夜半まで仕事でした・・・
10月中にコミックフラッパーでの連載分を
半年先くらいまで終えておかないと
次と次の本に差し障ってくるので頑張ってます。
昨日は、聖武天皇の宝剣が大仏の膝下から発見されていた
というニュースに感動しました。 もう、みなさん知ってるかもしれないけど、忘れてはならない「気づき」を含んでるので寝る前にブログに書いておきます
(↓ 昨日のツイッターから)
明治時代、奈良の大仏の右膝の下に埋められていたのが見つかった刀が、聖武天皇が愛した宝剣だったことが判明した。聖武天皇の遺品を集めた倉が奈良の正倉院で、未亡人になった光明皇后が夫の遺愛の刀を持ち出し、大仏の近くに埋めたと推測されるようだ。
フィクションの世界では、光明さんはグラマラスな美人だった分、悪女として描かれることも多い。しかしホントに光明皇后は聖武天皇をを愛していたのだなぁ。
いい話です
光明皇后は、悲田院をつくって福祉を充実させたりした人でもありますよね。でもその分、あまりに「デキすぎてる」と感じられるのか、里中満智子さんの奈良時代をテーマにした漫画の中でも(孝謙女帝の母として描かれた時)、底が見えない悪女として描かれてました。
「美人」ってソンだな、と。光明子さんのように、その名前のとおり、光り輝くくらいに美人で、グラマラスでお金持ちだと性格ぐらい、実は悪いだろうと思われるみたいですね。聖武天皇も心身ともにお弱いところのある人でしたし。
ちなみにマザーテレサは
人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。
と言っていたようです。「真実」は時代、場所を超えて通じ合うものなのですね。
「美人」といえば、これまた樋口一葉について書いていました。
(↓ツイッターより)
「樋口一葉って2500文字で書くの、あんがい難しい。この人こそ底の知れないところがあるひとだと思う。腹黒乙女か?!という話を、乙女本の文学編でも書いたけど、たんなる暴露だと面白くない。行動のうらにあるのは彼女が作家として生き抜こう、大成したいという意地とチャレンジだったはずで。」
彼女に男性経験があったのでは・・・とか今の価格にして20万円を
毎月もらっていたという話自体は、本当は彼女について語ったことにはなりません。
センセーショナルで楽しいけど。
まだ与謝野晶子も平塚らいてうも活動さえしていなかった明治時代初期でも、女流作家はいるにはいました。
しかし、基本的に、結婚するまでが作家活動の中心であり、腰掛けOLならぬ腰掛け作家としてしか、社会的には女性作家については認めてもらえなかったであろうと推察されます。
実際に樋口一葉が作家を「金になる」という理由で志したあたりにも、同じ歌塾にいた女性が、大したことない小説を書いて、それがヒットして棚ぼた式にお金を得たのを見たから・・・ともいわれますね。
でも一葉はもともとそういう「お嬢さん芸」としての小説書きではなく、文学自体に興味関心があった人です。
まだ若く、自分の理想に近い作品が描けない場合、それでも彼女は自分を理想化し、「ブランド化」することで作家に近づけるのでは・・・と思っていたのではないでしょうか。
早くも自分のイメージで作品が「よく読まれる」ということにも気づいていたのでは。
その通り、文学は書かれた/印刷された文字だけではありません。
行間につまっている色んなモノで読ませるものなんですね。
当時、ほとんどの文学者がそこまで考えていなかったであろうのに、一葉、かなりの炯眼だといわざるをえません。彼女が日記を創作していた、という話は前のトークショーでもしましたが、彼女は自分のイメージを創り上げることに腐心していたんだろうと思います。
以前は、一葉の日記は文庫化もされてたらしいのですが、今では姿を見なくなっているとのこと。自分も体系的に全て読んだわけではないのですが、一葉を読み解くだけでなく、近代という時代を知るための大切なヒントが隠されてるような気がします。
よく彼女は「挙動不審」であったと当時の回想録にはありますが、そのなかにはタイプの男性を見詰めてしまう視線のネチこさもあったかもしれません。
ーーー憧れの半井桃水と初対面の時、2時間以上、ほぼしゃべらずに伏し目がちに彼を見ていたようです・・・ ←本当に挙動不審
会話するのではなく、ただ見る。それにこだわるというところあたり、今なら確実に腐女子かも・・・・・・(笑
_______
持ち上げて、持ち上げて、最後に落とす。人物の評し方が、紫式部に似てきました