげんでホントに少しだけ)書いたのですが。
色んな肌の色のダンサー志望が登場するんだけど、彼らの中からプロのダンサーが登場し始めるときにはそのTPOのセンスに変化が生まれてきてるかもしれないなーって思ってました。
そもそも身長が高すぎると(相手の男性ダンサーとの釣り合いがあって)、バレリーナにはなれないなんて僕らのこどものころはよく聞きましたが、バレリーナの巨大化は最近進む一方です。
今回のラストに出てきた中村祥子さん(ベルリン国立バレエ団などで演技)も、かなりの高身長でした。
ただ、彼女の場合、その恵まれたプロポーション、長い手足をつかって、小さい華奢なだけのバレリーナには出来ない表現をするんですよねー。


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画像はこちらから拝借


黒鳥と王子のパ・ド・ドゥを演じてたんですけど、その時の手足の動きは、大きな鳥の羽ばたきを感じさせるものでした。
・・・まぁ、欲をいえばポーズからポーズに移動していくときの安定感がひじょーに乏しいとはおもうんだけど、ピタッと止まるべきところはとまれる筋肉の強さもあるし、たとえばアラベスクとか、そういうポーズが人一倍にキレイなんですよね。
今回初めて名前をしったけど、今後期待の女性だな、と思いました。



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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-05-23 01:31 | 観劇 | Comments(0)

バレエ『人魚姫』

これは本当に、本当に、凄い作品だなぁと思いました。
さすがは天才振付家ジョン・ノイマイヤーの作品だと。

アンデルセンの「人魚姫」といえば、哀しくも美しい物語というイメージでしょうかね。本作品は、原作(の行間)に潜む、コンプレックスと苦しみの物語としての「人魚姫」を炙り出してるなぁ、と思いました。

どこまでいっても救いのない、恐るべき鬱展開バレエです。

憧れていた美男子の「友人」が結婚することに衝撃をうけた詩人(アンデルセン本人を思わせる)の魂が、人魚姫というキャラクターを産みだし…という冒頭からして印象的です。

人魚姫は(いちおう)女性ですものね。

男性と大手をふって恋愛ができる存在(かもしれない)。


しかし、人魚姫も海では堂々としたプリンセスだけれど、陸の世界では挙動不審のただのおかしな奇妙なコにしかすぎないわけです。いったん尾ひれを失い、いちおう人間の姿になってはみたものの。

美男子の心をつかみたかったから、せめて美男子を奪い合った女たちと同じ恋の戦いの舞台に登りたかったという一心の「詩人」がうみだした、偽りの女にすぎない。

しかも、人魚姫は偽りの女にせよ人間になることで海での家族を失い、海での生活基盤をうしない、尾ひれを失い、また王子の愛を得なければ死んでしまうという呪いまで背負って陸に上がってきてるというのに。

王子は目の前にあらわれた人魚姫のことをおもちゃのようにしか扱わないのですねー。

人魚姫は、どこまでいっても彼の眼中になど入らない女なんです。

バレエでは尾ひれを失う時の痛みや恐れなどなどが恐ろしいくらいに克明に描かれました。

一番わかりやすい喩えでいうと・・・

全身を美容整形する痛みや苦しみに耐えて、生まれ変わったけれど、相手の取り巻きの一人になれただけ。女性としては見向きもされない。

主人公が恋のために変身する話はあるけれど、すべてを賭けた変身が失敗し、苦悶するなんて考えるだけでも恐ろしい話は、人魚姫以外になかったと思いますね。

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この場面の画像見てください。

白い軍服の王子はピンクのスーツを着た意中の女性と、それは朗々と踊っています。

しかし人魚姫といえば、陸に上ったばかりのため、手足の自由がきかず、なんとクルマイスに乗せられている。

奇妙な姿勢でクビをつきだし、恋人たちの姿に嫉妬しながらも凝視せずにはいられないその姿に、海のプリンセス時代の威厳はありません。その人魚姫の分身である詩人もまた、静かで物悲しい目をして自分(たち)にふりむかない王子を見つめている。

人魚姫さん、大失敗です!

