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進撃の巨人

漫画家さんは一つの世界観をつくるどころか、一つの世界の創造主たりうるくらいに
すごいエネルギーを持ってる人たちなんだなあと思わせられてなりません。

「進撃の巨人」、面白すぎる。凄すぎる!


しかし、責めてくる巨人のおかげで、読まなきゃいけない作業ができておりませんの
by horiehiroki | 2013-05-31 13:08 | 日々 | Comments(0)

「ゲイ」という概念

「オネエ」なる言葉がマスコミに跳梁跋扈するようになってもはや数年(以上?)。

基本的には女装なんですけど、性同一性障害の人から、あとは女装で自己表現しようというゲイの男性をもふくむ、ごった煮、闇鍋状態の概念になっとります。

「オネエ」は同性愛男性が自分を売りこむためのキャラやビジュアルのひとつにすぎず、あの派手なリアクションやメイキャップの後ろには、ごくフツーのゲイ(同性愛)である男性がいる・・・なんてこともいわれております。

同性愛ワールドも、同性婚などを志向する、世間に向かって開かれていたい、オープンなグループ(ゲイ=人生派)と、秘密の存在でありたいと願う、クローズなグループ(ゲイ=趣味派)が二分されてあり、後者にとっては同性愛者の現状とかなり異なるオネエという人工的な存在に「のみ」、大衆的な興味が注がれ、後者にとっては大きな隠れ蓑になってくれている・・・というような説もあるかと思います。


歌舞伎の女形とか、美輪明宏とか以外の女装表現者に僕の興味があんまり湧かないのは事実で、さらにウチではドラマ以外の民放の放送をあまり見ないので詳しくはないのですが・・・その手の文化風土に寛容な傾向が日本にはあり、それゆえ、数週間前のNHK大河ドラマ・公式サイトに「修理は容保のヨメ?」みたいな「一瞬、目を疑うようなトピック」が踊ることになったと(ホントはそれ、逆やろっておもいますけど




さて、昨日、友人が教えてくれたのは、その「ゲイ」という言葉自体、日本で生まれた和製英語ではないかという動画でした。
動画の中では、その名も「ゲイ」という東京タワーが建った年に書かれた本の記述が紹介され、そこに「もともとゲイ(gay)に同性愛者の意味はなかった」と。
なぜそれが同性愛者を意味するようになったかというと、日本の若いかわいい男性を女装して捕まえようとする同性愛者の外人男性の「ヘイ! ゲイ!」という叫びが原因だったのでは、というような推理も披露され
ております。

「なぜ女装するのか」については後で触れるとして・・・

まぁ、英語はおろか「ゲイ」なんて分からないわけで、ゲイって言われた側が、叫んだ側を指すのに「あいつらゲイ」といわれるようになり、そこからうまれた同性愛者=ゲイという概念が英語圏内に逆輸入されていった、と。ゲイはまぁ和製英語で、文脈的にも差別的な意味がない、と外国語圏では判断されたのが大きいかもしれません。

もともとゲイ(gay)は、古い英語で、楽しい、陽気な、とかそういう意味がありますね。

陸上選手にゲイっていましたし、古い時代のオペラ(バロックオペラ)、オラトリオなんかには、ウィーアーゲイ!なんて歌うシーンが出てきたり。 すぐに思い出せるのはヘンデルの作品ですね。

参考) この動画の3分40分秒くらいから


Oh, the pleasure of the plains!
Happy nymphs and happy swains,
Harmless, merry, free and gay,


のあたり

free と gay が対になった概念であることは見過ごせませんね。

フィナーレで我々はゲイである(訳:ハッピーです)みたいな歌詞が出てくるヤツもあったな・・・(また機会あれば思い出しておきます

ちなみにこの作品の脚本家のひとりの姓名もGayです。




ただし、ウィキペディアで調べてみたところ、「放埒な、いかがわしさ」みたいな影の意味も17世紀ごろにはニュアンス付与されていっており、19世紀~20世紀半ばには「ちゃんとした(straight)」生き方に対する概念として「放埒な(gay)」人生というものが認識されるようになった・・・と。(ただし、これに同性愛的な意味が含まれていたかというとNOらしい)

ここで興味深いお話をすると、21世紀現在も世界のある種の地域では同性愛は法的にNGなんですけど、たとえばそういうエリアのうち南米とかギリシャでは、男性と性行為をする男性のうち、能動的なポジション(簡単にいうと男役)の男性は、同性愛者ではないとされるんですね。

拙著「乙女の美術史 世界編」でも軽く触れた内容ですけど、これ、古代ギリシャ、ローマ文化以来のジェンダー観が作用した結果だと思われます。受動的なポジション(女役)になった少年は奴隷の身分に堕とされたりしたわけですねー。罰として肛門に大根つっこまれたり。

※なお…合体行為自体が前提とされていなかった。あまりなかった、という趣旨の講義がさる大学の教授によって行われた、というのをツイッターで見たことがあるけど、具体的な文献学的な根拠をぼくはまだ見つけられていません。

