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もはや仕事で映画を観ることは(諸事情で)ほぼなくなってしまいましたが、映画への愛は変わっていないな、と思います。数年くらい前のタイトルを集中的に見ている昨今です。
以前、某映画誌上で評価の高かったタイトルを書き留めていまして。

最近の僕が見て感銘を受けたのは、次の3本

■マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

初公開: 2011年12月26日 (ニュージーランド)
監督: フィリダ・ロイド
音楽: トーマス・ニューマン 脚本: アビ・モーガン

■涼宮ハルヒの消失

初公開: 2010年2月6日 (日本)
監督: 武本康弘、 石原立也
上映時間: 164分
音楽: 神前暁
原作者: 谷川流

■母なる証明

初公開: 2009年5月28日 (韓国)
監督: ポン・ジュノ
上映時間: 129分
原作者: ポン・ジュノ


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■マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

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「サッチャー」は、レビューなどからは得た、”政治家として有名になった分、家庭生活がおろそかになり、娘や夫ともスレ違った、いわば「勝ち犬」の中の「負け犬」であるサッチャーが云々”・・・という、ステレオタイプすぎる「社会的に成功して、私生活では破れた女の話」とはまるで違う作品だという印象を受けました。


→「社会的に成功して、私生活では破れた女の話」といえば、「プラダを着た悪魔」。同じくストリープが熱演。



本作のメリル・ストリープは最初の登場シーンでは、これが誰であるかが、色んな意味でわからない老女を演じているんですね。
スカーフを被ってヨタヨタ歩いて卵をグローサリー(街の個人経営のスーパー)で買うその人こそが、かつて鉄の女と呼ばれたサッチャーである、と。
やがてわれわれはそれを、サッチャーを演じる、メリル・ストリープである、とはじめて分かるんです。そこまで自分を殺す、女優としての存在感を消すことが、ストリープにはできるんですねぇ。

最初のシーンで、ぼくはこれが誰か、さっぱりわからなかった。それをもって、ストリープは「グレーゾーン」に生きている老いたサッチャーを表現してるんですよ。
そこだけでなく、まるで演劇の舞台を見ているような演出でした。
彼女が実は「サッチャー」であり、「メリル・ストリープ」であると分かったあとも、病み衰えた晩年のサッチャーは妄想と現実、過去が入り乱れた世界に暮らしており、われわれは彼女が自分自身の過去だと信じている記憶(妄想?)を、映像の中の彼女と共有していくんです。フワフワした浮遊感、ですね。悪酔いに近いような。

庶民出身でありながら、保守党の党首、首相をつとめ、エリザベス二世ともガチンコでやりあったことがあるという英国首相の人生の幻影を追いながら、そこに現代日本に暮らす庶民の自分と被るものがまったくないのに、「ヒトが生きるってどういうことなんだろうか」・・・と根源的な問いがなんども繰り返される・・・そういう内容。
何がどう訴えたのかわかりませんが、気付くと、なぜか泣かされている、そういう作品。

一番自分にとって隔世の感があったのは、サッチャーが父親から受け継いだ、古き良き保守主義哲学を披露するあたりです。個人同士が助け合い(いたずらに保護するのではなく)、個人同士がその成長を見守りあい、そのための伝統的な地域の絆、云々。また彼女を、女として社会的に成功した人間として、その良いところも悪いところも、ステレオタイプな表現ではなく描いていること。
ようやくリタイアして、共に暮らせるようになったとき、亡くなってしまった夫と、自分の妄想の中でだけ、同居できているという設定に、「わたしは伝統的な妻ではいられない!」と宣言して結婚し、大成功を収めたにもかかわらず、サッチャーの中にある悔恨の念みたいなものがチラつくんですよね。それは良いも悪いもなく、もし、別の現実があったのなら・・・と誰しもが思ってしまう、あれです。

よい映画でした。

■涼宮ハルヒの消失

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「ハルヒ」を見たのは、来年から漫画業界に片足つっこむので、その準備運動ではありました。ハルヒたちという「萌えキャラ」のゆるめな日常を描いたと思わせつつも、ハルヒシリーズは実際は硬派なSF作品なんですよ。そういう作品に興味が出た、というのが第一の試聴理由。

