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マケポで温泉コラム

温泉が恋しい季節。江戸時代の人気の旅行先もやはり温泉。武将たちが湯治をしていたけど、庶民たちも遠方から温泉旅行をはじめたのがよーやく江戸時代。とはいえ、現在のわれわれにとって飛行機15時間みたいなトコにいく感覚だったのです。つづき


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文化年間(19世紀始めくらい)の有馬温泉の様子、だそうです。混浴…
by horiehiroki | 2014-09-28 23:01 | お知らせ | Comments(0)

陰間コラム 第二回公開

女装した美少年に萌えるのは男性だけでなく女性も… 

ということで 第二回 陰間コラムが公開されました!


【江戸時代】女装してお客を取る美少年たちは、脱毛必須&おなら防止のため芋も禁止だった


第一回 陰間コラム

江戸時代の援助交際!? 女装してお客を取る美少年「陰間」の存在があった

こちらもよろしくおねがいします。


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鈴木春信の手による、とされる浮世絵。
珍しい風景でございます。この絵、かなり好きです。構図も、人物のえがきわけも、くどくないのにしっかりしてて美しい。

男性に伴われて顔を隠しながら、しゃなりしゃなりしてるのが陰間の少年。陰間も遊女と同じく、置屋(事務所)がわりの茶屋から揚屋(宿泊施設つき宴会場・・・まぁ旅館、みたいなもんですわな)に向かいました。

鈴木春信の好みなのかどうかはおいておいて、左の陰間の少年がわりと腫れぼったいのに対し、右のお兄さんのほうが美形っちゃ美形なのがミソw


by horiehiroki | 2014-09-28 19:13 | お知らせ | Comments(0)

源氏パイのナゾ

源氏パイって、ホントに源氏にちなんでつけられた名前だそうです。

ハート=愛=愛欲=光源氏・・・・・・・の「源氏」かな、と思いこんでたけど、そうじゃなくて、武家の棟梁の源氏のほうでしたw

1965年に発売開始。翌年に発売される大河ドラマ「源義経」の放送にあやかろうとして作られたらしい。大河ドラマの視聴率が50%を超えてた時代の話です。

あのハートの形は平安時代の武将特有の兜を摸したもの、という説もよみましたが、製造元の三立製菓は「ハートの形はおいしさの象徴」みたいなことをいってますね。


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どーでもいいけど、喫茶店の「ルノアール」に電話したことがあります。
ルノアールは、オーギュスト・ルノワール(画家)に関係あるのかどうか、ネットでも諸説が入り乱れてて、まぁ、当時連載してた「どんだけ偉人伝」で使うためにハッキリしたことを知りたくてですね。

で、広報の人にきいたら、上のものに聞いてまいります 少々おまちくださいませ 的なこともなにもなく、ずばり「画家のルノワールとは無関係」と言い切られましたw
丁寧な応答でしたが、あるとしても、ルノワールに代表されるヨーロッパ文化的な豊かさのイメージ的な感じですねぇ、ということでw


三立製菓にも兜説を突撃取材・・・するかもしれませんw
三立製菓は、由緒正しい企業様だそうで、日本ではじめて氷砂糖を開発したそうです(三立製菓の前身時代)


なお、平家パイもあって、2012年に「平清盛」の放送にちなんで作られました。視聴率のことはもうお話できませんね!

by horiehiroki | 2014-09-25 00:22 | 日々 | Comments(0)

新しい仕事につかうため、クラシック音楽に関する知識やセンスをブラッシュアップしています。
そういう意識で聴くと、日々の演奏会の内容も、また一味ちがって聞こえてくるものです。
先日、プロメテオ弦楽四重奏団の演奏会に三鷹まで家族で行ってきました。


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※演奏会のレビューだけを読みたい方は、後半の赤字部分をごらんください。ひと言でまとめれば、良い意味でイタリア・オペラの舞台に接しているような気になりました。


前半はベートーヴェンの弦楽四重奏曲13番、OP130。
例の「大フーガ」なしのバージョンでの演奏でした。

普通は第四楽章で終わるところの音楽が、第六楽章まであり、その
第六楽章=フィナーレが、全曲の要素をとかしこんだ、15分にも及ぶ巨大なフーガ・・・という、形式的に相当がんばっちゃったんですね。フーガってもバッハみたいにフーガだけをやってるわけではなく、フツーに和声的な部分が出てきたりもします。そのミックス加減が・・・まぁ、こういうこというと信者にはおこられるけど、ベートーヴェン先生の脳内では完璧に融合されてるんだけど、アラあらフシギ、それを実演すると、どうもなんか違うって空気がぷんぷんと漂っちゃうアレなんですわね。

