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「貴婦人と一角獣展」

六本木まで「貴婦人と一角獣展」にいってみました。
中世フランスで作られた、タペストリーを中心とした展示で、名品はありますが、そこまで点数はおおくない。

1時間弱ほどあれば、余裕で見ることができます。

が、展覧会に充実感がないかというと全然違う。

さすが「タペストリーのモナリザ」といわれるだけあるなぁ、と。
それもこれも、タペストリーの織られ方がめちゃくちゃ丁寧で、
贅沢な糸の使い方をされてるため、他の同時代の作品にくらべてもおどろくくらいに
人の表情が美しいんですよ!

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たとえば「芸術新潮」の表紙でも女性の顔や仕草がクローズアップされてます

しかし・・・現物をみたら印象がまったく変わりましたね。
女性の顔じゃなくて、服に目がいくように作られてる。
そもそもタペストリーの中心になるのは6枚のタペストリーともに、女性の顔じゃなくて、服もしくは布なんです。

タペストリーの四隅から対角線を伸ばすと、女性の顔ではなく胸のあたりで交差します。

で、この胸=からだ=ドレスがいちばん目立ってるんですよね。
ドレスの光沢感をだすために顔の何倍も細かな、しかけがなされてるんです
繊細な糸の使い方で布の輝きを出してたり。

さらに縮小され、さらに印刷された画像ではどうしても全体の印象が、オリジナルの巨大なタペストリーとは別ものになる傾向もあるかもしれません。
貴婦人と一角獣のタペストリーは、奥行きがない世界です。人物とその周辺はやや立体的に描かれてるけど、背景の草花や動物は重力や遠近法を無視して、まっかな溶液のなかにたゆたうような感じ。
本展では同時代のタペストリーも展示されてるので分かると思いますが、タペストリー全てがこのような仕掛けになっているのではないのです。
ポイントは描かれてるものによると思います。
歴史的事実を描いた絵画はすべて遠近法や重力の法則に従ってかかれています。いわば写実的な油彩画の延長線上。

一方、この「一角獣と貴婦人」タペストリーのように、あるイメージ……ある概念・寓意を描こうとした作品には、重力だのなんだのこの世の法則を無視する傾向が見られます。

そうかくと、なんだかモダンアートのようにも見えてくるし、概念っていうと、現代哲学っぽいけど、実際、ヨーロッパの中世文学を読んでみると、「愛」とか「若さ」とか「美徳」とか、そういう抽象的な概念が、たとえば夢の中で、擬人化された姿で登場し、主人公と語り合うなんてシーンがたいそうよく出てきます。
中世13世紀フランスの寓意的な文学にして、各地でヒットしたとされる『薔薇物語』なんてのはその極地ですね…。
詩人は夢の中で「薔薇」に恋をするけれど……といきなり恋愛の対象自体が概念というか寓意というか……と、われわれの感覚では何が、どう、おもしろいのかちょっと難しい”名作”だったりするわけです。教訓を多く含んでるのは分かりますが。

時代がとびますが、一角獣と貴婦人のタペストリーシリーズは15世紀末(1484年から1500年頃)といわれる時期に作られています。やっぱりこのタペストリーに漂う、夢のような曖昧さはこのタペストリーが「寓意画」であることを教えているなー……と。


しかし、その「寓意」がなにか、というのが今となってはサッパリ分からないため、20世紀になってから、人間の五感(聴覚とか視覚とか)を表してるんじゃないか、とか説が唱えられるようになったようです。
でもね、基本的にそれは間違いではないと思うけど、そこまで読み解くべき寓意、読み解かねばこの作品が理解できないような寓意はないようにも感じました。

ショパンの恋人だったジョルジュ・サンドがこの作品を見て、感銘をうけてるんですね。
彼女は「女性が美しい。まるで妖精のようだ」といってます
それくらいのシンプルな反応こそ向いてる気がするんです。

あとこの作品の実物から僕が感じたのは、知性と財産の誇示ですね…

フランスには二種類の貴族がいました。
というか、あちらの場合、「ホントの貴族」といえるのは十字軍以前から続く家柄で、剣をもって国王に奉仕する軍事貴族たちのことです。逆にいえば彼らが結託すれば国王などひとたまりもない強大な権力と財力を持った存在で、いわゆる”剣の貴族”。
一方、このタペストリーの施工主とされるル・ヴィスト一族などは、実業で得た収入をもとに子弟に勉強をおしえこみ、彼らの法律の知識などなどを生かし、実務官僚として国家や宮廷にポジションを得た”法の貴族”たちです。
いわゆる法服貴族。「法の精神」なんかを書くようになる、モンテスキューとかそういう人たちですな
商売で金をかせぐことは中世のカトリックの考えでは御法度。ですから、軍事貴族たちには法服貴族は成り上がりと蔑まれる存在でもあったわけ、ですが、このタペストリー全体からただようのは、成り上がり貴族のただならぬプライドと気迫ですわ。