またこのDVDで、人魚姫を演じてるのはヤンヤン・タンというアジア系のダンサーなんですよね…王子は金髪碧眼の北欧系の美丈夫。
とくに海の世界の住人たちに、歌舞伎風の隈取りメイクとか、オリエンタルな所作が見られたので、そのあたりもあるんでしょうが、なによりも人種間の壁・・・あざとい演出といえばそうかもしれないけど、そういった問題をさらにえぐり出すような人選だったと思います

(もともと、このDVDをリリースしたサンフランシスコバレエはいろんな人種のダンサーがいるんですが。それでもやっぱり金髪碧眼の王子専用ダンサーは大量にいても、チョコレート色の肌とくるくる天パな黒髪の王子が圧倒的にすくないっていう現実はあるかと思います)


王子にとっては、どこまでも変なコにすぎない人魚姫は、意中の相手に一度も振り向かれることもない。物理的に近くにいけた、だけ。そして「本物」のお姫様が王子をかっさらってるのを間近で見て終わってしまうのです。

このDVD(ブルーレイ)の映像がただの舞台の記録ではなく、優れたバレエ映画になってると思いました。たとえば王子は人魚姫の好意にまったく気付かない。

でも彼の恋人の女「だけ」は人魚姫が王子のことを愛していることに気付いてるんですね。

それが表情の節々で分かる。でも、彼女は、人魚姫のために何もしてくれない。・・・とか舞台を見にいくだけでは見落とすような深い演出が要所にちりばめられている。


二人の間にまともな戦いなどはありません。成立しようもないから。女という点だけは同じでも、女として同じステージにのれていないから、ですね。

ラストになればなるほど救いはなくなります。

彼女を人間の姿にした海の魔法使いにふたたびそそのかされ、この短剣で彼を殺せといわれる・・・というシーンも当然、きれいごとではすみません。

バレエ版の人魚姫はやはり自分に振り返ってくれない憎いのでしょう、躊躇いながらも、本当に彼を殺そうとしてますもん。
そりゃ彼女は全てを失って陸にあがってきたんです。なのに王子ときたら・・・

でも、恋することで生まれた彼女の魂が、良心がそれを実行することを拒むんですね。

しかし、「あぁ、よかった。泡になってしまったけど、魂は天に昇りました(そもそも洗礼をうけていない精霊の類、もしくは動物などの類に魂など存在しないという立場をキリスト教はとりますから、これだけでも破格の扱いです)、めでたしめでたし」・・・とはバレエ版ではならない。なるわけがない。

人魚姫の愛しいというきもちが裏返しになった、殺したいという激しい思いですら、王子にはふざけているようにしか見えてなかったんですね。


この全身の力が抜けてしまうかのような結末。もうどうすればいいの・・・と(最初から、どうしようもなかった)

こうして深い深い諦念の海底に沈んだ人魚姫(そして詩人)は、その諦念ゆえに、泡ではなく星の高みに登っていく・・・みたいな謎めいたエピローグが付いてました。

ま…ぁ、どこまで見てもまったく救われた気分にならないんですけどもねー。


でもこれが現実なんですよね。

あなたがいくら愛しても、絶対に振り向かない相手はいる。


相手のためにどれだけ犠牲を払っても、片想いなら、それはただの自己満足。

あなたはあなたの範囲の中でしか変わることはできない。

あなたはあなたであることから逃れられない。


メルヘンの世界を隠れ蓑にしないと絶対に見つめることなどできない、現実の中の現実です。


DVD(もしくはブルーレイ)で見られます!



 出演:
 ヤンヤン・タン(人魚姫)
 ロイド・リギンス(詩人)
 ティート・ヘリメッツ(王子)
 サラ・ヴァン・パタン(王女)
 デイヴィッド・カラペティヤン(海の魔法使い)
 サンフランシスコ・バレエ団
 演奏:マーティン・ウェスト指揮、サンフランシスコ・バレエ管弦楽団

 収録時期:2011年4月30日~5月7日
 収録場所:サンフランシスコ、ウォー・メモリアル・ホール(ライヴ)
 監督:トーマス・グリム
by horiehiroki | 2013-05-07 02:49 | 観劇 | Comments(0)

先日は吉祥寺シアターまで。

久しぶりに舞楽とか、歌舞伎以外の演劇を見てきました。


矢内原美邦さんの作・演出・振り付けによる「静かな生活」。

演劇の本質って、いつの時代もある種の「狂気」なんだなぁーって
つくづく感じると同時に、これだけの生々しいエネルギーのほとばしりに晒されたことはないため、たまげました。

1時間15分、休憩なしの舞台に惹きつけられ、高揚感と眩暈を終始感じる結果になりました。

かんたんにいうと、すごくヤバかった、ということです(笑


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この作品、本当は、ものすごく分かりやすい台詞で、ものすごく分かりやすい内容をしゃべってるんですよ??