ハルヒは自分にはハードルの高い作品で(最初はいったい何がいいのだろう?と思いつつ、テレビシリーズを見始めると止まらなくなってハマッた、「まどマギ」とは異なり)、ほとんど設定もしらず、晴れ晴れユカイっていう曲をキャラクターが踊ってるのくらいしか記憶にすらない作品だったのですが。

それなのにいきなり劇場版を見てしまうのは無謀この上ない行為なのですが、そういう無礼で作法をわきまえていない人間にすら「分かる」ように作られている脚本にまず驚愕しました。

名作とよばれる作品は、すーごい間口がひろいんですね。入り口がいろんな所に、ある。

アニメにありがちな設定もですね、いろんな美少女たちが、平凡な(しかし、平均的資質および平均顔をきわめており、地味なイケメンともいえる)主人公のキョン君に好意のベクトルを向けているわけです、が、そのベーシックすぎる設定を、あそこになるまで広げ、同時に深めて表現できているのか、
と。

さらにこの前、立花隆でも触れられていた「世界の複数性」という概念を、「パラレルワールド」というようなライトな表現には納まりきらないくらい、キッチリと描いていて、「ほぅぅ~~~」と唸りっぱなしでした。

あと、興味深かったのがハルヒやキョンたちのキャラはどう見ても二次元的であり、写実的ではありえない造形なのに、ラストあたり、雪の降るシーンなどでの立体的な印象ですね。

そして長門さんという特異なキャラのつくりこみ方。
この痛切な、いじらしさ、こそ、日本的だと感じました。
いじらしさは、日本人が平安時代から萌えてきた、「らうたし(かわいい)」の必須要素なんですよ・・・・・・

(エヴァンゲリオンの)綾波レイの類似品だろうかと思ってたけど・・・。色んな意味で日本のアニメ表現のひとつの極地ではないか、と。


あと、ハルヒはイメージしていたほど、ドぎつい女ではなかった・・・(笑)
たしかに積極的かつ強引ですが、「嫌いにはなれない」というラインを絶妙に守れているあたり、すさまじいヒロイン力だなぁと感じてなりませんでした。
「ありのままに」、積極的かつ強引なキャラを目指してモテからどんどん遠ざかる、三次元の女たちのシカバネの上で踊る天使なんでしょうね、ハルヒは。




■母なる証明


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韓国って、脚本力でずばぬけた作品を量産しうる国だと思うんです。喩えですが足腰の強い作品ばかり。異なった要素を丹念にまとめあげ、粘り強く、みごとに構築できるだけの熱いパワーがある国。
これらを目にすると、日本の現代の映画は綺麗にまとめてるだけ、のように思えてしまうかもしれませんね・・・。

(ちなみに台湾は詩を、映像で表現する語り口がすごい国)。

同時に、アート志向のある韓国の映画監督って、20世紀も半ばの実験的な映画(ヌーヴェルヴァーグだとか、ニューアメリカンシネマだとか)の鮮烈な映像表現の文法を、現代においても現役で使い続けるだけのとんがった嗜好も捨てていないのです。

・・・で、また「古典の影響」と「自分らしさ」のミックス加減が上手いんですよね。

この作品は、最初の10~20分で2,3回ほど、ギョッとさせられる表現があり、その衝撃は「見るの、止めようかな」と思わせるほどのギリギリの毒味なんですけど、それで脱落せず、見つづけた者を作品世界の沼に引きずり込み、「あ、これがフツーなんだ」と、まんまと思わせ、信じさせるだけエネルギーにもなってるんですわ。

くわえて本作がすごいのは、素材の生かしかた。たとえば、本国でも日本でも客を呼びうる大スターはウォン・ビンなはずです。主人公の母を演じる中年の女優ではなく。でも本作のウォン・ビンは、知的にちょっとアレな息子さんで、演技の方向性としても、あくまで母の助演として「のみ」存在感を光らせている。
フツーならば「イケメン」担当でしかない、ウォン・ビンが「イノセント」・・・と配給会社の公式ページにはあるけど、実際は賞味期限が切れた干物の魚みたいな目でフワフワしてるのですが、そういう役を演じられる可能性をウォン・ビンという美男俳優に見出した監督は偉大であります。