晩年のベートーヴェンってフィナーレのために全ての楽章を、書いてってますよね。それが成功したのが第九のフィナーレです。フィナーレ以外はぜんぶ序奏、的な位置づけです。マーラーもそういう贅沢な時間の使い方するところありますけど。

・・・でこの大フーガは音楽的に至高の高みを実現しており、けっして失敗などではなかったけど、リスナーにとっては「もう、やめてください」といわざるをえない、重量級の音楽だったのですね 
もう満腹で苦しいのに、ドサーってでかい肉がメインとしてサーブされた瞬間のような「もう手におえません」で溢れた感じをご想像くださいませ

これ、19世紀だけでなく21世紀の聴衆の耳にとっても同じってところが面白い。
もともとベートーヴェンの時代にアレをまともに演奏できる団体ってきわめて少なかったはずだし、・・・今、その「大フーガ」をアルバン・ベルク弦楽四重奏団で改めて聴いてますが、演奏技術自体は進歩しても、聴取の技術というかセンスというのはあんまり変わらないものなのかもしれません。

何を言いたいのか、ひと言ではいいきれない複雑な音楽であります、大フーガって。

こういう、手間暇時間かかるのに反応がイマイチな音楽は、廃れます(w

たぶんこういうのばっかり書いてて、第九を書いてなかったら、ベートーヴェン先生って知る人ゾ知る、的な立場にオトされてたかもしれませんねー。

そもそも

さすがのベートーヴェン先生も
渾身こめて書いたハズの「大フーガ」のウケがあまりにわるかったため、
フィナーレを改作せざるを得なくなったという逸話つきの作品です。


その後、作品番号をつけて、独立させたわけです

遠しで聴いて、なんであの作品の最後にこの大フーガが必要なのか・・・を
作曲上の要請というか、作曲家の願いを抜きにして考えると、
改作されたフィナーレのほうが、演奏する立場&聴衆には意味深いですね。
・・・とはいえ、ベートーヴェンは対位法の作曲家としてバッハにならぶ高みにまで、キャリアを極めた男ですし、彼はもともとすべてはすべて、フィナーレのためにある・・・という作りをOP130という楽曲において試みています。主題が発展していくフーガ・・・ってあるいみ、伝統的な作りではNGっていえばNGなんですけど、ベートーヴェンはソナタが完成した時代の、対位法作曲家ですからねー。

とくに後半の「死と乙女」は新鮮でした。

第二楽章はシューベルトの歌曲「死と乙女」の旋律が変奏されていきます。最初はまるで古びたパイプオルガンみたいな響きだと感じます。いつも。

それを狙って書かれてるのだ。

しかし、こちらも演奏が進むほど、異様なテンションと熱を帯びて、死の向こう側の世界がせまってきます。・・・といっても「大霊界(古語)」ではなくてですねw、あの第二楽章を聴いていてぼくが感じるのは、ゴッホの最晩年の作品群です。何度か書いたこともありますが、こういう渦巻く空を見てると、ゴッホは狂気に陥ったのではなく、理性の向こう側・・・それは歓喜に満ち満ちた世界・・・にいく扉と鍵を見つけてしまった・・・と。


しかし、炎に飛び込んだムシが死んでしまうように、生身の人間であるゴッホの身体は滅してしまわざるをえなかった、と。

シューベルトもまた、若くして向こう側の世界の歓喜に触れる特権とひきかえに、命をすりへらしていった人のような気がしてなりません。

・・・・・・で、それをツラツラと書くのは、このプロメテオ弦楽四重奏団の演奏が、月並みな「悲愴さ」といった次元を超えた自由闊達な音楽で、それにすごく感銘を受けたからです。
家族も一緒だったんですが、こんな死と乙女はこれまで聴いたことがない!と感動していました。

プロメテオ弦楽四重奏団はチェロの方が音楽的にも「攻めていきます」。ネットで死と乙女の録音を探していても、めったにロクな演奏に出逢えないのは、要するにこの曲が難しいからです。
マーラーがこれを弦楽オーケストラに編曲しているのも、みんなで渡れば怖くない(=技術的なアラが目立ちにくい)という側面があったんでしょうね。
1950年代の録音でもかなりポンコツで音楽が壊れてるモノがたくさんありました・・・。
でもプロメテオ弦楽四重奏団はラクラクとこの曲をこなしてしまいます。
それも今や旧世代になりつつある「鋭い」・・・ハーゲン弦楽四重奏団のアプローチのような厳格さを売りとするのではなく、18世紀っぽい装飾音を加えたり、創意工夫に満ち満ちているんですね。
結果、楽想ら悲劇神話というようなものは消え去り、ただただ、音楽の凄さだけが伝わってくる・・・と。