いちおうこのタペストリーを作らせたのは、シャルル7世の宮廷の有力者だったとされる、ジャン・ル・ヴィストで、その証拠としてジャンの使用していた紋章が執拗に織り込まれている、と。

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※シャルル7世・・・ジャンヌ・ダルクに助けられ、即位したフランス国王

さらに考えてもみてください。”貴族の城をかざるフツーのタペストリー”とは内容的にも、飾りの細かさからも、似てまったく非なるもの。ステイタスをこれでもか!!と示すようなものになってるんです。

ここまで”紋章”が強調されたタペストリーは少ないともいわれます。タペストリーに貴族がその証である紋章を組み込むことはあったところで、たしかに「一角獣~」には紋章だらけ。
さらにその紋章は紋章をいかにデザインすべきかを考える紋章学のタブーを堂々と犯したものだったり……
これもある種のプライドでしょうね。”伝統”への反抗心ってもいいかもしれない。

そもそも、この女性や女性の脇にひかえているライオンや一角獣自体が、真の貴族たる剣の貴族や国王なんかの紋章にも多用される格の高い存在だということを考えてもみてください。

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これは現英国王室の紋章です。


17,18世紀なんかの時代ならともかく、まだ(真の)貴族様のご威光いちぢるしかった中世に、いくら金持ちでも先祖が「羊毛業者にすぎない」、「ただの」新興貴族にはウチも使っていいっすか?なんて到底いえない、手の届かないモンなんですよね。

そもそも、「わたしの唯一の望み」っていう天幕が”描かれた”一枚があります。

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天幕(パヴィリオン)を紋章学的に考えると、国王以外にはあまり使用例がないくらいに高貴なもの、なんですわ。

まー……だいそれたことをしたものです(笑)

しかも、封建社会まっただなかの当時に。

ようするにタペストリー自体が彼らのプライドを表していると。


これを考えると、絵の中心にあるのが人間の顔ではなく豪華な服であることも説明がつきます。

近現代のアートおよび、その美意識は人間中心、顔面中心の世界でした。

人間がかかれてたらその人中心で絵画を見たり、さらにその描かれた顔を中心にして物事を考える傾向があるわけです。芸術新潮の表紙もその表れだったり。
だけど、中世では描かれたヒトよりヒトのステイタスを示す何かこそ大事にされた作品っていっぱいあるんですよね。

しかし、「わたしの唯一の望み」の画像を見てると、宝石を身から外そうとしている(……とぼくは思うんだけど)女性は、その後、天蓋の中で裸になるんじゃないか……と。

18世紀のアントワネットが、オーストリアからフランスに越すとき、両国の中間地点に立てられたパヴィリオンの中で、オーストリアから着てきたすべてのものを脱ぎ捨て、フランスが用意した衣服に着替えた…というエピソードをなんとか思い出すような。

施工主ヴィスト家の男性の妻とおぼしき女性が、このタペストリー連作の中に、いるそうですが。そもそもこの連作タペストリーが戦争をテーマにしたものから、愛をテーマにしたものになったのは、ジャン・ル・ヴィストの妻の意見が反映されてるとかなんとか。

だからこそ、この「わたし(ジャン)の唯一の望み」それは「貴女(妻)なんだよ」という。

まぁ、こうなると寓意もへったくれもなくて、愛する女性へのストレートすぎる愛の告白ですけども。




フランス国立クリュニー中世美術館には一度足を運びましたが、その時の印象ともまったく違う何かを今回は感じました。

面白かったです。

みなさんもぜひ、この美しい”謎”にぜひ対面してみてください。

展覧会は7月15日まで、六本木の新国立美術館にて。
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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-06-29 10:19 | 展覧会 | Comments(0)

FRIDAY  7/12号


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講談社 FRIDAY  7/12号の特集「学校では教えてくれない セックス日本史 昔の日本人はこんなにエロかった」に談話がゾロゾローっと出てますw



復活サザンが表紙。




内容はご想像どおりです♥

子どもは読んじゃダメ♥




70ページから、6ページ位にわたるけっこう長い特集です!

もっと詳しいコト知りたい人は、「愛と夜の日本史」買ってください

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百人一首 うたもゑ

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by horiehiroki | 2013-06-29 09:00 | お知らせ | Comments(0)

園芸とスシド

最近、時間を捻出して園芸にいそしんでおります・・・
園芸を趣味にしてるヒトはポジティブになれるそうですが
どうなんでしょーかw

僕自身はその実感はまだ、というか、これからなんでしょうけど。

ホームセンターなどで苗を買ってレジに並んでると、ほぼ毎回(有閑なかんじの)奥さんに話しかけられます。

昨日は挿し芽に挑戦☆ って奥さんが土を買おうとしてたんですけど、

奥さん「あらっ朝顔。いいわね。わたし◎◎を挿し芽してみようかしらとおもってるんだけど。難しいわよねー?」

「そうですねー1本しか根付きませんでした 栄養のない土を挿し芽には選ばないといけないらしいんだけど」

奥さん「あらっ これ栄養入ってる土みたいだけど」

・・・・・ということで、レジの列にエンエンと並んだ末の会話がコレでしたので、ピンチな私でしたが、ここらへんがポジティブな園芸ファン特有の対応

「ま、まー、根付くときは根付きますよー」
「そうよねーーー」

ってそのまま栄養たんまり入ってる土を買っていきました、その奥さん

グッドラック、◎◎の草






それはともかく、このブログでも前に紹介したネコカヴリーノのSさんに来てもらって玄関脇の植樹を新しくしました!

