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「平清盛」、今だにかなりの勢いで、ブログを見に来られる方がおられますね。なんか…八重よりもよほどある種の視聴者の食いつきはしつこいというか、なんというか。


あの時代好きなひと、ぼくの書いてることスキだったヒトは、「うたもゑ」買ってくださいねー。作者に僕の名前のクレジットが出てないけど。

で、色々ぼく自身もあのドラマについては終了後も考えることがありました。

今回の八重とも重なるんだけど、「人物名」を入れてしまうと、ドラマはその主人公のもの語りであるべきだと考えるヒトって多いみたいです。「平清盛」は実質的には清盛くんと愉快な仲間達って感じだったんだけど、それをある種の視聴者はユルしてくれないみたい。清盛の話やないやん、的なツッコミが非常に多かった。八重もけっきょく八重の話じゃないからなぁ。そこらへんが数字に出てるのかもしれません。

それなら「平家物語」とかにしておくほうがよかったのかもね。新平家物語はすでにタイトルとして存在してたから。

それでこの前、テレビ番組を観ていてハッと思ったのは、平家政権の迷走そして滅亡の時期と、鴨長明の「方丈記」に描かれた時代は実はぴったり重なっているんだ、ということ。

ここらへんの背景を上手くもっと取り入れていれば、もっと最終回にかけて盛り上がったんでは・・・と思われるんです。

「方丈記」は無常の書として、受験でも「この本のベースとなっている考え方を三文字で (こたえ:無常感)」と問われてしまうんですが、ただならぬ滅亡の美すら描かれてるような気がしています。

滅法の世はすでに始まっていましたし、
大きな時代のうねりの前にヒトは何もすることができないという
諦観・・・でしょうか。
「方丈記」は(出家した者でも)
南無阿弥陀仏という言葉を数度唱えるだけである、というような終わり方をしてるのですが(そもそも神社の神官だった鴨長明が、出家して僧侶になるというのは面白い構造のように思えますが 笑)。

たとえば1177年の「安元の火災」(安元三年)では、
(火が風にあおられる様を)
扇をひろげたるがごとく末広になりぬ・・・と描き、

さらに

「空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ移りゆく」

と凄惨な状況描写がつづきます。不謹慎だけど、異様な美しさなんですよね。生きてる自分が不思議といわんがばかりの。
ここらへん、救われるのが当然だと考える現代人とはすこし態度が違っているような気もします。

ざっくりまとめると、

1180年、都で起きた竜巻(治承四年)、そして福原遷都。
1181年から数年に及んだ大飢饉。
1183年(寿永二年)、平家都落ち。
1185年(元暦二年)、3月、壇ノ浦の戦いで平家滅亡 7月、京を直下型大地震が襲う。

…というようなコトがありました。

多少CG制作は大変でしょうが、平清盛のラストあたり、このあたりの時代の不安感をもっと描いたほうがよかった気がしますねー。残念です。

とくに最後の大地震については、わざわざ平家の怨念ではというようなことを鴨長明は書いてはいないにせよ、都の人心は多いに乱れたはずですし。そこからの鎌倉の武家政権発足・・・というふうにつなげたほうが・・・とか思ったり。



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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-04-30 21:48 | 歴史・文化 | Comments(0)


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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

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今回「長崎からの贈り物」では、会津のジャンヌダルク っていう八重さんの異名の元になった、スペンサー銃が登場しました。
そして銃が新式であるとか違うとか、そういう話も出てきて興味深かった。戦争のたびに科学、技術は進歩するのは残念なことだけど、真実なんですよね……

なお、


なんとなく気になって調べたところ、八重さん=スペンサー銃の使い手だった(主に会津戦争において)というのは、明治時代の回想録に出てくるのだそうですが、このウェブサイトによると、ゲベール銃のほうをよく使ったというように併用説が採用されていますね・・・

ちょっと興味深いところです。相性というようなものがあるのかも。

会津藩が洋式銃の買い付けなどに本腰を入れたのは時期的に他藩にくらべ、少々遅かったんですよね……。そういうのはそのうちのドラマで語られると思います。

あと、今回のドラマって参勤交代が出てこないと思いません?