どうじに第二ヴァイオリンの方(いわば「シェフ」らしい)は、全体の響きをよく聴いて、構築していくことに全てを費やしています。第一ヴァイオリンよりも目立ってやるぞ!!というような変な、しかしありがちな野心はなく、彼の関心はヴァイオラと協働し、いかに内声を充実させるかに尽きているようです。
こういう徹底した役割とキャラクターの配分、ミックス加減が、この弦楽四重奏団の最大の魅力だと思いました。
また機会あれば聴いてみたいものです。





by horiehiroki | 2014-09-22 10:00 | 音楽 | Comments(0)

ようやく・・・


ようやく秋めいてきましたね。
今季、最初のジンジャー紅茶を淹れてみました。

トマトやらをいつ片付けるか、悩んでしまっています。

木の衰えは感じるのですが、実際のところ、いまだに小さな緑の実がなっており・・・。
朝顔は(種の)収穫シーズンです。

先日公開されました、お線香の記事が好評のようです。



さらによーやく! 
さきほど見てみたところ、
第四番目の吉原記事も「人気」マークがついていました・・・

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他の記事も読んでいただいてありがとうございます。嬉しかったのでキャプチャー画像を貼ってみました

by horiehiroki | 2014-09-19 02:39 | 日々 | Comments(0)

つげ義春全集

今年の夏の終わりにかけて、自分が純粋に「楽しみ」として読んでいた本は、評伝「寂聴伝」と、原田康子「挽歌」、「つげ義春全集」全9巻でした。これらの書物はいずれも刺激的であったので、そのうちブログに記事を書くこともあるかとおもいますが、つげ義春にはものぐるおしいほどに惹きつけられる「何か」があったので、興奮を忘れないうちに残しておこうかな、と。

つげ義春の作品に最初にまとまったカタチで触れたのは、今年の芸術新潮の特集でした。

それまでは、イラストやヒトコマだけの引用でつげ義春について知っているだけで、道幅のせますぎる通りにビッシリ面して建った、古びた木造家屋の間をすりぬけていく時、わー、つげ義春っぽい・・・なんて感じているだけでした。


その程度の人間に、なにが作用して、つげ義春に全集を読み終えさせるほど固執させたのか・・・というと、昭和という時代の空気感だったのです。

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つげ義春の画の才能・・・というか画の雄弁さにはひれ伏す思いになります。
なんなんだろう、この圧倒的な存在感・・・

同時に、そんな絵でしか、かたりえない時代というテーマがあると思います。

時代にはそれぞれの空気、その重みがあります。
天才の仕事を定義すると、その時代の空気にふれて、輝けるか、ということでしょう。天才の歯車と時代の歯車の両方が重なった時、才能は火花と散る……のですが、つげ義春のどこまでいっても出口のない天井の低い作風というか、テンションの低さもまた、昭和らしさだと。

つげ義春のおそらく最新インタビューを芸術新潮で読みましたが、体長も優れず、息子が引きこもりなので、書くことはもうないと言い切っており、その潔さには驚きました。
たしかにつげは漫画を書くことに苦心して何度も筆を置いているんですが、もう書かないと言いきる背景には、彼に漫画を書かせてきた昭和の空気とその重さは、もうどこにいってもなくなってしまった。モデルのいない、テーマのない画家がもはや描けないように、彼にはもう漫画をかく意味がなくなっているんだろうなぁと思えてならないのです。

自分も多少若く見えますが、昭和後期に生まれた人間でして、小学校高学年くらいの時に昭和が終わり、その後くらいから、自分の意思で芸術というものに「目覚めた」のをハッキリ覚えています。具体的には中学にあがろうとする春休み、モーツァルトの没後200年だかを祝って、ラジオやらテレビやらでしょっちゅう彼の音楽が流れている時期があったのです。その時、モーツァルトのトルコ行進曲とか、それが納められたイ長調のソナタを聞いて、生まれてはじめてその音楽に触れたような感動を覚えたのを記憶してます。
その当時のモーツァルトの在り方と、昨晩、偶然テレビで聞いた、レオ・フセインなる若手指揮者(とはいえ、僕より1つ下なだけ)の演奏するモーツァルトの「ジュピター」とでは、まったく在り方が違うんですよねー。