※ちなみに男娼=奴隷カーストの一翼


そもそも欧州(欧米といってもよい)では、男性が女性の属性とされることに関わるのは、NGなんですね。
逆もしかり、で、たとえば、ジャンヌ・ダルクが最終的に死刑にされたのは男装の罪です。
女性が男性の属性とされることに関わった、それは彼女の場合は軍人的なふるまいと男装だった、と。
18世紀頃になると、このNG項目は処罰対象から憐れみの対象にかわっています。
たとえば女性なのに男性の格好をずっとさせられていた、オスカル様のモデルみたいな人がいるんですよ。
正確には逆オスカルですけども。
エオン・ド・ボーモンという。

フランス人の騎士階級出身の人です。剣の名手。
この人はホントは男だったんだけど、ルイ15世の命をうけ、(色々はしょるけど)女装して、女性として仕事したり(敵国・ロシアの女帝の読書係とか)、生きることになってしまった、と。

その後は、わたしは男装を強いられた女性だと言い張ったりしてますが。
まぁ、なみなみならぬ顕示欲のある人で、(この手の女装・男装問題に厳しいフランスを追われ)英国にいたところ、マリー・アントワネットとルイ16世の時代に「わたしは女性です!」なんて発言してフランス王国に国王夫妻の憐れみで帰還、「女性」として暮らすようになったんですわ。
ところが、当時の女装=ドレスは異様におもたく、窮屈で、ボーモンは「正直(女として暮らすなんていってみたけど)しんどい」なんて手紙を書いてたりします・・・

と話が飛びましたけど、興味深いのは、下の部分。

19世紀~20世紀半ばには「ちゃんとした(straight)」生き方に対する概念として「放埒な(gay)」人生というものが認識されるようになった・・・と。

(ただし、放埒な人生 に 同性愛的な意味が含まれていたかというとNOらしい)


独身主義者という言葉が18世紀とか19世紀の欧州の小説には出てきます。
その理由の一つとして、女嫌いとか、あるいは男好きというのがあったんでしょうね。だから完全に同性愛的な意味が無かったとはいえないけど、現在は同性婚を許してる多くの国家でも20世紀まで同性愛は完全に違法でしたからね。

違法=存在しないとされる存在

なわけですよ。

だからゲイという言葉を同性愛者につながる結び目が見えてきにくいのも当然かもしれない。

そして、

違法=存在しないとされる存在

だからこそ、性同一障害でもない同性愛男性と女装との接点が生まれていったような気がします。
女装する男性って、男の娘、という人々のかなりの割合(※著者の独断と偏見)がホントは美少女好きな男性(つまり異性愛者)で、美少女がすきだから美少女の服をぼくも着てみたい、って発想を持つようになったりしてるわけで、そもそも同性愛的な何かというとかなりの割合が違う。

でも、女装することで、男×男というNGをなんとかチカラワザでかわしうるとされたのでは…と。

そこでおはなしが冒頭に戻りますが、「オネエ」とは男性として男性を愛すると現在定義される「ゲイ」の実情とは乖離した概念とされているのでは?という部分については、ひょっとしたら、「オネエ」そのものがゲイの原義、プロトタイプだったのではないか・・・と思い始めたんです。

さて、長くなったし、次の仕事があるのでまた気が進んだら書きまーす。





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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-05-31 10:31 | 歴史・文化 | Comments(0)

モダニズムとは省略の

この前の毎日新聞に、簡単に美味しく日本茶を淹れる方法が載ってました。

湯飲みに、ポット(※90度設定)から湯をそそぐ。

そのお湯を、茶葉を入れた急須に注ぐ。

30-40秒ほど待ってから、急須に残らないよう、湯飲みに注ぐ

というものです。

冷えた器にそそぐと、その時点で10度下がっていき、
90→80→70度と、日本茶を入れるのに適した湯温になるのだそうで。

味が、まろやかになります。

90度以上のお湯をそのまま急須にそそぐと、まろやかより、苦みが出てしまいます。

というような話をしてたら、昔は急須や湯飲みはバラ売りではなく、
セット売りが主流で、そこにはお湯を冷ますための器が付いてた、と。

ああー、と思いました。

そういうのが常識だった時代、この手のお茶を淹れる方法なんて新聞には載らなかったでしょうよ。

それが常識じゃなくなった現在、これがモダンエイジ以降の世界なんだと。


最近ちょろちょろっと考えるのですが。

服でも髪型でも、住居でもインテリアでも、どんどん簡略化が進んでますよね。

数十年、百年単位で考えるとすぐに分かります。

モダニズム=省略の美学、もしくは省略の作法なんですねー・・・。

簡略化で削ぎ落としすぎた所に「遊び心」なんて名目のデザインを施したのが
北欧デザインとかでしょうか。
by horiehiroki | 2013-05-30 10:15 | 日々 | Comments(0)

安村敏信「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」という本が面白いです。

安村氏は板橋区立美術館の館長さんで、精力的に江戸時代の(わりとレアな)絵画を取り上げた展覧会を開催している「鋭意の人」。

で、この本も表紙だけ見てると、ずいぶんそっけないので学術書かと思いきや、

(江戸絵画の概論的な知識が・・・たとえば伊藤若冲くらいしかないとさすがに厳しいですけど)

やさしく、面白い語り口で読ませます。

内容はですね、ま、まぁ、「くつがえす」とまではいかないにせよ・・・経験上、こういう手合いの気合い入ったタイトルって編集者が無理矢理つけちゃうことが多いです・・・、 ホントに常識が「くつがえってる」のもいくつかありました。

中でも「狩野一信」の項目には驚愕しました!