それで、さっきまでかかって朝顔の苗を鉢植えにしてみてた、んですが。
きづけば琉球朝顔と西洋朝顔だそうで、

しかも西洋朝顔は満開になるのが秋とか。
琉球朝顔はタネは出来ないので、株を越冬させて来年も育てられるのだそうです。

朝顔といえば夏と共に来て夏と共に去っていく気がしてたんだけど
最近の”主流”と感覚違うなぁ…

今年は苗買うのが出遅れて、株にすでにツルが出てきちゃってるので
明日は支柱を買いにいくのです。


閑話休題


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画像はタイのミスタードーナツがやってる
スシド

やや驚きのビジュアルですが、気になるお味はココナッツだそうです(w






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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

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by horiehiroki | 2013-06-28 03:37 | 日々 | Comments(0)



久保田くん(久保田藩、秋田藩)が森先生の漫画に登場しています


彼が油絵を書いてるのは、秋田蘭画ってやつですねーーー

藩士の小田野直武が平賀源内に教えを受けた(と一般に、されている)ことにはじまり、のちには藩主の佐竹曙山やその一族が、その代表者として名前を挙げられるほど、熱心に取り組んでたんですけど。

いちばん活動が盛んだったのは地元秋田というより江戸で、だったそうです。

↓は小野田直武の絵です。

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「東叡山不忍池」というタイトル、これ上野の光景です。東叡山ってありますよね。これは上野・寛永寺の一部。
また、後に”江戸蘭画”として有名になる司馬江漢などに小野田らの”秋田蘭画”は強い影響をあたえています。

↓は司馬江漢の残した銅版画。

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以下、ウィキからの転載なんですが、

一方、久保田藩は財政再建のための方策として鉱山開発に着目しており、安永2年(1773年)7月、源内を鉱山技術者として藩に招聘した。言い伝えでは、源内が阿仁に向かうため角館城下の酒造業者五井家に泊まった際、宿の屏風絵に感心した源内がその絵の作者だという小田野直武を呼び、「お供え餅を上から描いてみなさい」と直武に描かせてみせたところ、二重丸を描いた直武に「それではお盆なのか餅なのか分からない」と言い、即座に陰影法を教えたという。このとき直武は24歳、それに対し源内は満45歳であった。


この時、ホントに源内が面会したのは小野田だったかは微妙なラインのようでございます。




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by horiehiroki | 2013-06-27 00:13 | 大河ドラマ | Comments(0)

森進一リサイタル

森進一さんのリサイタルにお邪魔してきました

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この前、母親が隠れファンだということで。

テレビでも歌番組をつけてれば、ほぼ毎週、姿を見られる人ではありますが
やはりリサイタルにきてくれる、自分のファンの中のファンにむけて歌うときには
気迫が違うって感じましたですよー・・・
自分の持ち歌を長時間にわたって連続で歌っていくので
テンションがあがって、絶妙な節回しになったりしてる所もあったり。
あと1つ1つの歌詞を丁寧に表現していって、全体に破綻がでないバランスも
さすがでした。

そして、森さんのお腹がペッタンコ、スリムスーツなのにウェスト周りが超余裕なのにも驚きました(w



日本は少し前まで演歌というジャンルと
ムード歌謡というジャンルが拮抗する形で存在してました。
で、彼の場合は一貫してムード歌謡(演歌よりオシャレ路線)なんですね。

というか、アンコールは進一ディスコで、マチュア(成熟世代)なファンがステージにむかって押し寄せ、
ダンサボーなナンバーで踊り狂う・・・というまさかの光景も見られました

定番のフリなども存在してるようです(w




よくいわれるのが、彼はハスキーボイスなんだけど、キーが高いということ
キーが高いんだけど、声自体は甲高くはない…と言うことで、いわゆる
ブルース的な内容がよく合います

あとたぶん始めてナマで聞いて、彼の声は
息そのものが楽器の一部になってて、
それがワンアンドオンリーなんだなーって思いました。


昭和四十年代に彼がデビューしてからの曲を辿っていく中、
おふくろさんとか、北の螢とか、冬のリヴィエラとか名曲中の名曲が
ちょいちょい挟まれるセットリストです。
北の螢とかって、すごい世界観のある
名曲なんだけどそれはともかく
聞いたことが無かった曲ですら、それも森さんの歌唱人生に
ほぼ縁のなかった人間のぼくにさえ、ウワッーと襲って来る感覚を
与えるというのはただ者ではござらんなぁと。