ちなみにはじめて知りましたが、チン・グーという俳優は作品における「暴力」と「性」の担当ですね。つまり、ギラギラとして出てきたら目が離せない何かを発揮しているんですが、こちらのキャスティングも偉大。


話ですが、実はシンプルです。
韓国の片田舎で漢方薬の店と、民間療法(ヤミでやってるハリをふくむ)で生計を立てている母親が、知的に障害のある一人息子にかけられた、女子高生殺人嫌疑を晴らすべく、粉骨砕身でかけずり回って、恐るべき結末に辿り着く、というもの。

詳しくいうのは、ネタバレになるので避けますが(本作は心理サスペンス)、現代日本では映像化ができない「やばいもの」がこの映画の中には、「フツー」に流し込まれているのに驚きます。

あまりに「フツー」にそれらが描かれてしまっているから、しれっと見てしまったあとに、どんどん違和感がふくらんでいく後味の悪さが圧巻。しかも後味の悪さと同時に切ないなぁ、なんて思っちゃうわけですよ、この主人公である「母」に対して。

だから邦題の「母なる~」と聞いて、知的にちょっとアレな息子さんを守ろうとして戦うオンマ(韓国語でいう母)の無償の愛たる母性の姿を期待してると、まったく「なんじゃこれ」って気持ちになるのは請け合いです。

この映画のテーマは「禁忌(タブー)」そのものだからです。

ポン・ジュノ監督は、ロシア文学の愛読者ではないですかね。血縁の方にトルストイの小説の書評なども書いたというヒトがいるみたいですが、彼の作風からはゴーリキーとか、ドストエフスキーの「どうしようもないから笑う」というニヒルなところが感じられてなりません。
by horiehiroki | 2014-12-26 10:09 | 映画 | Comments(0)

「少女美術史 世界編」

「乙女の美術史 世界編」の繁体字版こと
「少女美術史 世界編」が到着!

台湾の大田出版から発売です。

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翻訳してくださった楊明綺さん、ありがとう!


おなじみの「週刊歴女」はタイトルそのまんまで通用するんだねw

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近代日本美術関係者と台湾の友好関係、ほかには風流天子こと徽宗皇帝にも言及してたり。

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サイズは日本版よりも少し大判! こちらのほうが図版多目なので見やすいですね!
by horiehiroki | 2014-12-25 23:15 | お知らせ | Comments(0)

角川から連絡があり、「乙女の日本史」文庫版がまたもや増刷(第四刷)とのことです!

書店で角川のフェアもやってる場合もあると思うので、見かけた方はぜひヨロシクです!

また、マイナビウーマンに以下のコラムが発表されました。ご一読ください。

エッチにこだわりすぎると愛を失う! 愛情とエッチが調和している「ロマンティック・ラブ」状態とは?

【歴史】現代の女性は幸せ! 昔は女性から男性に告白できない時代があった

小野小町は顔でモテたわけじゃない! 世界三大美女が使っていた上級恋愛テク
by horiehiroki | 2014-12-25 10:10 | お知らせ | Comments(0)

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画像はこの前到着した、本の見本です!
1月5日発売の「乙女のための松下村塾読本」が、発売日前なのに
もう増刷決定
・・・という連絡をうけまして。村上春樹かよ、みたいな話なんですけども、現在、増刷のための確認作業中です・・・。

長州藩の幕末は非常に複雑な要素だらけです。
だからこそ、必要な情報を、
とにかくコンパクトにまとめることにしました。
もちろん自分の本ですから、いわゆる女性たちへの言及は
マニアックなまでに入り込んでますが(w
装丁などにも、いろんなコダわりが詰まった一冊です!