1991年と2014年の間を流れる、長い長い時。

それこそプルーストが「失われた時をもとめて」の最後で、なんという長い、長い時・・・というような慨嘆のことばで長編をしめくくっていた…気がします。僕が通読したのは大学生のころで、それから今にいたるまでも
長い、長い時がながれている。

時間そのものがテーマになっている芸術はワーグナーなり、プルーストなり、いろいろありますが、つげ義春の作品の本質も、時間そのものなんだな、と思われてなりませんでした。

そして僕はつげ義春の作品に、失われた時間を見出している。

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しかも見たこともなければ、体験したこともない、失われた時間に強い共感・・・郷愁すら感じている。

芸術新潮には彼が撮影したひなびた温泉の風景が映し出されています。
また、第九巻は別巻として、彼の紀行文などのエッセイと、イラストの仕事が納められている(↑の画もそれです)。この二つは両方とも芸術としていまなお、生命をなまなましいカタチで保っており、同時に失われた時そのものでもある。
・・・・・その眩暈がするような、相反する感覚をさらに煮詰めたのが、彼の漫画です。
つげワールドの魅力というか魔力ですね。すくなくとも僕にとっては・・・

つげの写真やイラストには、自分が(というか日本人の圧倒的多数が)触れたこともない不思議な風景が息づいています。そして、土門拳が戦後、田舎を撮影した写真には感じないリアルさが・・・・・・1970年代後半にうまれた自分とほぼ同い年のそれらの作品からは、濃密に感じられるのです・・・









by horiehiroki | 2014-09-16 10:10 | 読書 | Comments(0)

マイナビ連載、遊女シリーズのスタートです! 好評だったのでたぶん続篇があります。

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画は鏑木清方「遊女」


第一回 


性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態

性と愛のワンダーランドでした。


第二回 

恋愛は究極の贅沢品だった!? 男性が高いお金を払ってでも吉原に通い続けた理由



実は性ではなく恋という名の夢を売る場所

第三回

カゴの鳥だった遊女たち。吉原を生きて出るには、多額の金銭とひきかえに男に身請けしてもらうか、あるいは28歳まで生き抜く必要がありました…。 吉原の遊女は28歳で自由の身に!? 吉原を出された遊女の意外なその後とは? 


今回は「吉原ちょっとイイ話」、デス

第四回

マイナビウーマン遊女シリーズ第参回目は、知られてない御公儀(幕府)と吉原の密接すぎる関係をクローズアップ ”幕府の接待先が吉原見学ツアー!? 江戸幕府と吉原のイケない密接な関係!”




大奥と吉原の秘められた関係とは? ※17日午前、内容が訂正されました。


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他のコラムもご愛読ありがとうございます


↓は9月17日深夜時点

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by horiehiroki | 2014-09-15 22:00 | お知らせ | Comments(0)

「恋は、人なり」は、乙女の日本史の一大テーマでした。乙女本以前は、あまり日本史コンテンツで重視されてなかったようですが。さらにマニアックな知識も、見せ方=編集次第でエンタメに! というような内容が今回の眼目。

くわしくはこちらから!

そして伊國屋書店新宿本店さんから大変お世話になっておりまして、作品の価値を作るのは作家と出版社だけでなく、ほかならぬ書店なんですね、というようなことにも触れました。




by horiehiroki | 2014-09-13 10:30 | お知らせ | Comments(0)

マケポのコラム、今回は料亭です。

料亭ビジネスの開始、それは食事に日々の空腹を満たすだけでなく、それ以上の価値を求めたいヒトが増えた・・・ということの現れでもありますよね。

記事はこちらから


大奥から将軍が、明治維新後に天璋院(篤姫)も、わざわざ訪れた(らしい。勝海舟の言葉なんでアレですが)、伝説の料亭のサービスとは? 「一流の「夢」を売っていた!?
人々が高級料亭に求めたロマンとは?」

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「二軒茶屋」なる貸座敷での雪見の宴だそうですが、粋人を気取りたい(?)主客と思しき人物が雪の庭を背にしてすわり、豪勢な料理のほうにテンションを高めてる所がなんともアレw


by horiehiroki | 2014-09-08 10:00 | お知らせ | Comments(0)

期集中連載・乙女の日本史 ”ヒットの裏側”の第1回が公開されました! 

今回は「語り方=文体」と内容選びの大切さをお伝えしました。うまい「語り方」とは、「情報を上手に伝える方法」のことです。続きはウェブでw 

by horiehiroki | 2014-09-03 10:30 | お知らせ | Comments(0)