それにしてもスーパースターってのは違うなぁ…というのを
肌身で感じた一日でございました。



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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


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by horiehiroki | 2013-06-26 20:00 | 音楽 | Comments(0)

今回は、緊迫した内容で・・・とにかく惹きつけられて拝見しました。

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すべては覚馬さん(※ヒロイン)が倒れてブルブル震えてる間の話のことでございます(笑)、


1868(慶応4)年8月、二本松を陥落させた新政府軍はついに会津領内へと陣を進めてきた。竹子(黒木メイサ)は戦に備え、女性たちによる薙刀隊を編成する。城下には触れが回り、権八(松重豊)と尚之助(長谷川博己)も登城することに。八重(綾瀬はるか)は、自分も一緒に出陣したいと懇願するが、権八に一蹴される。
 戦況はますます悪化し、会津藩士らは続々と出陣していく。ついに予備の部隊である白虎隊にも出陣命令が下り、八重は砲術を指南した隊士たちに最後の助言をして送り出す。そして、登城の触れはとうとう八重たちにも回ってくる。佐久(風吹ジュン)やうら(長谷川京子)も城に入る支度をするなか、弟・三郎(工藤阿須加)の形見の衣服をまとい、男装をする八重。その手には、覚馬(西島秀俊)から送られたスペンサー銃が握りしめられていた。”

…という公式サイトの通りなんですけど、こういう家族を戦に送り出す瞬間って、落城する瞬間にならぶ武士モノの頂点だと思うんですよねー。
淡々と決戦の日が近付いてきてるんだけど、さすがはお侍様のご家族、一糸の乱れもなく淡々とした様子なのが印象的でした。ついでに妙に穏やかな音楽がかかっている…

それでタイトルにもなった白虎隊について色々お話しようかと。
とくに映像に映っていた少年達のことを、ただしくは「白虎士中二番隊」といいます

ちなみに白虎隊について、なんです、が

”白虎隊は,身分によって上級藩士の士中,中級藩士の寄合,下級藩士の足軽に分かれ,計6中隊とされ,フランス式訓練を施された。征討軍が進入し会津藩が危機におちいると,白虎隊も越後口戦争や戸ノ口原の戦に参戦した。このうち,8月22日戸ノ口原の戦に激戦し,翌日,飯盛山に敗走した白虎2番士中隊士20名は,激戦のため黒煙に包まれた鶴ヶ城を見て,陥落したと判断して自刃した。飯沼貞吉のみ,後に生き返った(世界大百科事典)”

ということで、身分によって上級藩士の子どもさん同士が固められていた、と。
厳格な会津らしいなぁっておもいますね。
一般的には飯森山で自決してしまう、士中二番隊=白虎隊ということになっております。
いずれにせよ、16-17歳の少年達です。当時からすれば、もう大人ですが、やはり若い。

当初は藩主(容保さんの養子)や、「大殿」こと容保さんの護衛役として活動。

しかし、ドラマにもでてきたけど、頑丈な石で作られた「十六橋」を壊せず、敵に突破されてしまい、援軍をもとめられるがまま、白虎隊も実戦に参加することになってしまった、と。理由はともかく、10代の少年達が戦の最前線に向かわされたんですねー。

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で、ここからが大問題。

来週描かれる内容だとおもうんだけど、この少年達のうち、飯沼貞吉のみが奇跡的に命を助かったと。

で、彼の証言をもとに後に描かれた、いわばインタビュー本がありまして、その内容によると、飯沼は和歌の才能に秀でた母親、そして(母方の)祖母から、きびしい武士としての心得を授かり、さらに和歌も出陣に先駆けて贈られていたみたいです。

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いちおうドラマにも、山川家の息子さんの出陣シーンとして出てきましたが(彼は後に兄姉と共に教育者となる)、こういう風に玄関先で・・・というより、たぶん奥座敷で当主代理としての母親から厳かに言い渡される感じだったと思います。史実的には。

で、飯沼家の話に戻りますが、彼の出世にさきがけ祖母から贈られたという和歌が、

重き君軽き命と知れや知れ おその媼(おうな=祖母のこと)のうへはおもはで

とかいうかんじでして、

まぁ、そのまんまなんだけど、

「私=祖母の身の上については(ついでに残した家族については)何も考えるな。主君こそが一番、大事なのである」

という、じつに厳しい内容なんですよね。

最初から覚悟してたんじゃないでしょうか。


でも、ですね。

「自分の命よりも重い何かがある」。

クチでいうのは容易いですが、これって教育では分からないことだと思うんです。

その価値観の共有が、藩士たちに出来ていたということは、会津って恐るべき土地だったと。



それで注目すべきは今回、「食べものを調達してくるから待っていなさい」といって、出て行ったリーダー格の男性。

もともと、この人の屋敷にみんなで集合し、出陣もしている。また、十六橋からの援軍に答えたのも彼をリーダーとする白虎隊(の一部)だったわけですよ。

なのに、このリーダーが、少年達を置き去りにしたまま、なぜか、そのまま帰ってこなかった。

この男の名を日向内記という。ひなた ないき という読みです。内記は武家官位ってやつですね。

ここらへんを今回のドラマがどう描くかなんですが。

実に謎めいているんです。

日向はかなりの上流藩士。
さらに彼がたしかに帰ってこなかったのは事実だけれど、その理由については、定かならざるところがあるようなんですね。
「帰れなかった」というところもあるようで。