松平容保も京都にいったっきり、国元にも江戸にも行っていませんし。

参勤交代は始まりがよく語られますが、その終わりってけっこうな尻すぼみ感です。

世界大百科事典 によると

「幕末期,内外情勢の緊迫化にともない,(家茂時代の)1862年(文久2)には一橋慶喜,松平慶永らの幕政改革によって,大名は3年に1年または100日の在府,その妻・嫡子とも在府・在国自由となった。」


…とのことです。

これは幕府の大名統制力の低下によるもので,65年(慶応1)再び旧制への復帰を図ったが効なく,幕府倒壊を早めただけに終わった。


「なお,参勤交代は,将軍―大小名間だけでなく,陸奥仙台,長州萩,肥前佐賀,薩摩鹿児島などの有力外様大名と,その支藩主または知行主との間にも行われ,さらに大知行主と在郷武士との間にも存在して,重層的かつ複雑な構造を示したが,これまた幕末期には消滅した」


のでございますね。

参勤交代=膨大な手間暇、資金でまかなう支配体制の確認作業であった、と。


歴史的な意味での注目点はそういう感じでございます。

それで、ドラマの見どころでいうと


黒木メイサがめっぽう強いってことと、

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(孝明天皇崩御によって、旧来の幕藩体制の維持を支持するための)要石が外れた!! っていう覚馬さんの表現がマトを得すぎてるってことと、

1年もしないうちに、おそらく目が見えなくなるということを指摘された覚馬さんが(それでも私情にはナガされず、お侍としての役目をまっとうしようとして)焦るとき、それを静かにたしなめる斎藤工さんの演技がよかったです。斎藤さんは美男なだけでなく、本当にいい耳を持ってると思う。相手のセリフを聞いて、それをいったん受けて、自分の声で的確に表現する。


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↓サカモトさんではなく、後の板垣退助(変●態)が出てくるところが、今回のドラマのアレでしょうか。このドラマではアレですね、倒幕派=顔もメイクも濃い人々ですね。

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そして、先帝陛下のことを持ち出されるとめっぽう弱いカタモリ(涙目

押し売りに弱いタイプ マクXナルドで断れないタイプ(w

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次回はついに大政奉還、幕府瓦解でございます。

今回のドラマって明治維新後の徳川ファミリーについて描写、あるんですかね。
ちょっと楽しみですけど。
by horiehiroki | 2013-04-30 00:57 | 大河ドラマ | Comments(0)

毎日新聞のドラマ特集に 「W涼子対決!」とか書いてあったんですが、どうですか。闘わせるような内容になってます?
なんかテンション合わなくて、両方とも見てませんでした(w

ちょっとキワモノ感強すぎじゃないです?

でもすこしは気になるので、本日の米倉さんの録画は、また見てみる予定。


さてさてさて。

気になる数字は以下のとおりだそうですよ。


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参考;Audience Rating TV ~ドラマ視聴率~ 


今シーズンは「ガリレオ」がやはり内容、数字ともにトップ扱いなんですかね… (さっきのリンク先、いきなり音が出ます。ご注意)

前シーズンのも割と見てた気がするけど(母親が福山ファン)、

前シーズンにくらべて、科学ネタの割れ方が激しい。

第一回目なんか、ガリレオ先生が
「ハッハッハ さっぱりわからない!」ってるときに
素人の視聴者の自分がなんとなく分かってるというね(w

二回ともラストの前にすーぐーに分かっちゃった(笑

原作、足りてるんですかねー?

あと第二回ではガリレオ先生、
無意識にヒトが筋肉→カラダを動かしてしまう
現象の原因として
「潜在意識だよ」
とか科学者にはあるまじき発言をなさってました

理系の人が専門的に使う日本語と、口語的な日本語って
かなりズレがあるんですよね。

たとえば「免疫力」てことば。
この前、医学部の知人と話ししてて、これはズレまくってるな、と思ったんだけど
われわれがしょっちゅう使う、免疫力をあげる、なんて日本語は科学的な見地でいうとおかしいみたいです。
抵抗力をあげる、というべきだと。
免疫力というのは専門的な文脈では、
一度、病気になって回復したら、その後二度とかからない(とされる)タイプの病気にしか、使わないみたい。

で、ガリレオ先生が発した「潜在意識」なる言葉も心理学的文脈から、というより、かなり口語的な表現のように感じました。そもそも、「潜在意識」は科学的には証明できない概念ですからね。