狩野一信といえば、伊藤若冲だの曾我蕭白だの、いわゆる「奇想派」といわれている(※この本の中で、そんな派閥といえるものはない、といわれてるわけですが)グループのなかに入るんじゃないかと思われてますし、じっさいに腋毛、胸毛とムダ毛をおもいっきり描き入れた濃すぎるオッサンの肖像で有名ですよね。ここまでムダ毛にコダわりのある画家は日本絵画史上、稀だと思います。

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世界美術史の中でもトップレベルにムダ毛好きの画家とよんで良いとおもいますし、それゆえ苦手すぎる画風なので完全スルゥでしたけど

(下品は下品でも、フランシス・ベイコンの下品はOK、でも狩野一信の下品は僕にはNGなんです)



この人を「狩野」一信とよぶ根拠自体が文献学上、認められない。現時点では存在しないという安村氏の指摘には驚愕しました。

それこそ、このムダ毛LOVEの何処が狩野(派)なんだ、と思ってたわけですが、その「カン」って当たってたようです。狩野派ってたしかに広がりはありますけども、エスタブリッシュメント専用の御用絵師ですからね。

いちおう”狩野”一信も、五百羅漢図を江戸時代最大のエスタブリッシュメント、徳川家の菩提寺の一つである増上寺に収めてるわけですけども(一説に1854年ー1863年にかけて制作)


それで話がもとにもどります。

ウィキなどにも、逸見一信(へんみ かずのぶ)と呼ぶ説もある、程度だけれど、記述がありますね。

この逸見の姓も一信さんがお兄さんと争い、家を飛び出た時、橋の往来で神田在住の占い師だった男(逸見の姓の持ち主)に「なんかデカいことをしでかす顔」と見込まれた、と。
それで彼の長女(やす、のちの妙安)と結婚させられて得たものだそうな・・・・とかゴシップがついてまわる人です。
歌舞伎みたい。


しかし、狩野の名字を名乗ることを許されたと確証する資料がない以上、やはり狩野ではなく逸見一信と呼ぶべきという主張は正しいでしょう。

狩野一信と呼ばれるようになったのは明治時代の美術史の大家・大村西崖による「狩野一信伝」(1894、京都美術協会雑誌27号収録、らしい)が最初だそうで。

この記事のなかで、大村は、一信の妻で画家でもあった妙安(みょうあん)のインタビューを収録してるんだけど、ココにおいて、妙安は功名なウソを付いてるようです。

彼女は(この前、全幅が展示された)「五百羅漢図」全百幅について残り4つまでを”狩野”一信が仕上げたと告白してるんだけど・・・実際に一信が描いた、もしくは、関わっていたのは80点ほどだったのではないか、といえるのだそうです。

安村氏によると、それはキッチリと80番目まで、だそうです。
根拠は彼の鑑識力ですけど、「残りの81番目以降は背景の描写が淡泊になるなど、だんだんと画の力がおとろえ(どうじにアクのつよい描写も影を潜め)、90番以降はトクに稚拙な表現が目立ってしまう・・・」という指摘を安村氏はしているんですよねー(本書235ページ)


ここらへんの「感想」には僕は現物を見ていないので何とも賛同できないのですが。
いやー見ておくべきでしたね。

ここまでは本書に書いてはいないにせよ、「狩野」の姓を名乗ったの件についても、亡き夫の評価を高めるために妙安が・・・・・・ということは十分に考えられるかもしれませんね・・・

絵画って趣味で見にいったりするところが多いのだけれど、急にブームがやってくるタイプの画家は、作風がたとえ趣味でなくても展覧会に足を運ぶべきだな、と思われました。
このように興味深い事実が隠されているんですもの・・・。
by horiehiroki | 2013-05-29 12:11 | 読書 | Comments(0)

今回はすこぶる濃い内容でした。

しかも映像が美しかった。

ライティングがすばらしいですねー!