しかも日向内記は、その後、クチを完全に閉ざしてしまっているわけです。
また、(白虎)士中二番隊の証言として、飯沼貞樹地が残したとされているインタビュー集内容も、ホントのホントに飯沼がそう言ったかまでは「よく分からない」ということだそうで、真実はヤブの中。

じっさい、なんども死線を彷徨った飯沼貞吉は、自分を助けてくれた人物も誤って記憶していたりするみたいでして。
本人の記憶ちがいか、本を書いた記者のミスか、あるいは意思か。深層は謎です。

しかし、理由はとわず、とにかく置き去りにされた少年たちは、翌朝、日向の帰りを待つのをやめ、自分たちの判断で動き始めるんですが・・・これが大きな悲劇を生むのでございます。

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これについてはまた来週ー。

今回は八重さんが頑張りました。

ちなみに女が戦場にいくのはおかしい、というようなことですが、戦国時代には男装して戦場で働く女性が「わりと」いたようです。逆にいえば、そこまでしないといけないくらい、戦とは厳しい現実としてあった、と。

しかしさすがドラマ、うまいこと演出しますよね


”弟・三郎(工藤阿須加)の形見の衣服をまとい、男装をする八重。その手には、覚馬(西島秀俊)から送られたスペンサー銃が握りしめられていた”



泣けるわけでござる・・・



・・・で、まぁ、カタモリさんファンもたくさんいるんだと思うんですし、今回はすごく頑張ってましたけど、やっぱり、ホントに彼のやったことは正しかったのか・・・っていう話。

じつは、江戸時代の藩主は絶対君主じゃないです。

京都守護職の時点から、家老の一人・西郷頼母(西田敏行)が猛反対をくりかえしてましたが、もし彼だけでなく、彼ら藩の「執行部」全体が殿様の行動に対して「道理ではない」「おかしい」と判断した場合、殿様を監禁することができました。
比較的よくあるんですけどね。
改革派の藩主と保守派の臣下が大喧嘩になって、藩主が抑え込まれちゃったりする話。

押込(おしごめ)。または主君押込
それがなかった・・・ということは、カタモリさんのことを結局は会津の藩士たちは支持していた、ということなんですよねーーー


実際、来週描かれるかどうかはしりませんが、あれだけ強硬派だった執行部の面々の意見がコロッとかわるわけです。

籠城したお城の中で、「執行部」の面々が新政府軍の圧倒的な戦力を目前に「やッべーよ、降伏しよーよ」的な話になってきたんですぅ


その時、「もはや、そんな時ではない!!(こうなる前に講和を結べとあれだけ私は言ったではないか)」と言ったのが頼母さん「ひとり」だったと。


・・・・・・で、つねにいかなるときも理性的すぎる頼母さんは、お城から息子と共に放りだされるとゆうね~~~



会津…謹厳実直すぎるのはわかるけど、ちょっとズレてた、かも。惜しむらくは。




それで、久保田くん(久保田藩、秋田藩)が森先生の漫画に登場しています(w


油絵を書いてるのは、秋田蘭画ってやつですねーーー

藩主の佐竹曙山やその一族が、その代表者として名前を挙げられるほど、熱心に取り組んでたんですけど、いちばん活動が盛んだったのは地元秋田というより江戸で、だったそうです。



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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-06-24 00:40 | 大河ドラマ | Comments(0)

今日は、ガリレオ(とその周辺商品)と、あまちゃん中心で語ろうと思います…

>ガリレオ(とその周辺商品)

ドラマが視聴率20%を突破することが難しいことから、浮世離れした目標にかわりつつある昨今、作り手の体力不足ってのがすごく出てきてるなぁって思うんですよねー

今季でいえば、ホントに刑事ものと医者ものが大半。
空気を魅せる系のドラマが軒並み消えて、起承転結をキッチリわかる刑事もの、医者ものに人気があつまりました。さらに俳優が既存のキャラ(フテ子の米倉涼子、負け犬の篠原涼子、みたいな)、ブランド(ガリレオ先生の福山さん etc...)を記号的になぞりつづける傾向がいっそう顕著になってきた、と。

自分の場合、take five とダブルスと、ガリレオと鴨は大体の流れが分かる程度。その全てが親が好んで見てるドラマだったことに「ふぅーーん・・・」という何かを感じる、まぁわりと成果に乏しいシーズンでした。