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昨晩は冬至で、ユズの実がウチにもやってきました。
作業の合間に、見よう見まねで柚子の蜂蜜漬けを作ってみました。

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美味いです。
by horiehiroki | 2014-12-23 12:06 | お知らせ | Comments(0)

今季のドラマは書き下ろしで忙しかったこともあり、わりと熱心に見てた(見てる)のは、「ダウントンアビー」の第二シーズンと、「素敵な選TAXI」くらいかなぁ、と。
「素敵な選TAXI」は、今季ではこれ、イッタク(一択)、というかなんというかw

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竹野内豊の新機軸だなぁと思いました。ああいうコメディが意外と合う俳優さんなんですね。
年齢をかさねても、シリアスな役だと、なんだか嘘くさく思えるほどの美形ですから、あれれ、大丈夫かと思ったんですが、いいんですよねー。

選TAXIの運転手・枝分として映ると、それだけでなぜだか笑わせられるというか・・・そういう、特に何もしてないのに、出てきただけで笑える人って、芸人さんでも(故)ポール牧とかそういう手合いの風格が必要なわけですよー。竹野内豊はすごい、と。
彼は独特の声音で、美声ってのでもないと思うんだけど、ナレーションのときの抑揚がすっごくイイと感じます。
みなさんはどうでしょうか。
あとね、竹野内さんについては意外な、というと失礼だけど、すごいアンサンブル力のあるひとだったんですね。
役者として耳がいいんだと思う。他の共演者さんとのミョーな掛け合いのリズムの良さは、声音のトーンが合ってるからで、それを無意識のうちに調整し、間合いを整え、色々とやってる。そこらへんの空気感がスキで楽しんでみていました。

「官兵衛」では第二話でしんじゃった南沢奈央ですが、彼女もイイ味だしてるんですよね。
湊かなえが脚本書いてたドラマの音楽教師役かなんかで南沢さんをはじめて見ましたが、今回、いちばん素に近いであろう姿で(?)演技を拝見してると、かわいい人だなぁーと思えてしまうんですよねー。

あと今回のブログ記事のタイトルにもなってる脚本力。
日本のドラマって芸能人の顔ぶれと、タイアップ内容押し!!ってのが中心なのに、選TAXIは脚本の構成がおもしろかったです。バカリズムさんの才能があってこそ、と。とくに最終話直前の銀行強盗が乗り込んでくる回はケッサクでしたw

このタイミングで
竹「人生には~ 様々な分岐点がある~」って始まるのか! 的なアレ。
よく考えたら、最近冒頭であのナレーション、竹野内豊やってないよな、と。
自分もマイナビのコラム、最初では「ごきげんよう」ってたけど、朝ドラも終わったし、いつのまにか使ってないなぁ、とか思い出しましたw
続けていく中で、なおもキラッと輝ける要素を出せる人って才能あるんだよなぁ、とバカリズム氏の脚本力に尊敬を感じた次第です。

ダウントン・アビーは、それで検索してウチにきてくれる人も多いので、書かねば・・・と思ってました。
実際にこの前、NHKの特番であのお城のモデル・・・というか、お城そのものが実在してあり、ホンモノの英国貴族の伯爵夫妻が住んでるというのを知りました。

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これ、背景の騎馬像。
前のシーズンの時始めて見たのですが、親と「うわー凝ってる。大道具さん頑張ってるねぇ。ヴァン・ダイクのつもりかな~」とかノンキなこといってたんだけど、実はホンモノらしいですねw

もともと中世の修道院だった建物(ダウントンのアビー,abbeyっていうし)をリメイク、ああいう風にお城にして住んでるのかな、と思ってたのですが、真実は真逆。
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これの三階の一部・・・というか、四階部分(屋根あたり)が増築されてるんですよ。

19世紀前半~半ばごろにかけての各界を席巻した懐古主義というか、ゴシックブーム(に便乗して、いわゆる城館を背景にしたゴシックホラー、吸血鬼ドラキュラとかフランケンシュタインとか、そういうのができたんだけど)によって、それまでは何の変哲もなかった館が、英国国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)を任せられた建築家の手でリフォーム、改築され、中世のゴシック様式を摸した、修道院風の飾りが付けられていったのだそうですよ。