すべてがこの原則に貫かれてます。いや、たぶんそう。

たとえば、野田秀樹の演劇世界って最初の最初の段階で、よくわかんないじゃないですか。でもいつの間にか、分かってくる。感動しちゃう。ああいうシステムとは「静かな生活」は違うんです。

だから、「静かな生活」を見てる人間は誰しも、「ああ、この世界、わかるかもしれない」と思う…はず。

最初はね。

でもそのうち作家と役者の戦略にヤられて、「意味」がわからなくなってしまう。

自分の居場所が、立ち位置がバラバラと崩れて見えなくなってしまう感覚。

「ハウリング」がまず起きてくるんです。

たとえば・・・「夢をみない」ハズの旦那が見る「夢」の中で、不動産屋のセールスウーマンとして妻が出てくるんだけど、
そのセールスウーマンとしての妻が「わたしは生涯で一度だけ家を売らなかった」と言い出す。
舞台にはタテヨコに18個ずつ、324個の木で作られた家が敷かれてる。
「色んな家があるけど、全部おなじに見える」「けっきょく同じような家しか選ばれない」というセリフ、とくに共感というか僕の中ではハウリングしました。

ーーーー建築家に頼んだ施工主の「コダわりの家」ほど他人には売れない。

ーーーー窓が少ない分、中庭があるとか、式坪はそこそこのわりに三階建ての家で、100平米超えてるんだけど、部屋の数が二つしかない、みたいなコダわりの家はぜんぜん売れないんですよね(笑

まぁ、そういう内容的に自分の感性がハウリングしてるところに、ある一定の高さで、ある一定の強さで、ある一定の強度のセリフが「ワーワーワーワーワーワー」と。音声的にハウリングしてきます。

時にひとり、時にふたりの役者さんによって発せられる、と。

ここにもの凄く複雑な音響の世界が出てきて、またセリフがリズミカルかつ、似た内容、同じ文言を反覆しあうというカノンみたいな作りになってきて、めくるめくかんじ。
すごいんですよねー。ハウリングしてきます。

さらにものすごい異化マジックの使い手ですわ、矢内原氏は。

異化とは、見慣れたものを見慣れない「なにか」に変えること。
「なにか」は、言葉なんだけど、言葉では説明できない、異様なオーラをまとっています。
わかってるのに、理解をこえてしまうからこそ、あやしい高揚感が見てる人の中にもうまれてきます。こういう意味でもハウリング。

今回は意味の迷子みたいなことも強くかんじました。

静かな日常・・・であるべきはずのものが、単位からバラバラほどけて、崩壊していく感じ。

そんな嵐が1時間15分にわたって吹き荒れるわけですよー。

嵐といえば、役者さんが走る走る走る 叫ぶ叫ぶ叫ぶ、転がる転がる転がる(コレがふりつけ?笑)、
イキが止まるほど強烈でしたね。


参考映像:


矢内原美邦氏、キャストのお二方のインタビュー



PV

……というわけで、これらの映像を見たらなんとなく分かってもらえるとおもうんだけど、まったく「静か」どころじゃない内容で、たまげました。


公演のチラシに「これはクラシック音楽ファンにも見て欲しい舞台です」的なコピーがついてて
母上の勧めもあって見にいったんですけど。
そのコピーの真意、分かったような気がしました。

役者も達者です。

一番最初に出てくる、「目をとじなさい。」という台詞。この非常にやさしい口調は主人公の男性の母親の口調を思いだしてるからなんだけど、そういう回想の部分。
そして「大人になってからはすぐに夢も見ずに寝てしまうんだ」という現実の部分。
これらの間で、実に的確に音調がかわる。

でもそれ以降、静かな生活どころか(笑)、二人の役者さんが絶叫しつづけ、はしりまわるんだけど、たとえたら、この「ワーワーワーワーワーワー」の部分も、音楽でいえば、同じ音を強打し続けるのと同じような効果があるんですよね。いわゆる不吉な効果です。

ショパンの前奏曲に「雨だれ」って曲がありますが、あれも途中で、同じ音だけが一定して連呼されつづける。それがどんどん強くなってきて・・・ って「シーン」、「場面」がありますが、あの不吉さと同じような感覚です。

矢内原さんの他の作品を見たことがないので、なんともいえないけど、↑の動画で本人さんがおっしゃってるように「言葉がわからない」ようなことはないです。

しかし、言われてる言葉の内容が異化作用によって、どんどん「なんだかわからない」「はじめて触れる、なにか」に変わっていくので、わからないって言われるんだろうなぁって思いました。