そして新ヒロイン(?)として登場の「オカルトちゃん」こと、吉高さんはカワイイけど、やっぱり柴崎コウのほうが合ってる気もする。吉高さんのほうがガリレオ先生との相性はよさげですが、ドラマとしての相性の話です。ドラマとして。

もともと柴崎さんの役も、原作では男性の役だったのを無理矢理女性にしたみたいですけど。

「鴨、京都へ行く。」は、ハデなところはないぶん、安心してたのしめるウェルメイドなドラマだと思います。もうすこし数字、狙えるんじゃないかなー。ちなみにかたせ梨乃の着物姿の美しさ、動きの正確さには格の違いがあらわれてて見てるだけでもすごいです。

「雲の階段」、自分も見てないんですが(結果的に)、なんでか数字が寂しいことになってるね。

重苦しすぎるっていうのが母親の談でございます。


「ダブルス」
、これは、自分がドラマの数字不振がまだ騒がれていた時代(今はみんな諦めてるけどw)、某週刊誌で伊藤さんと坂口さんのコンビでドラマを・・・とか言ってたのを思い出しました。
現代を代表する肌肉俳優ですがな。ちょいオッサン風味がイイかんじ。
あとなぜか、ぜったいに出てくる、とってつけたかのようなシャワーシーンとか、なんなんですかね。
かたせ梨乃とかグラマー女優が果たした役割を、男が最近は担ってるようで(笑

ちなみに母親にはあの肌肉シャワーシーンがたいそう不評です(w

サスペンスとしてはひじょうーにユルくて、ドラマとしては、どーなのかな、とは思います。
まぁ、伊藤さんと坂口さんを見てる分には良いんだけど、あと坂口さんの演じるキャラの乙女っぽさね。一見コワモテですが、スキだらけやないか。


「ラスト♥シンデレラ」は見てませんが、ラストまでに一度くらい見るつもりです。

「空飛ぶ広報室」、出演作ごとに演技の方向性も顔つきもまったく違う綾野さんが出てるわけです。ガッキーもカワイイ分、存在感がビミョーに薄いんだけど、20代中盤~後半にかけての第二青春期というんでしょうか。人生の酸っぱさもわかってきた男女が、あえてサイダー味のドラマにトライするっていう最近のトレンドの中ではいい気がします。
………おもえば、綾野さんがやってたのって、むかし、妻夫木くんがやってたような役だよね。綾野さんがやることで一味、屈折の味わいがでる。そういうとこがいいんですね。

あと本日最終回をむかえた「ご縁ハンター」、そして「第二楽章」など、NHKのドラマ、今季も内容的にはかなり好調です。ヘンに広告主の顔色をうかがわなくてよい分(?)、狙ってるターゲット層と内容が明確ですよね。

ご縁ハンターは……学校では教えてくれないことをいくつヒトは自分で覚えないといけないのかな、と。そういうことを感じました。

ヒトとの距離のとり方はマナー読本では学べず、自分の外見とか内面とか地位とかのキャパシティで決定しますもんね。


AKBのプロデューサーさんが「一生懸命やってれば恋愛なんてしてる余裕あるのか」という理由で「恋愛禁止」云々みたいなことを言ってる(らしい)けど、たとえば、そういう風にしてなにか「だけ」を一生懸命追いかけてきたヒトがいたとしましょう。

しかし、人生でやり残してしまったことがあると気付かされる瞬間があるんだ、と。

あえて「やらなかったこと」に復讐される瞬間が必ずある、と。

とくに男の部分/女の部分の成績ってのはソレかな。でも、それが如実に試され、問われるのが「結婚力」っていうことなのかも。それが「ご縁ハンター」では辛酸舐めまくりの鼻毛君なり、「黒い服が好き」な観月ありさなんですね…。


現代ではヒトの価値&魅力と、女としての価値、男としての価値がビミョーにズレがあるようです。
ある意味、IQとEQ(emotional intelligence)みたいなものかと。IQが高くなればなるほどEQは基本的に下がるっていいますよね。

何事もほどほどに、という「ぬるさ」って世間的な幸せに直結してる。平均にちかければちかいほど、結果的に酷い目にも合いにくい。そういうあるいみ、残酷な真実を感じずにはいられないなー。