八重の弟の三郎も亡くなってしまいましたが、神保修理(じんぼ しゅり)さんの悲惨な最期が、今回のメインの一つだったかと。

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神保長輝(ながてる)さんのことですね。

修理ってのは珍しい名前と思われたかもしれませんが、性格には名前というより、呼び名…的な。

武家官位というやつでございます。

「長輝」は諱(いみな)で、それはある意味「忌み名」なんです。
江戸時代も後半になれば若干変化があったかもしれませんが、
この諱で呼び合うことは基本的にありませぬ。

戦国時代のドラマなどなら「信玄ー!!」「信長ーーー!!!」とかいってますけど、道義的にNGです。すくなくとも生前の人を諱で呼ぶのは×

幕末でいうと、坂本龍馬も本名≒諱 は 直柔(ナオナリ) です。

ナオナリー!!!って呼んではいけませんから、龍馬なんです。


彼の場合は脱藩浪士格ですから、龍馬という通称でよばれた背景もあるでしょう。
幕府もしくは藩に武士としての籍がある場合・・・たとえば神保「修理」さんみたいな場合、ある「役職名」で呼ばれるんですね。本人の希望を尊重したHNみたいなもんです(w

「◎◎守」とか。

ウチの母方の先祖の一人が江戸時代の文献によると「備後守」を名乗ってたそうで、あんまり関係ない所の地名なのになぜ?!って思ったのが僕が江戸時代とかについて調べ始めるきっかけでした。

武家官位のことは本来、簡単には語れないのですけど、ものすごくザツクリお話しますと、もしくは大名、旗本など、さらに神保さんなど「上流武士」の場合、武家官位とよばれる”タイトル(呼称)”を持ってる場合があるわけです。西洋の貴族の爵位みたいなイメージでしょうか。

ただし、これが君主から与えられた爵位、官位とはまた別というのがポイントなんです。

浅野「内匠頭」とか(大名)、吉良「上野介」(高家、身分は上流武士のひとつの旗本格にすぎないけど、大名と同じ扱いをうける)とか、あとは大石「内蔵助」(大名の家臣の上流武士)とか。

そういう感じ。


で、神保修理さんは(戦況がヤバいので)慶喜、そしてカタモリさんに「恭順を説いた」、と。

この人は鳥羽伏見の開戦あたりから一貫して恭順主義者でした。

その中に「兵をだまし、軍艦にのって」までして「江戸に帰れ」というのはなかった、と(思われます・・・このあたりの資料みてみたいですね)


ともかく、慶喜さんとカタモリさんは(榎本さんに持ってこさせた)軍艦にのって、兵が撤退中に、大坂をヌケだし、江戸に戻って来てしまった。

ーーーここの判断、上様として、どうなんでしょうか。

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錦の御旗、作り物とわかっていながら、朝日が昇るのをみた吸血鬼がギャーってなるのと同じくらいのアレルギー的反応で、幕府派は逃走した、というつくりになっています。

朝敵は必ず負けるってのがいちおう常識ではあるけど、たとえば北条政子。この人は朝敵にされた鎌倉幕府の面々を鼓舞して、けっきょく戦争に勝ち、武力で朝敵の汚名を返上してるんですけどね。(例の、演説を怯える武士たちを前にブチかましたっていうヤツですよ)

これまで一度も朝敵が勝ったことはなかったというジンクスをはね除けられたわけです。

幕末の軍艦での逃走は、そういう史実があるにも、かかわらずなのです。

でも、今回は(映像化されてませんでしたが)、鳥羽~の戦いで敗走する兵を、三代将軍・家光の乳母・春日局のコネで取り立てられて以来、譜代大名の名門として知られてきた稲葉家、それも幕末当時、幕府の老中である人が受け入れ拒絶したという大大大事件が起きてるんですねーーー・・・

ここらへんは、ラストあたりで、カタモリさんに江戸城に出入り禁止! おまけに江戸からも出て行って!っていいだした慶喜さんの言動の中で、「老中を解任」というのがありましたが、そこらと結びつくとおもわれます。

ーーーーまぁ、朝敵になるのを恐れたというか・・・幕府は駄目だという意識でしょうか。


岩倉辺りがつくった”ニセモノの旗”に尻尾まいちゃうという。


この淀藩が淀城の門を開かなかった事件。実はホントに重大なんです。

三郎さんが戦死する直前の
「味方が大砲をいかけてきましたーー!!」ってセリフのあたりの
津藩の裏切り。


これらの二つの裏切りがいっきに幕府軍をダダ崩れにもっていっちゃったわけなんですね。

ようするに、政子さんみたいなカリスマが幕末の江戸幕府にはいなかった、というね。

で、



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「朝廷」とか「家訓」のキーワードにきわめてよわいカタモリくん。
ときめきなんちゃらのヒロインかって話ですがw

オスカル慶喜に「朝敵にされる! いいのか!」ってビシッといわれると、ガクガクブルブルッとなって落ちちゃうわけです。


で、(恭順を進言した)神保さんの名前をつかって色々いわれるとね。


(ここらへんも幾ら慶喜さんだけを悪者にしても、やっぱりカタモリさんの現状認識も甘かったといわざるをえない)

(今回みたいに映像で見せられるとやっぱり降伏しかないかも・・・っておもうけど、責めに転ずるのであれば「今しかないでしょ!」だったはずという気持ちはある)

(しかし、いずれにせよ、ぼくは当時に生まれなくてよかったと思う・・・。あんな判断したくありませんもん)


しかし、江戸に戻ると、激怒した兵たちに取り囲まれる、と。
大名ないし上流武士はタマの飛んでこないところにいられますが、それは一番大事な責任を取るために生きていなければいけないから。兵たちの怒りの矛先だからです・・・