それで、本日はなんだかんだいいつつ、「ガリレオXX 内海薫最後の事件」を最後までみました。柴咲コウがけっこう好きなので。
名義貸しだなぁと思うかもしれないけど、ドラマはなかなかおもしろかった。
わりと人のよい奥さんを演じることがおおい気がする余貴美子の「隠れ毒婦」が見られただけでけっこういいかんじ。

柳楽優弥が動いてるの久しぶりにみた・・・けど、久しぶりすぎて誰かわかんなかった(w

映像の雰囲気も、内容も男社会に斬り込む、女性刑事の日々を描いてて、硬派な刑事ドラマってかんじにしあがってました。したがってガリレオがカメオ出演で出てはいても、これはガリレオの延長線にはないドラマで、もちろん月9の出張所ではなかった。
そして、「ガリレオ」がまさかの「踊る大捜査線」化をはじめてることに、たまげたわけですが(w
この手法に批判は当然あるだろうけど、けっきょく、いいものをつくったから売れる、なんて健全な時代はとっくの昔に終わってるんで、あざという方法に出たのだと思います。
でも、まずは内容ありきの映像に、ガリレオの名前をくっつけたのは何回目かのことなんですよね。
映画「容疑者Xの献身」なんかもソレでしたね。堤真一とガリレオ先生が同期とか知り合いとかになってまして。でもあれはけっこう良い作品でした。

>あまちゃん

・・・で、あまちゃんです。

今、自分が一番おもしろがってみてるのが「あまちゃん」です。


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実は「おひさま」以降、DVDレコーダーの不調で録画されていなかった放送分以外、ほぼ全ての連続テレビ小説を土曜日にまとめ見してるんですけど、今回は最近では一番面白いかもしれない。

もはやこれは「朝ドラではない」と思わせると同時に、アイドルを目指し、はからずも単身で上京するアキちゃんの姿はかんぜんに「正しい青春」しておりまして、朝ドラのメインコンテンツを描いてるんです。

とにかく惹きつけられてしまうのです。

クドカン先生は昔から思春期の女の子も独特の意地悪い謎めいた存在として描くのに長けてたんだけど、今回はそれが上手く言ってるかんじ。「未来講師めぐる(2008)」とかもぼくは大好きでしたけど。

元ヤンキー、元アダチル、元アイドル(志望)・・・とかなりの過去を背負わされつつも、小泉今日子がナチュラルに演じる春子の役も、クドカン先生だからこそ描けてるんだと思います。
自分は春子が一番好きかな。その次が渡辺えり演じる、やよいさん。

本作にはとにかくキャラが立った人々が出てきてきますよね。
俳優の個性とか事務所の売りたい方向にあわせた「あて書き」ばかりが目立つ昨今、「あまちゃん」は出演してる俳優(女優)の可能性を広げてる気がするんです。無理さを感じさせずに。

そして「笑える」だけでなく、キャラ描写をとおりこして人間としてキャラを描けており、「泣ける」作品だから、みんな惹きつけられるんだろうな、と思います。
とくに「じぇじぇじぇ!!」に代表される、耳にのこるキャッチフレーズ的方言はおもわず使いたくなるし、ドラマの世界と現実世界を近くするから、ほんとにうまくプロデュースされてるなぁって思うんですわー。

そもそも、東北、しかも東北の大都市からも離れた土地が、ムーミン谷みたいに描かれてるんですよね。


東北が舞台でも、映し出されるのは客も従業員もみな顔見知りという「スナック・リアス」の光景を中心としてるからこそ、そして、出てくるのがどこか現実離れしたキャラばかりだからこそ、イザというときにリアルになれるんですよ。



たとえば先週末に登場した、東京に向かうアキを浜で旗ふって見送る、ナツばっぱの「ばんざいいぃ ばんざいぃぃぃ」ってシーン。

衣裳かえて、何度出てくるんだ的な。

おもえばそういう冷静なツッコミをいれたくなるような場面でも、「ギャグ」ではなく、リアルに受け止めてもらえるんだと思うんですよね。

フツーにリアルを追求してたら、こんなこと、フツーの東北人はしねえ!っていわれたら終わりですもん。

でも「あまちゃん」に出てくるのは、フツーじゃない東北だから。

魔法的な現実、マジックリアリズムの世界ですから。

こういう感覚、わりといいと僕は思います。
来週からの東京編、まさかほんとに始まるとは思わなかったけど、楽しみにしていきたいですねー。



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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-06-23 01:38 | テレビ | Comments(0)

新宿東郷青児美術館で開催中の「ルドン展 夢の起源」は、非常におもしろかったです。

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何度も見たハズのこういう作品が、違って見えてきました。

日本で見る、海外作家の企画展の意義についてあらためて認識をあらたにしました。

海外の美術館を見尽くしたいとなかば本気で思っていた20代前半、ルドンの作品を含む、いろんな作品にいろんな国でさんざん触れた後、なかなか日本で大枚をはたいて企画展に行く気力がわきませんでした。