観月ありさ演じる主人公はいい人と出逢えたなっておもう一方で、もうすこし大暴れしてほしかった気もします。はい。


ちなみに今、知りましたが。鼻毛君の中の人(?)ってEXILEのメンバーさんらしいです

BEFORE

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AFTER

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素顔(?)のマツさんはわかりやすい美男っていうワケでもないけど、魅力的なヒトに見えます。男性としても。ついでにいうとこの鼻毛君の写真、制作発表の時、マツさん本人としての表情だと思うんです。本編ってすべてが薄暗かったので。


つくづく人間って見せ方次第、売り方次第っていう気がしてきた・・・


ヒトは生まれ持った見た目じゃなくて、見せ方で10割決まる。

キラキラした表情とか、本当の意味で自信があるからこそできる言動とか明るさとか、そういうのこそが魅力になるんだと思いますねー。

ていうか、鼻毛君は猫背で、挙動不審で、しかも恐ろしい位に動きが鈍かった。悪いヒトじゃないのはわかるんだけど、気味悪かった。あれも全部、演技だったのか・・・

ということは鼻毛君がヒゲ生やして、堅実すぎるデザインのメガネを外して、ハットかぶって堂々としてればEXILE(系(になれるっていうことなの?(w


答えが出ない…

そして
「第二楽章」が注目です。

これもご縁ハンターと似てるけど、女として生きるか、ヒトとして生きるか、一つのようでいて、現実的には分離してくるんですよね、というテーマの大人版。

夢を追って生きてる女流ヴァイオリニストと、夢をあきらめて家庭に入った主婦。わだかまりがあってしばらく離れていた二人が再会し旧交をあたためる一方、谷原章介演じる男性との三角関係も地味に再燃してくるみたいですね。

羽田美智子さんのヴァイオリンの扱いがひじょうに達者で、ほんとのヴァイオリニストみたい。

でも彼女の場合も「夢を追って…」とはいえ、シカゴでのコンサートマスターの仕事は契約更新がうまくいかず、東京に戻ってくることになるそうで。
by horiehiroki | 2013-04-28 00:53 | テレビ | Comments(0)

「ファッション、家電から食品まで」というキャッチフレーズのついた某販売サイトに、拙著の葵学園について、とある読者の方がレビューを掲載なさっておられるようです。報告を受けて知りました。

ぼくは、感想は感想なので、そこら辺はご自由に、というスタンスなんですが…今回は非常に悪質かと思われます。ぼくなりに思うことをココに書いておきます。

まず、その方のご指摘なさってる点は3点あるようです。

1・正之の養父・正光が会津藩主というのは、たしかに誤記でした、これはスイマセン。

2・正之の実母・お志津の方について。この方が指摘するように、秀忠の乳母・大姥局の侍女だったとすることは、ネットなどでは通説となってはいるようですね。しかし、私は必ずしもそれが妥当だとは考えません。

3・「付け加えるなら保科家の男性がダメな人ばかりなどありません」

これは、まったく書いてもいないことですので、著者の意図の曲解であり、完全な中傷です。わざわざ色々と書いてくださってますが、そんなことについてはイチイチ触れません。


さて、本日は「2」の問題について書きたいと思います。

More
by horiehiroki | 2013-04-25 01:59 | 歴史・文化 | Comments(0)


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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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最近、また数字の問題が史上最低大河こと「清盛」にひきつづき、
「八重」でも語られるようになってきました。

これはどういうことか。

それを僕なりにかんがえると、
若い女性を中心に「新しい」歴史ファンが大量に出来たという、
いわば「ちょんまげバブル」は確実に終わったということかなぁ、と思います。

アメリカ人の精神分析好き、日本人の日本史好き・・・は民族的な嗜好だから
簡単には消えないにせよ、「新しい」歴史ファンの嗜好は、
旧来の歴史ファンの嗜好に呑み込まれてしまったのかなぁとも思います。

一方、大河ドラマは従来の「重厚さ」を「新撰組!」以来切り捨て、どんどん若返りつつあるというね。

僕も書き手として、まぁ、そういう「新しい」ファンたちに語りかけてきましたが、ほかにもそういうヒトや番組、いろんな機会があり、いろんな歴史の時代に対し、彼ら、彼女らは自分の史観を持ちはじめた。

ともすれば、XXXXというドラマのプロデューサーとか脚本家に担ぎ上げられた「作り手」サイドよりも、テーマや人物によほど深い愛とか知識をもってるわけですよ。

裾野が広がり、知識も深まり、だからこそ、特別な、高い視聴率獲得枠として長年存在してきた大河ドラマが、その特別の座から引きずり下ろされてしまった…とは考えられないでしょうかね?