こうして大変な状況に巻き込まれた神保修理とカタモリさんがね。

語るわけですよ。

ドラマの醍醐味でございます

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史実ですと、修理さんはカタモリさんに面会出来なかった、らしい。
また、勝海舟が動いて、慶喜をつかって助命嘆願を出そうともした、らしい。
でも、修理は亡くなりました。


ダイジェスト映像を見てると、いきなり暗闇で向かい合ってカタモリさんが修理さんの手をとるシーンから始まっていきなり不審ですけど(笑、実際の映像で見ると、泣けましたねー。

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最後の最後に責任を取る・・・いや、事態を挽回しうるのは殿=カタモリしかいません。

ホントにワルい男に翻弄されまくるヒロイン気質ですけど。
てゆうかいつの間にか嫌われ松子状態w
嫌われ松平カタモリ

しかし、その殿であるカタモリくんを理解し、愛し(ココ重要)、カタモリくんを生かすために、彼の命を守って、彼に可能性をあずけて、修理は切腹していくわけですよー。敗戦の責任を取るために、ね。

このシーンがね、「BL大河」とかいってた「天地人」とかハナで笑えるくらいの、クオリティの高い映像でした。

これは外国人が見ても「OH」ってかんじでしょうよ

女子をヒロインにかかげた「八重」にこそ、その他の大河では足元に及ばない「男たちの絆」クオリティが実現されたというね。

ヒロイン・八重にはまったく関係ないってのがご愛嬌ですけども。


僕は泣きましたよ。

なお、↓はウィキから抜き出しましたが

(カタモリは)藩兵組織と教練方法を西洋化すべく、長輝に視察を命じている。その改革によって教練を受けて生まれたのが、白虎隊である。

とのことで、これからも再現映像なんかでチラチラ出てくるかと思いますが。・・・・


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(おまけ)

戦争になるとすごく楽しそうな人たち

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-05-27 01:51 | 大河ドラマ | Comments(0)

ヘルムート・ドイチュ

ヘルムート・ドイッチュという名前の優れた音楽家は二人、いるそうです。

ひとりは歌曲などの伴奏ピアニストとして有名な方。鮫島有美子さんのパートナーの方です。

もう一人は、天才的なパイプオルガン奏者。

なお、シューベルトの作品は、たとえばD.960みたいなかんじで表されるんですが、これもドイッチュのDなんですよ。でもこのDは、オットー・エーリヒ・ドイッチュから来てるというね。

国の名前の姓名ってわりと多いものなんでしょうか…。

今日はオルガニストのヘルムート・ドイッチュ(パンフなどの表記ではドイチュ)さんの演奏を聞いたけど、とにかく、たまげました。
ときどきピアニストには自分のピアノを持ち歩くヒトもいますが、オルガニストでそれは不可能。
ホール全体がパイプオルガンの一部だからです。
パイプオルガンを「鳴らす」ことはホールを熟知するということでもある。
しかし、彼の場合、おそらくは短いリハーサルの時間の中で、完全にコンサートホールのオルガンを自分のものにしていました。

オルガンは一台ごとに個性があり、そのオルガンと仲良くできるかが鍵だそうです。
武蔵野の楽器は比較的「素直」なのだそうですが…
武蔵野のホールのオルガンを何年にもわたり、何度も聞いてきたけど、あれほどあの楽器が華麗に鳴り響いたのは記憶にありません!
すごいヒトがいるものだと思いました…。
by horiehiroki | 2013-05-25 01:48 | 音楽 | Comments(0)

毎年初夏~夏にかけて、バレエの放送がたくさんあるんですが
今年は少ない気がします。
それでも久しぶり(?)に地上波でバレエ番組がありまして、それがNHKバレエの饗宴2013でした。
内容はバレエ版・紅白歌合・・・じゃなくて、ニューイヤーオペラコンサートのバレエ版みたいな感じですかねー。


■番組の内容


「コンチェルト」小林紀子バレエ・シアター、ピアノ:菊池洋子

「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」橋本清香,木本全優

「春の祭典」東京バレエ団

「ラプソディ」吉田都,ロバート・テューズリー

「コッペリア」東京シティ・バレエ団

「白鳥の湖」中村祥子,ヴィスラウ・デュデック

みたいな取り合わせで、ダンサーだけでなくてもピアニストの菊池洋子さんに出演してもらってるところとか人選になかなかの炯眼が光ります。

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菊池さんはドレスのセンスが素敵です


菊池さんはすでに何枚もCDをリリースしておられますが、たとえばデビュー盤のモーツァルトの録音などから想像してると、まったくレベルがちがう、それは深く豊かな音楽性の持ち主に現在はなっておられます。先日、実演に接しましたが、次世代の音楽史を担うピアニストになられるのでは、と期待しています。


で、東京バレエ団は当然のようにベジャールやるんだけど、これまでキレイ、キレイ、キレイでしょう?な、「いかにもバレエな世界」の流れの中にとつぜん「春の祭典」をブチこんでこまれても・・・とか思いました(笑
いや、熱演なんだけど、明らかに異質。