でもその分、維持費は膨大な額になったはず。

当主の中には、エジプトでツタンカーメンの王墓発掘に全面協力、わが眠りを妨げるものは・・・というあの有名な”ファラオの呪い”のせいで、「盗掘」直後に突然なくなった・・・・とされる人もいました。

第5代カーナヴォン伯(カーナーヴォン、とも表記)がその人。今、確認したところカーナーヴォン伯爵位に現在の伯爵家の祖先が叙任されたのは18世紀末。1793年ですから、モーツァルトの死後直後、フランスでは革命が起き、時節的にたいへんきな臭かった時代ですねぇ。
また初代カーナヴォン伯は、”第8代ペンブルック伯爵トマス・ハーバート(英語版)の五男ウィリアム(英語版)の息子であった”ということで、11世紀からつづくペンブルック伯家の血筋だったそうです。名門だといえると思います。

でも初代からコッチ、男系が(極道モノすれすれの)”夢見人”が多い印象の一方、現在につづく伯爵家の栄光と伝統は、そのロスチャイルド家から嫁いできた(・・・とされる)第5代カーナヴォン伯の妻・アルミナの莫大な富と堅実さゆえに守られた、と僕にはおもえるのです。

実際、第五代の父親世代などは、家と不動産しかまともな財産がない状態にまでなっていたそうですしね。
第5代カーナヴォン伯こと、ジョージ・ハーバートは、”29歳の時の1895年にアルミナ・ウォムウェル(Almina Victoria Maria Alexandra Wombwell)と結婚した”。


”彼女は戸籍上はフレデリック・ウォムウェル(Frederick Charles Wombwell)の娘だが、実際には(ユダヤ系の大富豪)ロスチャイルド家のアルフレッド・ド・ロスチャイルドの娘ではないかといわれる”らしいです。NHKの特番では、アルフレッドの娘と紹介されていました。

アルミナはオシャレで、趣味がよく、さらに気前よくカネを使える才能の持ち主で、平和な時代にはヴィクトリア女王の極道息子でエドワード7世・・・・・・に後になる、大英帝国の皇太子をわずか数日ほどの滞在で6000万円ほど経費をかけて接待、カーナヴォン伯爵家の威光を世界にアピールしたようです。

当時の王侯貴族の事情では、一国の皇太子を厚遇したからといって、それだけで権勢が得られるような気楽な状態ではないのですが(全体的に、斜陽系)、なりあがりの爵位持ちの実業家の娘(実質的な平民)と、カネ目的で結婚してしまった名門貴族という誹謗をはね返すための行為だったはずです。

また、こういう抜本的なチャレンジ、決断ができる人がいないかぎり、家、血筋というものは衰えます。これは日本でも同じ。貴族とだけしか付き合わず、”プライドを固守”する人々の姿は(フランスの話ですが)「失われた時をもとめて」にも出てきますねー。

・・・が、貴族としての「誇り」とはなにかの解釈を、伝統的なところに求めてしまった人の大半が第一次世界大戦後、第二次世界大戦後・・・と時の流れの中で、所領、宮殿をうしなっていってしまったようです。特番の中でも(新たな税が課されたり、老朽化した建物を補修できず)20世紀中盤にとりこわされる城館の姿が映ったりしてましたので。

実際、カーナヴォン伯爵家が現在でも優れた財政状況を維持できているのは、メディア対策(屋敷を撮影に提供、旅行ツアーを企画)ゆえでしょうけど、その根本には、大富豪の女性・アルミナとの結婚を選択したという「リベラルさ」があったからなんでしょうね。
またアルミナは、ホントの意味でノブレス・オブリージュを実践できる女性でもあったのが大きい。
ドラマでも城館を病院として解放する・・・なんてことが今、話題になってますが、実際にこれもアルミナ時代にはあったことのようです。

そういう歴史的な事実や設定を的確に反映してるのがダウントン~の脚本のリアルさ、面白さに直結しているのは間違いないですねぇ。

個人的には、第二シーズンのように戦争など文字通りドラマティックな要素を挟んで盛り上がるより、第一シーズン的なホームドラマのほうがスキなんですが・・・。

またこれについては、別のブログ記事で書けたら、と!