また、そういうことで、歴史モノだからみんな見てくれたという時代も終わり、他のドラマと同じくストーリーその他で厳しくチェックされ、視聴率が決まってくるというような。

今、NHKの大河ドラマのプロデューサー連は「将軍職、継ぎたくないけど継がなきゃー」てことになってる、ヨシノブさんみたいなことになってるんではないかなぁ(笑

僕は、というと、このドラマ、なかなか良いと思います。

シユッー!!!とか、ドオオオオオオン!!!とか、漫画みたいな効果音はどうかと思うけど(しかもきょうは、大幅にズレてた。春嶽どのー!)。

夫婦の愛とか、想い合うヒトビト(こうめい♥かたもり)とか。


あ、そうだ。忘れてた

この前、ウチに検索で来たヒトがいて、よく覚えてないけど「平清盛よりも八重の桜は周辺の人物の確執について掴むのが難しい」・・・・・とかなんとか。
そういうフレーズで検索するのってアリなんですかね(笑
出てくるんでしょうか、その人が望んでいた答えって。
ただし、そのヒトのフレーズ、非常に示唆的な気がしました。

幕府サイドでも、将軍専制をつらぬきたいヨシノブさんと、越前の春嶽さんが訣別するだのなんだの。
カタモリさんもヨシノブさんに対し、信じられぬ想いを強めています。
そういう所・・・たしかにかんたんに掴むのは難しいかもしれないけど、一番にドラマにすべきところだから。
それらの点にトライした今回の「遠ざかる背中」はよかったなぁ…

あと川崎さんと八重さんの夫婦の愛、は見ててけっこう泣きそうになった。

(覚馬がそのまま戻らず、跡取りムスメになるかもしれない)自分の娘に「武家の女として」厳しく接する義姉は、本当は自分を奮い立たせていた、というところとか。

でも一番ググってきたのは、孝明天皇の突然の崩御、その知らせを聞いた時のカタモリさんの震え。
そのままBGMが次回予告に引き継がれて、「目が見えなくなっても・・・」っていう覚馬さんのナレーションね。泣けたー。

いかなることがあっても真っ直ぐでありつづける、それこそが会津の魂でござる

たしかに孝明天皇と松平容保がふたりで語り合う場面とか言葉遣いとか、そこまで儀礼その他に専門知識ないぼくのようなモノにせよ「アレレレレー」って思うところはなきにしもあらずでした、が、そういうのは置いておいて(笑、ぼくは八重の桜を応援したいですね

あと、ほんとにヨシノブさんは「それ、どうなのよー」って見てて思う(w 

合議制は(今の我々からすると合理的かもしれないけど)、春嶽さんのいうように全ての解決策にはならない。

それこそローマ史にも例があるように、危機の時代は専制で乗り切るほうが、生き残りの確立は高まるかも知れない。
理屈をこえたカリスマの持ち主であるならば。
イエヤスさんも、将軍職をしりぞき、大御所になってからのケッタイな物言いなどは「三河物語」などを見てたらわかる。でも、彼にはすべての矛盾を乗り越えるだけのカリスマがあり、彼のカリスマはその死後も250年あまりも存続し続けたのです。

しかしヨシノブさんには専制君主にいちばん必要な、強烈なカリスマがない、というねー。

ヨシノブさんは頭で語っててハートで語ってないという印象がドラマでもビシバシ伝わってくる・・・

今回のもっとも巨大な、「遠ざかっていく背中」、それは幕府がちゃんと機能し、日本をパクス・トクガワーナ(「徳川の平和」の意)で包み込んでいた平和な時代でしょうなー。

でもその一方で、ヒトの上に立つべき宿命の者は、ヤリもって踊ってたヒトみたいに直情で動くことは絶対にできないのですよ。おのれの正義すら守れないことも多かったと思います。