ネットでも一人歩きしてますよね。


ベージュの衣裳を全裸?!とビックリしたとか(→以前の紅白でもこういうネタがあった)、
アレが透けてるとか、
明らかにセックスを模した振り付けとか。


ま、たしかに世間の常識でいうと、「春祭」はやりすぎ感ただよう振り付けだと思う(w
劇場でみたら、異化効果で、アレも爆発的なエネルギー!とかに脳内変換されるんだけど。
でもテレビでみたら、やっぱり「透けてます…」とか思ったのも事実(w

でもさー、そういう素朴すぎる感想を聞くと、バレエ自体が冒涜されたような気になるから、はじめてベジャール作品を見るヒトにも「あっ、モダンバレエもいいなあ!」って素直に思ってもらえるような作品をお願いしたかった。

ベジャールでももう少し違うのやってほしかったなー。

ソレで、今回、この記事を書こうと思ったのは、最近の日本人ダンサーの活躍について、などなどについて考えたからでございます。

吉田都さんはぼくが色々書かなくても、ほんとに別格。

振り付けを演じる「だけ」の、彼女自身の言葉でいえば「台詞で言えば棒読み(みたいな踊り)」とはまったくちがう、演技が出来る人なんだけど、確実に日本人(&アジア人)の踊りの範疇には嵌らないな、とも感じました。

たとえば今回はロバート・テューズリーとの「ラプソディ」でした。しかし、某動画サイトで拝見できる「ラプソディ」はロイヤルバレエでの、佐々木陽平さんとのデュオだったんですよね

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つくづくパートナーによって女性のダンスって「違い」が出ますよな

佐々木氏も優れた、美しいダンサーだったとは思うんだけど、やっぱり都さんの勢いに翻弄されてましたわ。都さんを踊らせられてない。

今回のNHKバレエの饗宴でも顕著だったみたいに、アジア系の男性ダンサーってやっぱり華奢で細い。

女性はちょうどいい細さなんだろうけど、男性の場合・・・それも王子さまに代表されるクラシックバレエの男性主役となるには、自分がひとりで踊ってる時間の他に、女性主役をリフトしたり、サポートしたりしてうまく踊らせるだけの筋力(これがかなりの負担になるとおもう)が必要になってくる。
これが難しいんだろうなー・・・という気がするわけです。
熊川さんにつづく国際的な名声をもつ、主役級の日本人(ひいてはアジア系)男性ダンサーってあんまり知らないんですけどね。それには体力的な問題が非常にからまってる観があります。。

前にサンフランシスコのバレエを見た時も、いろんなエスニシティ、ひらたくいえば人種、肌の色の人々が活躍してて凄いとおもったけれど、たとえば我々の中で、黒い肌をもつ白鳥や王子さまが完全にOKということになれば、バレエダンサーの勢力地図ってかなり変わるでしょう・・・。

もはやそれは人種差別的なことではなく、TPOのセンスだと。
たとえば、白人の実力派ダンサーでも「白鳥」でいうなら魔王ロットバルトしかできないのはただの個性派。主役の王子さまが出来てこその主役級ダンサー、みたいな下りが山岸涼子の漫画「アラベスク」にも出てきたと思います。

個性の問題。

現代日本で、ケーキやパフェをたのんだり、ピンクのTシャツを若い男性が着ていても後ろ指をさされなくなくなったのと同じ、感性の変化さえあれば、ホントにいろんなダンサーが生まれてくるでしょうね。


前に「クロワッサン」という雑誌の中で、ファーストポジションって映画について(文字数のかげんでホントに少しだけ)書いたのですが。
色んな肌の色のダンサー志望が登場するんだけど、彼らの中からプロのダンサーが登場し始めるときにはそのTPOのセンスに変化が生まれてきてるかもしれないなーって思ってました。
そもそも身長が高すぎると(相手の男性ダンサーとの釣り合いがあって)、バレリーナにはなれないなんて僕らのこどものころはよく聞きましたが、バレリーナの巨大化は最近進む一方です。
今回のラストに出てきた中村祥子さん(ベルリン国立バレエ団などで演技)も、かなりの高身長でした。
ただ、彼女の場合、その恵まれたプロポーション、長い手足をつかって、小さい華奢なだけのバレリーナには出来ない表現をするんですよねー。


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画像はこちらから拝借


黒鳥と王子のパ・ド・ドゥを演じてたんですけど、その時の手足の動きは、大きな鳥の羽ばたきを感じさせるものでした。
・・・まぁ、欲をいえばポーズからポーズに移動していくときの安定感がひじょーに乏しいとはおもうんだけど、ピタッと止まるべきところはとまれる筋肉の強さもあるし、たとえばアラベスクとか、そういうポーズが人一倍にキレイなんですよね。
今回初めて名前をしったけど、今後期待の女性だな、と思いました。



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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-05-23 01:31 | 観劇 | Comments(0)