あと役者さん自体が「誰よ、これ?」っていうふうに変わっていく。

あれ、なんなんでしょうねー。恐ろしいです・・・

今、サイトでふたりのお名前をいれて、出てきた写真の人であったことくらいはわかるけど、この舞台で見た時の彼らはどこにもいない。

川田 希さんと松永大輔さん。

この二人が、すばらしく耳のよい役者さんで、的確なチューンで的確な強さで相手のセリフや動作を受けて、台詞をしゃべりかえすんですよね。このやりとり、この作品には一番必須です。それがすごいと思いました。
すごいと思いましたね。

演劇の本質は狂気っていったけど、魔術で作られた狂気です。
魔術の使い手は脚本家ではなくて、役者なんですねー。

しかしよく体力と気力つづくなぁって思いました。
とくに松永大輔さん。喉つぶれないんでしょうか。

川田 希さんが演じる妻も、出てきた瞬間から目が座ってて、つめたーい感じでした。
この人もどこからこんなエネルギーが出てくるんだろう…って思わせられる人。
カラダが楽器と化してました。このひとのエネルギーに松永さんが応える(ハウリングする)形で劇がすすんでいくので、川田さんは今回のスピーカーみたいなものでした。

そして、カーテンコール…ってカーテンがない劇場なんだけど、拍手されてるときの二人の表情が「ヤッちまったーー・・・」っておぼづかなかったのは何でなんだろう(笑

ああいう時には、ドヤ顔で出てくる人しか記憶になかったので、これもちょっと新鮮でした。

また矢内原さんの舞台見にいきたいですね。実に興味深く、エキサイティングです。今回の舞台でも使われてた、MUJIで売ってるよな白いテーブルとイス、あらゆる公演に登場してるみたいですし。



そして武蔵野市。クラシックの方面でもマニアックなことやってますが、演劇ではさらに想像の斜め上にとんでいく、ヤバい、凄い内容のプロジェクトをやってるんだなぁと感心しましたよー。
立派です・・・。中央線上の雄ですな 
by horiehiroki | 2013-02-17 06:19 | 観劇 | Comments(0)

勘三郎さんに続き、團十郎さんまで……。

あれは・・・調べたら2009年のことだったんですね。

この年の我が家の正月・初芝居が永田町の国立劇場で、この時「象引(ぞうひき)」という演目を團十郎さんが復活上演させたのを見ているのです。

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当時のチラシ(團十郎さんに先んじてすでに亡くなった役者さんの顔が・・・

画像右のパンクなお侍が團十郎さん演じる象引の男です。

歌舞伎には数百年におよぶ歴史はあるけれど、現在でも上演されつづけてる演目はそんなには多くないんですね。

また、その演目も脚本の改訂=補綴(ほてつ)が行われて上演されます。


(以上基礎知識)


何回も彼の舞台は拝見しましたが、中でも「象引」で團十郎さん演じる、人間離れした怪力の男が登場するシーンは思い出深く、絶対に忘れられないですね。

春は蘇りの季節である・・・というような意味の浄瑠璃(唄)が聞こえてきて、花道に團十郎さんは神々しいまでの姿で現れました。それを見ていて、なぜだか涙がこみあげてきて、ものすごく泣いてしまったのをおぼえています。「象引」ってコメディだったんですけどね・・・(笑) 

08年はとくにプライヴェートでよいことがなく、しかもそれは自分の傲慢な生き方が起こしたことだったので、すごく反省をしていました。だからこそ「蘇り」という言葉と、難病を見事に克服して再度舞台にもどってきた團十郎さん自身の勇姿に感激したのだろうと思います。


「象引」はこれまで何度か復活上演されたようなんだけど、その度にラストがちがったと。

昭和時代だったかの復活では、象を殺して牙を引き抜くという演出もあったんだけど、08年版は力比べで象をうちまかした男は、象に懐かれ、そのまま連れて帰る…というようなラストだったように思います。

十二代目團十郎さんのやさしさが反映されてると感じました。

とにかく、自分や母が一番歌舞伎をよく見にいっていた時期に、一番活躍していた役者が團十郎さんでした。

「勧進帳」の弁慶とか、助六とか……
すばらしい美声で、とにかくセリフが通るヒトでしたからはまり役でしたねぇ。何度もお姿を舞台の上で見ました。

古典歌舞伎って、朗々としたセリフをしゃべる機会が多い。彼は、そういう役がピッタリでした。

團十郎さんは青年の頃から、完成された、「分かりやすい天才」の役者だったそうです。

息子の海老蔵さんは・・・・たしかに他の歌舞伎役者にはない大きなオーラを持ってるけど、まだまだ役者としては発展途上。團十郎さんも安らかには眠ってられないと感じてるはずです。
しかしひとまずはお疲れさまでしたと申しあげたいですね・・・。