XX家の中でも、平凡な存在ってありますよね。とくに困難に巻き込まれなかった彼らを平凡というのは容易いけど、もし自分だったらということを、考えてみたらよくわかるはずです。何も出来ないですよ。予定調和からなんとか這い出そうとしたヨシノブさんは・・・・どうなんだろう。

でもあんまり擁護する気になれない。
by horiehiroki | 2013-04-22 09:16 | 大河ドラマ | Comments(0)

リアルビューティー 

ダヴ リアルビューティー スケッチ

3分ほどの映像ですが、あなたはどう感じましたか。

More
by horiehiroki | 2013-04-21 01:11 | 日々 | Comments(0)

スイーツ備忘録

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Zuppa Inglese(伊)、赤い色はスポンジを洋酒に浸してるゆえ。カスタードに色いろ混ぜてる。ねっとりとした美味。ドラゴンフルーツの皮をためしに囓ってみたが、ほんとに何の味もしなくてすごく不気味

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フルーツの味のするバウムクーヘン。青海波みたいでおめでたさが出る
by horiehiroki | 2013-04-20 19:27 | いただきもの | Comments(0)

月刊美術 月刊美術2013年5月号のアートフェア東京特集にレビュー寄稿してます。

表紙が変わって、オシャレ&かっこよくなった。

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表紙にも「ひびきあう古今」とあるように、ガレ「百合文花器」×田嶋悦子 「flowers」など、
アート同士のコラボが興味深い。

コラボといえば、高校生の時に毎日新聞の日曜版に掲載されてた西洋画と日本画を「対決させる」特集みたいなのを思い出すけど、今回のは良い意味で、ライト(=軽やか)な企画。

たとえば松井冬子さんのちょいコワな画に古い仏像を合わせてみたり、インタビューがあったりの意欲的な企画がそろってて読んでて面白かった!
by horiehiroki | 2013-04-20 19:08 | お知らせ | Comments(0)

フランシス・ベイコン展


ずっと行きたかったフランシス・ベイコン展に行ってきました。
学生時代、主に海外の美術館で彼の作品を目にするたび、
独特のエロス&バイオレンスの表現に惹かれてきたのです、が。

今回、これだけ多くのベイコン作品を一挙に見ることで、印象はずいぶんと変わりました。

ベイコンといえば肉塊としての身体表現が有名です。

ずいぶん「肉肉しい」絵画なんだけど、ベイコンが一番こだわってるのは、どうやら人物のカオ。
空洞みたいな口の中に、歯だけはやたらとリアルに描かれたりもしています。

それから肉体に関心が注がれるのです、が、顔以外の上半身に関心は薄いらしい。
胸や腹筋の部分は飛び越して、次にベイコンが注目するのは下半身みたいなんです。
お尻とか脚とか。そして、ずいぶん優先度がさがって背中。

もともと胸よりもお尻や脚のほうがセクシーなパーツだとする傾向は20世紀半ばまでは優性だったと聞きますが…… 何か関係あるのかもしれませんな。

男性の魅力=脚 というのが欧米の古典文化の御約束ですし。

これらの「魅力的だと彼が感じるパーツ」を一気につめこんだのが、彼の描く「肉肉しい」肉塊なんだろうなーと。

あと気付いたのは画のスタイルがほぼ不変なこと。

彼の好み…いや、強いフェチ性は彼の創作の中核なんだけど、それがダダ漏れになってる絵画スタイルを1950年代に確立した後、1992年に亡くなるまで、ほとんど変わってないのには驚きました。非常に強い反復性があるんです。

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これは、死を覚悟しはじめた晩年の作品なんだけれど(一番左の画面には、90年代のF1界の寵児だったアイルトン・セナの顔がなぜだか描かれてたり)、顔と下半身だけの人体が淡い色彩で描かれてます。

この微妙な透け感。
(完全に透けてしまった時に死んでしまうのでは)と見るモノに思わせる「存在感の薄さ」、これが晩年の彼の絵画の一大特徴かもしれません…。

スタイル自体に変化はあまりみられないけれど、色彩は淡く、薄く、なっていく。

ベイコンほどポップな色彩を使いながらも、内容がポップではない作品を創ったアーティストはいないでしょうね。

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これなんて背景がピンクですけどね。

お顔が大変なことになってるぶん(あくまで「顔が大変なことになっているのに」、ではない!)、わけのわからない濃厚な性的オーラを発しています。

このヒトの顔の真ん中に、黒い丸があるのに気付かないでしょうか?