ホンモノをさんざん見てしまった症候群。

でも、それはホンモノの作品をホンモノの場所で見た、というに過ぎないんだなぁ。

企画展だからこそ目にとまる、こじんまりとした作品、企画展だからこそ並べて展示できる、ある芸術家の師匠や家族の作品・・・。

夢の起源と名打った今回の展示では、企画したキュレイターさんのセンスや炯眼が光りました。企画展に行く意義を感じた次第です。

たとえばルドンという画家の「起源」について、ぼくの認識は↓の辞書的な記述と変わりありませんでした。


(1840―1916)フランスの画家、版画家。ボルドーに生まれる。生後まもなくジロンド県のペイルルバードに里子に出され、ここでの孤独な少年時代がルドンの幻想の源となった。11歳でボルドーの両親の家に戻り、15歳のときから水彩画家スタニスラス・ゴランにつき本格的な絵の勉強を始めたが、幻想の版画家ブレダンRodolphe Bresdin(1825―85)や植物学者アルマン・クラボーに出会ったことが、ルドンの芸術に決定的な影響を与えた。”日本大百科全書” 



しかし、ルドンの父親はルドンを(病弱などの理由もあって田舎に)里子に出し、他の子どもたちを連れ、アメリカでの事業に成功、ブルジョワとしてボルドーに凱旋帰国していたんですねー。
しかも兄は音楽の才能で知られ、ボルドーの社交界でも天才少年として人気を博した、というのもまったく知らなかった。

しかも今回の展覧会には、兄・エルヌスト(Ernest Redon)が作った曲の楽譜が出品されてました。
ある程度自分は楽譜が読めるんですが(楽譜を見ると頭の中に音が再生される)、これが自分には衝撃的だった。

クレオール(混血の人)とか標題音楽からもわかるみたいに、ビックリするくらいにサロン音楽なんですわ。

「乙女の祈り」ってあるじゃないですか。

それもサロン音楽なんだけど、あれから「魂を抜いてしまった」かのようなサロン音楽・・・といえばいいのかな。
明るく元気だけど、何の陰影もない。ピアノ初心者用の練習曲集にふくまれる”マーチ”みたいな。

そういう「天才児」がいる家庭にルドンは11歳にして戻ったのですが。家族がいたからこそ、ルドンの孤独はよけいに深まった気がします。


音といえば・・・・・

ルドンの絵からはつねに微かな音がしているような気がぼくにはします。
すごい静かなんだけど、同時にノイズみたいなのがずっと聞こえてる。
でもその音って、風音じゃないか、と今回は、思いました。

ルドンの前半生は黒の画家といわれるほど、質の高い版画などを多く、作成しています。

今回の展覧会が「知らなかった・・・」という感動だけでなく絵画的な感動も得られるのは、ルドンの代表作が版画(※大人の事情だけど、たぶん油彩画よりも来日させやすい)ということもあるでしょう。

この黒の時代のルドンもつねに習作として、カラーの油彩画を描き続けてるんですね。とはいえ、憂愁のセピアの光が落ちてる浜辺とかなんですけど。
そのカラーの絵にはずっと風が吹いてるようなんですよねー。

ルドンの絵にある特殊な静謐さについてさらに語ると、若き日のオディロン・ルドン(1840−1916)は、アルマン・クラヴォー(1828−1890)、つまり18歳年上の学者から顕微鏡を使ったプランクトンのスケッチを見せられ、そこにあるけれど、目には見えない世界の存在について教えられてます。
あなたが知らない世界、みたいな。

科学が急速に進歩した19世紀という時代、深海生物や肉眼ではみられない「何か」が目の前にあらわれてきたんですねー。
このクラヴォー(のちに自殺)の描く、顕微鏡の中の世界には音はありません。
でも小川洋子の小説世界を思わせるようななにかフェティッシュな魅力のあるスケッチだったんです。


版画だけでなく、素描をまとまった枚数見ることが出来たのも興味深い経験でした。
ルドンは本当に黒にこだわる。
ルドンの黒には、「コク味」があります。
きわめて黒い部分は丁寧すぎるほど丁寧に塗り込まれ、完全な闇になっている。
白黒絵画は黒の濃淡で世界を描写するけれど、濃淡のバランスが本当に「カラフル」なんですよね。
これは印刷物では、そして1,2枚を見ただけではとてもじゃないけれど分からないハズ。
カラフルな黒といってもいいルドンの世界・・・興味深かった



東郷青児美術館を訪れる楽しみの一つに、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンの作品を見ることができることです。
何ヶ月かに1回、もしくは1年に1回ほど必ず見てるのですが、今回はまた違う印象を受けました。
気になったのは、絵の表現から見える、ゴーギャンとゴッホの画家としての個性や資質の違いです。