最近、確実に毎週見てるドラマが「八重」と「あまちゃん」、「遺留捜査」だけ、というホリエでございます

ごきげんよう

これ、いいんですよー

いっつも30分過ぎた辺りで、いったん事件は解決したように見えるわけです。

でもそこからの15分で、大どんでん返しがはじまるという完璧な様式美。

しかし様式美と聞いて想像しがちなマンネリ感はまるでナシ。
最後の最後まで話が転がり続ける感じで、「へぇぇー」と納得させられるわけです。
そしてほのかに指すのが救済の光とか。ね。

この前の(画家の)ゴーストライターの話も「へぇぇー」そのものだったし
今日の殺人偽装の話も「へぇぇー」でした。

小田和正のうたうエンディングテーマききながら
「人生って、一度ボタンを掛け違えるとこうなっちゃうんだよねー」とか毎週、平和なお茶の間の人間にいわせちゃうわけですよ。

これだけの内容を毎週続けていける脚本家さんの才能はすごい。

しかし、このドラマ枠、CMがわりと激しくて、、「へぇぇー」の延長線で見てたら、汚れたイレバ(のイメージ映像)とかリスキーなものがドーーーーンって出てくるから油断ならないわけですけども(笑
by horiehiroki | 2013-05-23 00:53 | テレビ | Comments(0)

大型家具の搬送 その2

大型家具の搬送の結果ですが、無事、ソファ(1)の搬入は終わりました。

福山通運がよい仕事をしてくれました。
営業所を検索、電話して、見積もりを出してもらってコールバックしてもらって・・・というイメージです。
多少それに時間がかかりましたが、対応は悪くない。
値段も時間指定可能で、時間指定しない時の佐川とほぼ同額でした。
当日、「駄目もとですが、先方に一時間早く行ってみた」とのことで、ドライバーさんの都合で早くなることなどはあるようですが。
個人的には、じゅうぶんお勧めできる範囲の誤差だと思いました。

あと、他のチェストの搬入時でも痛感しましたが、やっぱりプロが全部してくれるコースのほうが(金額倍額とかでないかぎり)いい。完全に任せたほうが間違いがありませんねー。

とりあえずの御報告まで。
by horiehiroki | 2013-05-23 00:08 | 日々 | Comments(0)

八重の桜(19)~

今日は、ちょんまげでベルばら・オスカル様風衣裳の慶喜さんにハラハラさせられました…。
頭はマゲのままですし。

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ばらは、ばらは美しく散る… そしてつねに他人事。

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ガクガクブルブルが止まらない(※毎度の御約束)


あのフランス式の軍服なんですが、わりと史実です。
ただ、ああいう服装をしてたのは事実なんだけど、和宮はすごくいやがったり。
そもそも幕府はフランスと手を結んでおり、だんだんと江戸城の軍政を中心に西洋風のよそおいなども入りこんできてたんですね。
それを和宮や天璋院(篤姫)はものすごく嫌がりました。
戦争が最終局面にさしかかり、もはや徳川存続事態があやういということになった時、和宮(そして篤姫)に、なんとか皇室にとりなしてほしいと江戸城入りする慶喜なんですが…………

和宮は、あんな軍服を纏っていた男とは面会できないというようなことまで(最初)言ってます。

(会えないポイントはそこかい!っていうツッコミはナシ。ヒトを操る才能に長けており、また大奥では悪評の高い慶喜にたいし、和宮は面会を拒絶することで自分のペースを掴もうとしたのだと)


なお、ベルばらではオスカル様があの手の軍服を来てるけど、あれは実際のところナポレオン時代以降のフランスの将校用の衣裳なんですよね。つまり革命前には着てるわけもない。

それはともかく、鳥羽・伏見の戦いについて整理しましょうか

世界大百科事典によると


鳥羽・伏見の戦

戊辰戦争最初の内乱。

王政復古ののち,西郷隆盛や大久保利通らの討幕派は,公議政体派を抑え,将軍徳川慶喜に辞官納地を命じた。


(※これが前回までの内容です)

これを受諾しない慶喜は大坂に退いて主導権回復を策し,また新政府内部でも慶喜と妥協する公議政体派が勢力を回復しつつあった。



(※ここが、今回のドラマで、二条城から裏口を通って脱出、というあたりです。公議政体派というのは改良型の幕藩体制を支持する人たちのことで、ドラマでいう岩倉さんみたいに「皇国を更地にもどして・・・」なんてことは現実的ではないと思う人たち。つまり、フツーの感覚の持ち主です)

危機感を強くした西郷らは,関東で挑発を工作し,これにのった幕府は,江戸の薩摩藩邸を焼討ちし,挙兵入京を決め,1868年1月26日(慶応4年1月2日),幕兵,会津・桑名両藩兵ら1万5000人を鳥羽伏見街道から北上させた。


ココを補足しますね。


いわゆる江戸の「薩摩藩邸焼き打ち事件」について。


1867年(慶応3)10月ころから、西郷隆盛の指示で小島四郎(相楽総三(さがらそうぞう))らは浪士数百名を同藩邸に糾合、「御用盗」なる名目で市中およびその周辺で辻斬(つじぎ)り、強盗火付けをはたらき攪乱(かくらん)工作を行った。

