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原稿零枚日記

さっきまで小川洋子さんの「原稿零枚日記」を読んでました。

とても引き込まれました。











主人公は「私」で、作家をしている女性であるようです。

一瞬、小川さん自身を想像させた「私」が

山奥の温泉にタクシーで出かけ、川沿いに散歩して、

現れたあやしげな専門店でいきなり苔を食べる。

それもなんの躊躇もなく食べる・・・という

悪夢ともふつうの夢ともつかない内容ではじまります。

同時に描写がこの作家特有の細やかさを持って迫ってくるため

たいへんに濃密。

軽い吐き気をおぼえながらも、目が離せなくなる・・・

ザッツ・小川ワールド! 的な感覚ではじまるんですが、

だんだんと「おかしな」部分がでてきます。

それが小川洋子定番の「奇妙さ」ではなく、

「笑える」という意味の「おかしさ」だと気づくのには少し時間がかかりました。

あきらかにギャグを意識した部分もあり、しかも多いのが本作の特徴。

「笑える小川洋子」なんて想像もしなかった!






 

三月のある日(月)駅前から路線バスに乗り、



の章ではある売れない女流作家とおぼしき「私」がバスにのって

平日昼間の健康ランドに出かける姿が描かれます。



「貸しガウンの黄緑色はまったく独創的で(略)、あちこちで伸びきったタオル地のループが

いかにも萎びた様子をかもし出している。

しかし、自分も貸しガウンを着れば、たちまち萎びるのだった



とか。お客もインパクトの強い老人ばかりの中で

「八つの孫が飛跳ねてゆく」。

ーーーシュールな光景です。



この健康ランドには客に負けないくらいインパクトのつよいお風呂があって

それぞれ「渦巻き風呂」「母乳風呂」「子宮風呂」…等々という名前がついてるわけです。



子宮風呂の扉をひっぱろうとするその「孫」に



いや、これだけはやめておいた方がいいんじゃないだろうか、お嬢さん



と、「声にならない」ツッコミをいれる「私」。



ただ、そういう「おかしな」部分だけじゃなくて、やっぱり

ああ、今自分は小川さんの本を読んでいる!と

背筋がゾクゾクする瞬間もたくさん用意されています。



そして、痛みをともなう「喪失」を描けば、

小川さんの右にでる作家はいないと本作でも思わせられました。



中でも「子供」に対する執着は本作のメインテーマのひとつ。



産みたいけれど(事情があって)産めなかった



とか



産みたくなかったけれど、産めなくなった(OR 産めないだろう)今、

自分がとんでもない「喪失」をしてしまったことに気づく



というような、もっとも30-40代「女子」世代が早晩直面する恐れを

描いています。



飛跳ねる「八つの孫」も、命を次の世代につなぐ環の中に入れなかった「私」の

執着の一つの側面なんです。

 

これを読みながら、ある歌人のことを思いだしていました

富小路禎子さん。とみのこうじよしこ、と読みます。



処女にて身に深く持つ浄き卵(らん) 秋の日吾の心熱くす





・・・という「ご縁が遠い時代」もいつか過ぎゆき、





未婚の吾の夫にあらずや海に向き 白き墓碑ありて薄日あたれる



ああ・・・。未婚で終わってしまったんですね。





静かで乾いた歌が多いんだけど、独特の喪失感をただよわせています。

そのうち近現代文学で一冊出すとき、もしくは歌の世界について描くとき、

絶対に取り上げたい歌人の一人です。







小川洋子さんもいつか描きたい人の一人。

中学生のころから大好きな作家です。

『妊娠ダイアリー』を読んで衝撃をうけて、『冷めない紅茶』などなど。

90年代初頭のまだまだ豊かさはあるんだけど、すでにこの先どうなるんだという

不安さの影が否定しようもなく忍び込んできてる、そんな時代の純文学でした。

たとえるなら、華やかな時代のざわめきが遠くに聞こえるんだけど、もう

自分たちのいる部屋からはそれが遠い残響にすぎないということが

わかるというような。

中学生でも感じた、あの妙な隔絶の感覚、今でもヒリヒリと心に残っています。

それは思春期になったばかりの自分が、幸福な子供時代との分離していってる・・・という

感覚とも似通ってるのかも。





by horiehiroki | 2010-11-19 03:04 | 読書