あとはね、晩ご飯の時間がそうなった場合には「女はそれを許さない」と「ディア・シスター」などをチラチラみて、あとは綾瀬はるかのアレ、ですね。見てるのは。
「ファーストクラス」はみてない、とw 


「マウンティング」とか仕事で使ってるわりにはスイマセン。
「マッサン」も土曜日の連続放送のヤツをみてます。
「マッサン」・・・主人公のダメっぷりが凄まじい何週間かをまんぜんと見させたのち、ぶじ再就職。よかったねぇ、となってたはずなのに、いきなりエリーの流産など深刻な内容に転じすぎて、驚いてますけど。
by horiehiroki | 2014-12-17 10:21 | テレビ | Comments(0)

文庫版の「乙女の日本史」の
さらなる重版が決定しました。
第三刷です。
まだ第二刷の献本もウチに届かぬ前ですが・・・。


そして
昔の結婚適齢期は10代中盤! 正妻か愛人かを決めるポイントは女性の経済力だった
のマイナビコラムが公開されました!(12月12日公開)

女の敵は女! 愛人を許せなかった女性が「女の牢獄」大奥を完成させた事実が判明
(12月13日公開)

離婚歴が再婚に不利にならない? 現代とくらべて羨ましい「昔の婚活事情」(12月14 日公開)

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画像は最近、お気に入りのパン。ゆきだるまんパン。
by horiehiroki | 2014-12-13 00:30 | お知らせ | Comments(0)

立花隆さんの「読書脳 ぼくの深読み 300冊の記録」がおもしろいです。

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「週刊文春」での書評連載をまとめたシリーズものの一冊なんだけれど、ただの書評コラムの限界を超えて、色んなジャンルの専門書の優れたダイジェストになっています。

で、本書の中でも触れられており、ぼくが特に興味深く感じたテーマがあります。
それは本を熟読している時の脳の動きは、インターネットで調べ物をしている時の脳の動きとまったく違う云々ということで、「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」という邦題の翻訳書で触れられているテーマなんですね。立花氏いわく、この本の原題は「浅はかな人々」というような感じで、日本語版はタイトルからして、卑俗なウケ狙い、大失敗してるのだそうです。

さて。
本という形態のメディアを熟読するときにだけ使われ、鍛えられる脳の部分があるんだそうですよ。インターネットを見ている時にはまったく機能しない部位だそうです。



確かに現代のようなネット全盛時代って、情報がインフレーションを起こしている=情報がどんなものでも基本的に気軽に手に入りすぎるから、逆にだれも調べなくなってしまった。それこそ、ダイジェスト(まとめ)だけをよんで、すべて理解した気になっている→数行以上のまとまった文字列も読めなければ、理解できないというレベルの「バカ」まで、しらずしらずのうちに増加。それはネットしかやっていないから。
脳の認識能力・機能低下に由来してるのかもよ、

というような論理の流れ。これまで考えたコトのないひとでも、なんとなくですが、わかりますよね。

さらにここで、みなさんに紹介したいのが次の雑学というか、統計です。

多く稼く人ほど、多く読書しているという記事。
何年も前からネット上でよく見ますよね。

20-30代の日本のビジネスパーソンの一ヶ月の平均読書冊数は1冊未満・・・・・・どころか実際は限りなく0に近い数値(1ヶ月あたり、0.26冊!)。それが、”30代で年収3000万円の人は1カ月間で平均9.88冊”だとかなんとか。

ここで注目したいのは、よく稼ぐ人=優れた人。頭のいい人だ、と仮定すると、
「優れた人間(頭のいい人)はたくさん本を読む」という、おなじみの格言がうかびあがってきます。


でもね、じゃあ
「本をたくさん読めば、優れた人間になれる」というと・・・・失礼ながら、微妙に無理な気がするんです。
学校で教えてることと違いますが。

ようするに、先ほど触れたように、優れた、頭の良い人間は、インターネットで調べ物をしたり、そこで「まとめ」を読んでも、それが第一歩にしか過ぎないということをわかっている。もしくは、そんな「まとめ」の情報では物足りない何かを感じるだけの知的な要素がある・・・・・ということなんだとぼくは思うのです。