この挑発行為を憤慨した市中取締の庄内(しようない)藩兵を中心に幕府・諸藩兵は、12月25日早朝薩摩藩邸と支藩佐土原藩邸を襲い、焼打ちした。薩藩留守居(るすい)役篠崎彦十郎(ひこじゅうろう)ら数十名が闘死、浪士取締益満休之助(ますみつきゅうのすけ)は捕らえられ、伊牟田尚平(いむたしようへい)、小島らは藩船翔鳳(しようほう)丸で兵庫まで逃走した。この報が大坂城中の旧幕臣、会津・桑名藩士らに伝わるや鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いが始まった。〈原口 泉〉 →日本大百科事典より


・・・んですけど、要するに薩摩藩が江戸であばれまくったと。
ドラマでもあったけど、アヤシイ人たちが薩摩藩邸に入っていったと。それを庄内君が見ていたと。
ついに我慢ならんということで、薩摩くんの子分(笑)のさどはら君の家まで燃やされた、とw
葵学園で有名な(?)光景でございますねw


それはともかく、このコトで内戦が始まったんです。この内戦を戊辰戦争といいます。
その一番最初が、今回のドラマのクライマックスの鳥羽・伏見の戦いなんです。……ああいうナマナマしい描写だと足がすくんで戦意消失しそうです。




新政府も大久保らの強硬論によって4000人の薩摩・長州両藩を中心とする兵を出した。両軍は,1月27日に鳥羽と伏見で衝突し,装備にまさる新政府軍が幕府軍を1日で退却させ,淀藩や津藩の寝返りによって,30日には戦闘が終了した。この結果,新政府内での討幕派の主導権が確立し,西国の大名や大坂の豪商らが新政府支持に踏み切った。 


要するに人数は多かった幕府軍だけど、密貿易とかで稼ぎまくった薩摩の金の力をつかった新装備に負けてしまったというお話です。
なお、これらの(実家)薩摩の暴走に、江戸城大奥の篤姫は非常に心を痛めていました。


しかし、この時、幕府は小さな争いで負けたのではなく、たとえるなら大きな支柱を破壊されてしまいました。

これまでは外国諸国に対しても
「外交は(なんだかんだで正式政府である)われわれ徳川幕府が仕切ります」なんて言ってるシーンがあり、そういう風に扱われてきました。

なお、この事件の前年の慶応三年(1867)、パリで万国博覧会が行われました。見本市みたいなイメージです。日本も出品してるんですよ。でも幕府が日本を代表して出品するっていうのに、薩摩などが勝手に自分は自分で出品しちゃってる。外交の窓口になろうとして、必死に暗闘しつづけてきたんですよね。

そして今回のドラマ。

敵を目前として「先に鉄砲を撃たないこと」に会津藩の人々はこだわっていましたよね。

一部の藩が内乱を起こしてるだけ、というのが幕府のオフィシャルな姿勢でしたから。

タテマエ的には。

幕府からみれば、都の治安を乱してる薩摩に対し、「勅令」をかかげて、入京しなおすことは作戦だったんですけど、薩摩は「とおしません」という。
この小競り合いが発砲事件に発展、戦闘が行われるようになったのが鳥羽・伏見の戦いですが、規模はともかくこの戦い負けることの大きさがわかりますよね?

幕府ー・・・

ドラマでは今日までの内容が慶応四年の1月3日、4日までの話。

鳥羽・伏見の敗戦で逃走した幕府軍は、”味方の中の味方”にも裏切られはじめます(・・・・というのが来週のドラマの内容かと)

なお、ここからの約二週間で、日本史は一気に塗り直されてしまっています。恐るべきスピードで変わるときは変わるんですね・・・。


さて。


今回は身分が高い方とその他の人々がえらく親密にコミュニケイトしておりました。八重と竹子さんたちの元に照姫さんがあらわれたり。

いくら非常時とはいえ、あそこまでエライ人にお目通りは叶わないんだけど、そこらへんはまぁ、ドラマだからさあ。

竹子さん(黒木メイサ)が、歌を読んでましたけど、言い伝えでは、あの歌は彼女が戦死する時の歌なんですよね。

竹子は辞世の句として有名なあの歌を。 ・・・とNHKの公式HPにはございますが。

今回みたいな形で詠みだしたほうが自然といえば自然な気もする。

ウィキペディアを見たら、わりと流通してる晩年の写真ではなく、比較的若い時期とおもわれる八重さんの肖像写真が載ってますね。↓
少女時代から米俵を持ち上げてたというパワフルさもかんじられるけど、はにかみやさんな所も透けてみえるようないい写真だと思います。

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そして、ちょっと面白かったのが、

>以前は会津籠城戦前に(川崎)尚之助と離婚したというのが通説となっていたが、実際に離婚手続きが取られたのは明治4年(1871年)旧暦12月のことである。

だそうです。参考文献としてあげられてるの読んでみようかな。
by horiehiroki | 2013-05-20 00:26 | 大河ドラマ | Comments(0)