ご冥福をお祈りします。
by horiehiroki | 2013-02-04 04:55 | 観劇 | Comments(0)

2月26日、ベルギーの「ローザス」という

ダンスカンパニーの主要メンバーである

サルヴァ・サンチスさんの公演を見てきました



日本もアート状況に関しては

けっして悪くない状況だとはおもうんですが

やはりクラシカルなものへの偏愛があるように

思います



やはりヨーロッパ、パリなどは地理的に地続きということもあり

いろんな国のいろんな公演を見やすい傾向があるような・・・



この手のコンテンポラリーダンスやバロックオペラなど、

日本ではいまだに実験的といわれてる催しでも

気軽に何回も行われてるようで、これがホントに羨ましい。



さて、ローザスについては在仏の友人から情報を何回も得てましたが

サンチスさん自身についてはイメージがあまりなく。

しかし、もの凄く興味深い動きでしたね。

プロフィールを見たら、合気道勉強してたせいか、

ずいぶん、太極拳っぽかった。

そして、大半の動きが、コマが回転するように

360度回るようになってるのです。

もちろんずっと単純にクルクル回ってるわけではなく、

毎回の回転をいかに他の回転と変えていくか・・・

というヴァリエーションだった。



ような。







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by horiehiroki | 2011-02-28 03:58 | 観劇 | Comments(0)

四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)を見てきました!

今年はずいぶんおそい初芝居でしたが、やっぱりイイものですね。



今回の公演はいわゆる「菊五郎劇団」によるもの。

つまりスーパースターの尾上菊五郎さんのリーダーシップのもと

花形の若手~ベテランまでが登場するという贅沢なものです。

さらに今回は、初演されていらい、上演されることのなかった

「復活狂言」でした。

歌舞伎っていろんな楽しみがあるけど、結構この手の

復活狂言が自分は好きです。なぜってストーリーがわからない舞台って

やっぱりワクワクするじゃないですか。



で、菊五郎さんが座頭の公演には必ず、彼の趣味(?)の

お笑い要素が入ってて、これがイイんですね(ww



今回は・・・




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by horiehiroki | 2011-01-15 04:08 | 観劇 | Comments(0)

kanade1.jpg先週、年末の恒例ということで

国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」を

家族で見てきました。



最初の休憩に入るまで、2時間ぶっとおし!



でございました。硬派です。











kanade2.jpg※いわゆる浅野内匠頭をモデルにした

塩冶判官の切腹シーンは

古来「通さん場(とおさんば)」とされています。

この約40分の間、遅れてきたお客さんが場内に

入ることができません。















劇の内容も、最近ではあまり類を見ない、

充実した古典歌舞伎公演だったと思います。



あくまで古典歌舞伎の「格」を保ちながらも、本公演は

大石内蔵助をモデルにした大星の登場する場面をつなげ、

本筋から外れる部分は(幕が開く前に、花道に登場する)

弁士の語りで補うなど、「流れのよさ」が特徴でした。



このため、長時間の公演には弱い現代人(というか自分のような者も)

でもストレスもなく見ることが出来ましたよ。




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by horiehiroki | 2010-12-19 01:57 | 観劇 | Comments(0)

国性爺合戦@国立劇場

今日は家族で国立劇場まで

「国性爺合戦」を見にいってきました。



kokusen.jpg先月も吉右衛門主演で「将軍江戸を去る」などを見に行ったんだけど

いそがしくてレビュー書き損じちゃったなぁ・・・

さて「国性爺」。何年か前に歌舞伎座でも見たことあるけど

スジ、けっこう忘れてました(笑















内容は…日本人と大明帝国の家臣のハーフである

和藤内(歴史的には、台湾で活躍した

日本人と中国人のハーフ・鄭成功がモデル)と

彼の家族が中国大陸にわたり、

そこで明帝国をのっとった

「ダッタン王(モンゴル人、清のこと)」の手下たちと

バトルする

というこの時期にはどえらい話です。






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by horiehiroki | 2010-11-10 03:17 | 観劇 | Comments(0)

田中泯さんの公演

最近、かなり公私ともにバタバタしてるんですが、

吉祥寺シアターに(初めて!)行ってました。





kitiji.JPG この建物、昼の印象より、ライトアップされた夜のほうが、数段オシャレですねー。























今日の目的は田中泯さんの公演。




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by horiehiroki | 2010-05-14 02:06 | 観劇 | Comments(0)