つまり、それができるほど、頭のリソースが多い=優れた、頭の良い人間 

ってことなんですね。



たとえば、何人かの新人さんがはじめてトライする、困難な作業に取り組んだとします。誰でも最初は時間がかかります。ところが、同じようなことを繰り返していると、明らかに作業が早くできるようになる人と、そうでない人がハッキリ分かれてくるはずです。早く馴れてしまった人には余裕がうまれ、その余裕時間をつかって、まったく別の活動をしてみるなり、その作業の本質的な部分を深く掘り下げるなり、いろんなことができうるんです。

ただボケーっとインターネットを見ているだけで、「何もしない」、という選択肢もあるけれど。

この段階の行動で、その人が本当に優秀かどうか、分けられるんだと思います。

液晶画面で読むだけでコト足りてしまう種類の本にしか電子書籍では人気がないのに象徴されてるように、各テーマを掘り下げた専門書に近ければ近いほど、やはり紙の本を熟読する、つまり「読書脳」を働かせなければ、知的にもう一段高いレベルにはいけない、というコトなんだろう、と。


余談ですが・・・
稼げる人は読書するだけでなく、朝の時間を無駄にもしていない、あるいは筋トレしている。・・・というようなお馴染みの統計、ありますよね。ここもポイントは一つです。

リソースが大きな人間=優秀な人ほど、いかなるときでも頭が比較的クリアな時間が多くもてるということ。
そして、次から次へと課題を回していくことができるし、簡単に疲弊なんてしない・・・ってことなんだと思うのです。

目の前のことで、永遠にワタワタバタバタしっぱなしの人と、目の前を離れた部分にまで思考・行動ができる人の違いはあきらかでしょうね。インターネットは前者でもそれなりの知識を与えてくれる重要なツールだと思いますよ。インターネットのおかげで、みんなが標準的にある程度以上の情報収集をして、作業にいかせるようになった。でも、本当はそこからこそが勝負どころ。


難しいですけどね。

知能は使えば使うほど、鍛えられるそうなので、今、できていなくても意識しつづけることで、なんらかの成長があるだろうということは思います。

今回お話したことは、MAKEPOなどでインターネット時代の書籍ビジネスについて書かせてもらったとき以来、ぼくの思考テーマの一つなのですが、紙書籍(電子書籍ではなく)とインターネットって近い将来、手を結びあう時代が来る気がしています・・・。
by horiehiroki | 2014-12-12 19:48 | 読書 | Comments(0)

12月最初のマイナビウーマンのコラムが更新されました! (↓のイメージ画像、ステキですね)

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11日公開されたのが、↓のテーマ。

女性を男性が訪ねる「妻問い婚」ばかりじゃホントはなかった平安。

" 平安時代の女子の悩みも現代と同じ? 「結婚しよう!」と言ってくれない男たち "


できれば第一夫人として彼と同居、多少の浮気には芽をつむってでも主婦の座にしがみつくことが、女性のもっとも安定した未来を約束することだったのですね。現代でも夫が浮気したくらいで離婚してはダメ、なんていわれますが、これは平安時代の貴族の女性たちにも通じる常識だったようですね


本日12日の夕方にもコラムの更新があります・・・というか4日連続。
by horiehiroki | 2014-12-12 09:00 | お知らせ | Comments(0)

磯自慢

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MAKEPOの制作会社ノイズの方たちからお招きいただき、というか代表のI氏にご馳走になった忘年会だったのですが・・・

「磯自慢」というお酒の味、ボトル、ネーミングが忘れられなかったので書いておきます。

公式サイトから

天保元年(1830年)創業、静岡県焼津市の老舗酒蔵。早くから吟醸造りに取り組み、静岡県内吟醸蔵の先駆となる。磯自慢の一滴入魂の酒は国内外から高い評価を得ています.