銃孔みたいな。

全体の「風孔」のような気もします。顔という「中心」の感覚を、この黒丸が失わせている。

この絵のモデルになったジョージ・ダイア(長年、ベイコンの”恋人”でもあった)は、ベイコンの展覧会がオープニングを迎えるというとき、ホテルで自殺してるそうです。

自殺の方法は銃ではなく、ドラッグの過剰摂取だったみたいですが。

暴力性そして脆さ、危うさを抱えたダイアという男のパーソナリティをベイコンがこの黒丸で表現しようとした。彼の最期の何らかの示唆になっているような気がしてなりません。


”恋人”と書いたのは、たんに好きとか、いっしょにいて落ち着くー♥ とか、世間で推奨されてるような理由をもって自分の人生のパートナーを選ぶ人間ばかりではない、ということですよ・・・

とくに芸術家の世界では・・・。
by horiehiroki | 2013-04-20 02:59 | 展覧会 | Comments(0)

この前の演奏会は色んなことを感じ、考えさせられる機会でした…

その人のチェロを聴くのは思い返せば二回目です。

ひと目見ただけで、描き手の名前がわかる画を描けるのは、名画家と呼ばれるための条件です。
クラシックの世界にも、一節を聴いただけで、これは誰それの演奏だとピンとこさせるほど、自分の音楽のスタイルを確立できた演奏家を「一流」だと呼ぶ傾向はあります。

彼の音楽もここ数年で大変貌していました。

いずれにせよ、以前の上手いけれど当たり障りのない演奏者というイメージの衣を脱ぎ捨て、個性派になっていました。

以前、来日したとき、「一流」の大ピアニストとの共演であったため、
本当の「個性」を出すに出せなかったのかもしれませんが・・・。



それは最初の曲の出だしを聴いただけで分かりました。

余談かもしれませんが・・・バッハには六つ、無伴奏のチェロのための組曲があります。

演奏された変ホ長調(第4番)の「前奏曲」は下降していく音型だけでほぼ全体が構成されている、とても明確なつくりです。シンプルすぎるといってもよい。

さらに余談ですが、調には長調・短調すべてで24あり、その全てに固有の性格というか、カラーがあります。

たとえばハ長調はどういう感じというような、ハッキリした定番イメージはないにせよ、時代を超えてある程度は共通する何かがあるようです。


バッハにとって変ホ長調は音の細かい動きを、おもわず表現したくなる調のようです。
なんていうか、技巧的な曲が多い。

さて、その演奏家の弾く、バッハの無伴奏チェロ組曲、変ホ長調(第四番)ですが…

下降していく音型をひとつひとつ、強弱を変え、音色を変え、……ものすごくカラフルに演奏しはじめたんです。

ほほぅ、と僕は思いました。

普通以上に多彩に、カラフルに演奏することは、バランスを崩しやすいんです。技術的に難易度が高い。

カラフルな演奏を書にたとえると……書は基本的に楷書から勉強し始めますよね。そうやって筆の勢いをうまくコントロールするのを覚えてから、学び始める草書的…といったらよいでしょうか。

たしかに名人の中の名人は、楷書的にキッチリ弾いても、草書的に遊びを入れても、全ての音を明確に響かせてきます。

ところが・・・彼はすごく才能はあっても、まだ名人の中の名人の域には達していないようでした。


音が濁るのにプラスされ、時々、音符が足りてないという現象さえおきはじめました。

西洋音楽には守るべきリズムが厳格にあります。

ひとつの小節の中に、八分音符ならいくつ必要というのが決まってるのですが、彼の場合、必要な8つが7個になったり、6個になったり…… その分、休符を作る必要がでてきて、音楽の流れがさらに乱れていくわけです。

本人も調子が悪いのは分かっているらしく、焦り、途中でフレーズを弾き直したりするという事態まで起きてきました。これを、ぼくが実際に経験したのは、生まれてこの方、二度目です。あきらかにイレギュラーな事態が起きていると思いました。

あああ・・・

傍の人はどうかしりませんが、コレ、まずい・・・と思い、目は冴えるわ、変な汗はかくわ、とにかく(彼が信じているであろう西洋の)神様に「どうか、この人を最後まで弾かせてあげてください」と祈ってみるわ。

演奏者を含め、あらゆる芸術家、専門家には(どんな名人であろうが)調子のよい、わるいが必ずあります。



調子が明らかに悪いとき、あなたならどうしますか?