ゴーギャンにとって、絵画は詩(ポエム)、まさに印象的なものなんだろうな。
秋の村を描いた風景画なんだけど、色を変えゆく木々など、モデルとなる現実風景には確実にあるはずの”粗”を適度にごまかし、美的にしあげてる。

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一方、ゴッホの「ひまわり」は(とくに実物を見たときにだけ痛感するんだけど)、対象をキレイに描けるかどうかは二の次なんですね。

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存在の奥の奥まで描き抜きたい!というゴッホの焔のような意思を感じました。見ているだけでザラザラ、デコボコとしたひまわりの花の触角すら脳内に再現されるようなパワーがあるのです。

省略=ポエムっていえるかもしれないですけど、ゴッホの絵にはごまかしなし、ついでにポエムのはいりこむ余地なし。でもそうやって描かれた「ひまわり」だからこそ、「描かれたもの」の外からポエムがやってくる・・・というような。

ずーっと同じ絵を見続けることができるって幸せですね。
パリ、ロンドン、イタリアの小さな街・・・とかこれまで行った美術都市を再訪していきたいものです。





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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

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大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-06-22 10:06 | 展覧会 | Comments(0)

縄文美術館

縄文美術館 という本が面白かったです。

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ひらたくいえば、小川忠博さんが撮影しつづけてきた、縄文時代の土偶や土器の写真集なんですが、これだけいっぱいまとめることで(※ほぼカラーで600点あまり)、本当に色んなものが見えてくるんですよねー。

編んだ髪を結い上げたヘアスタイルを持つ土偶。きわめて珍しいとはいえ、出産中の姿を模したと考えられる土偶や、子どもをおんぶする土偶。塗られた朱(赤色)がのこった土偶。
表紙にもなってるけど、スマイルする土偶・・・


縄文時代という日本語と、土器の茶色から勝手に渋くてワイルドな時代を想像してるけど、そもそもモダンアートみたいな(モダンアートそのもの、ではなく「みたいな」、というところが、重要)、当時の土偶や土器のフォルムからは、現代日本人以上の鮮烈なセンスでみんな生きていたんじゃないか、と。

そもそもアスファルトを縄文人は素材として使用してるんですね。ぼくアスファルトって人工に作られた何かだと思いこんでましたよ(w

縄文時代とひとくちにいうけど、関東や東北では微妙にトレンドがちがっていたり、そのトレンドが広がっていったり。
そういうあたりも透けて見える、おもしろい本でした。
なにより驚いたのが、あのハデな模様のついた土器をつかって実際に煮炊きしていたというのが、土器の底にこびりついた食物で分かるとかなんとか。


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by horiehiroki | 2013-06-19 20:52 | 読書 | Comments(0)

岩波茂雄の別荘

「惜櫟荘ものがたり」、というBSでやってた番組をみました
ドラマ版だけど、山本耕史が主人公演じてた「居眠り磐音」シリーズなどの原作者の作家・佐伯泰英さんの志が、築70年を経て老朽化し、さらに売却されようとしていた惜櫟荘を救った、と。

惜櫟荘は、伊豆の山中にある岩波茂雄(岩波書店創業者)の別荘。
敷地内の櫟(クヌギ)の木を残して設計してほしい、と、新しいタイプの数寄屋建築を作っていた吉田五十八に頼んだことがきっかけとかなんとか。

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とにかく目立たないところにも金をかけなさいという岩波の意思を汲んで作られたというけど、まさにそこらへんが数寄屋というものです。
数寄屋、好き屋、ちょっとコダわりのあるヒトの家って感じですもんねー。
わりとモダーンな感じです。

建物面積は30坪足らずの小さな家、というから現在の建て売りの一軒家の1階~3階程度の面積に相当……っても、こちらは平屋で30坪あるわけですから、現代人の目には比較的ゆとりのある感じには映るとおもいます。
高級な旅館の別館って感じでしょうか。
実際、アンジェイ・ワイダなど海外の文化人だけでなく、幸田露伴(長生きした甲斐があるというものです)、志賀直哉などなどが訪れ、数日の滞在を楽しんだ、と。

今回の大改修工事を企画なさって、成功させた佐伯泰英さんは、みずからを番人とよんでおられるようで、そういう態度もふくめ、ふるきよき文人の伝統の空気がただよっている空間です。おもしろかったなー

当時は出版物の黄金時代だったと思います。
高みをめざしている時代。
現在の日本人は・・・というと、たしかに比較はされますし、教養水準は落ちてるかもしれません。
話された言葉に対する理解度はさほど落ちてはいないんですが、確実に印刷された言葉に対する、理解力が落ちてる。正確には共感力というべきか。
文字全体が駄目というわけではないんですけどね。
だからもう駄目、とかそういうわけではなく、文化というものを・・・いやもっと具体的にいうと伝えるべき声が伝わるように考えるべきなのが出版業のあり方だとおもっとります。





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百人一首 うたもゑ

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by horiehiroki | 2013-06-18 15:42 | 歴史・文化 | Comments(0)