→ワインではよく行われている、原材料産地の厳密な限定を磯自慢では行っているそうな。

高級な日本酒ののどごしは、清らかな水を飲んだときのように、スルッと流れていくものでなくてはならない、というお話を昔聞いたことがあるけど、磯自慢ののどごしは、やわらかく、粒がそろっており、「丸い」印象。口に含んだ時の華やぎ。味わいはおしつけがましくなく、上品。
その後には、春の陽のような、長く、穏やかで温かな余韻が全身にしみわたります。たとえるなら山吹色の光のような…。


by horiehiroki | 2014-12-12 08:28 | グルメ | Comments(0)

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不思議なご縁がありまして、金山桂子先生とお知り合いとなりまして。
「松下村塾読本」執筆作業の合間に、杉並の女子美大までお伺いさせていただいたのが、こちらの展覧会です。


70年代、金山先生がガラス器をテーマに作品を描きはじめられてから、今日に至るまでのお仕事を一望できました。

金山先生の描き方は、下絵はなし、キャンバスに直接、油彩を使って描きはじめるというもので、気に入らないところは削ってはまた塗り、の繰り返しで、ある意味、彫刻的ともいえるなぁ、と。
ひとつひとつの作業は、インスピレーションの結果・・・・というより、入魂の作業、厳しい取捨選択の結果なのです。
今回の展覧会は10数枚ほどの展示でしたが、たいへんな見応えがありました。

70年代後半、つまりぼくが生まれた頃に、ガラス器をテーマとして描こうということ決め、その時はガラス器そのものを描こうということに注力なさったそうです。

78年に描かれたある絵では、薄明にうかびあがる、半透明のガラス器の存在感が、赤系と緑系の補色の絵の具を使って描かれていました。補色というのはぶつかる色と色です。
※画像は展示会場でいただいたパンフレットより


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効果的に使うと、見る者の目に大きな「ふくらみ」のようなものを感じさせることができると思います。この「ふくらみ」をつかって、ガラスの半透明という絵の具には元来ない色を、キャンバスの上に見事に存在させているんですね。金山先生のスタイルは、アタマで考えついたり、心で感じた、「印象」をササッと絵の具にのっけて描いてしまう・・・という即興的なものではありません。
この補色を使った表現も、本当に取捨選択の末に選び抜かれたものなんだろう、と。だからこそ、心に迫るパワーが今なお、放出されていると感じました。

先生の作品は画面の些細な部分、いわゆるマチエールがすごいんです。ある部分の絵の具は艶あり。ある部分は艶なし。その異なる風合いが、美しく調和し、同じ画面の中に同居している。
塗られては削られ・・・・・・という時間の流れが封じ込められていることも感じるのです。

また近年の作品に絵がかれる、穏やかな光と、あわい影の合間にあるガラスの存在感が・・・・・・ガラスという物質にわれわれが感じるイメージをはるかに通り越して、胸にせまってくるのですよ。会場で印刷したパンフレットをいただきましたが(そしてパンフレットの印刷が決して悪いというわけでもないのですが)、実際の作品を目にすると、パンフやパソコンの液晶の画では及ばないほど、深い風合いを感じたわけです。




よく音楽はライブのほうがいい! などといいますが、ある種の絵画作品は、音楽などよりもよほど実物に接しない限り、本当の価値がぼやけてしまうものだと思うんです。金山先生の作品の美的な価値もまさにそういうところにあるとぼくは感じました。

女子美を訪問してから1ヶ月以上たった今のレビューになってしまいましたが、印象はいまでも鮮烈です。


なお、女子美大は、東京芸術大学が男性しか入学を許さないシステムだったので、女性専用の高度美術教育を与えるための場所として生まれたそうですよ。まぁ・・・おそらくは、ヌードモデルを使ったデッサンを男女が同じモデルで描くことは倫理的に問題と感じられてしまった・・・とかそういう手合いでしょうか。また、女子美は森ゆきえ先生の母校でもあるので、こちらにも不思議なご縁を感じました。


by horiehiroki | 2014-12-07 07:05 | 展覧会 | Comments(0)