自分もそうなのだけど、あきらかに「まとめていく」という方向になると思いませんか?


悪くいえば、やりすごす、というような。

フィギュアスケートなどを見ていると一番よく分かると思います。

今シーズンをかけてずっと練習してきたけど、この高い技術の技を今日、ここで成功させられる確立は低い・・・・まぁ、ぼくはそんなにフィギュアのファンではないのだけど、よく見る光景ですね。

こう云うとき、日本人の選手は挑む技の難易度を下げて、つまり観客や審査員に自分がスッ転ぶ姿を曝さなくても済むよう、「まとめていく」方向を取る傾向が強いと思います。

しかし、それは自分のためだけではないんだということが痛感されました。

見ている側も、ド派手に失敗されると、大ダメージを受けるわけです。

それを何とかしてでも避けたい、避けるべきだと考えるのが日本的な感性なのかもしれない…と強く感じました。

ハジをかくのを避けるは自分のためだけでなく、相手のためにも避けるべきであるというのが、対人関係のマナーだとする感覚です。

一方、外国人の選手は、とにかくチャレンジし、いくらスッ転び続けても、1回の演技時間の中で、自分のやって来た事を狙っていきます。まとめるなんてことはしない気がします。

このチェロの演奏者もまさに後者のタイプだったんですよねー。

あくまで、一音入魂というか。

もしぼくがあの場で、チェロを弾いていたのなら、音色の多彩さを表現することはいくら自分にとって大事であっても今日はやめて、無難な演奏になっても、音楽が大破しないように、小さくまとめていくと思います。

しかし、彼はそれをしなかった。


そこらへんの強さ、自分のやって来たことに対する自信、さらには尊敬というものが、日本人には足りないものかもしれないですね…。

なお、チェロはいくら独奏の場合も、楽譜を見て演奏する習慣のある楽器です(ちなみにピアノは楽譜を見て弾かない場合が多いです)。

彼の場合、楽譜はめくってはいるけれど、明らかに見ていないんですよね。
目を閉じて、瞑想的に演奏している。

(そして音符やフレーズが時々スッとばされる)

自分の場合なら、緊張していたり、完全なコンディションでなければ、瞑想的なスタイルを取ることはないと思います。いくらそれが自分の音楽にとってベストとはいえ、ベターを狙って、大破だけは避けようと思うんですね。

しかし、それも彼はしなかった。

ある意味で、凄いなぁと思いました。

もちろんそれでぼくが途中で帰らなかったのは、彼の音楽に、これまで聴いたことのない豊かな響きや、美しい音色を感じたからなんですけども。

なお、その後の彼はだんだんと調子を持ち直していきました。

緊張がほどよく解けて、持ち前の集中力を発揮できるようになったから?

いや、それだけではない気もします。

客席から、スヤー スヤー という健やかな寝息が聞こえてきたんです。

小さい音ですよ。しかし、ずーっと。ずーーーっと。

拍手の間だけ止んで、あとはアンコールの時までずっと鳴ってました。

クラシック用のホールは客席の音も、かなり響きます。

でも、それが今日はよかったのかもしれない・・・なんてことすら僕は感じてました。
普段なら、めちゃくちゃ腹の立つ雑音です。

後ろでスヤスヤ鼻息たてて寝られた時、あまりにイラッときたので
「寝るなら帰ったら!」って文句いったこともあります。

しかし、今回は、その寝息が、効を奏したのかもしれない、と。

ナーバスになってさらに混濁してしまう彼の音楽に「あんまり、力むなよ」的な諭しを与えたのかも・・・なんてことを思ってしまったり。

それ以降、自然な感じになって彼の音楽は流れはじめたんですよね。

寝息と自我とバッハの音楽・・・おそろしい取り合わせですが。

音楽を聴くこととは、作曲家と演奏者、そして聴くわれわれの感性のせめぎあいなんだなぁと、その日ほど強く感じたことはありませんでした。
by horiehiroki | 2013-04-17 02:46 | 音楽 | Comments(0)