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告白

 





映画館では見られなかったけど、「告白」のDVDがレンタルされはじめたので

チェックしました。

あきらかに重たい内容×皮肉屋な中島監督特有の演出

ってことで、胃もたれ警報が出てましたが、あきらかに流れがよく

しかもメッセージは突き刺さってくるしで、普通、そういうタイプの作品って

見たことなかったので新鮮でした。








「お松」こと松たか子の演技が生きた作品なんですね。

丁寧な言葉遣い、生徒を呼び捨てにしないという凜とした態度の

昔だったら女学校出の先生といったイメージの松先生。

しかし、実は、娘を事故ではなく、自分の生徒によって殺されたと

確信している女教師なのでした。

そんな彼女が淡々と語りつづける「告白」が最初の30分。

いったん退職した松先生がいなくなったあとの学校での事件が

次の30分。

その後、”復帰”した松先生が

どっかーん(※台詞より)」するまでが描かれるのですが・・・

品行方正なのに、押さえてるのに、凜としてるのに、・・・いやかなりコワいけど

恐ろしいくらいにビッチな感じがして、溜まらんのですわ。

テンションがあがってしまうのですわ。

そういうところに、中島監督の「好み」を見ました。

そういう邦画を好んで見てしまう自分の「好み」にも、

苦笑してしまうのですが。



木村佳乃も、明らかにお嬢様出身の女優でありながら、

ビッチをさせると最高にイイんですが、その魅力は彼女の声にあることに

気づきました。

近年、木村佳乃の声はすこしハスキーになってきてます。

この割れた感じの声が、主婦を演じるには

最高に活かされた
のが本作でした。良家の”いいお母さん”であろうとして

努力して、逆にすごいビッチになってしまってる感じ。

万年筆で日記かくんですが、その達筆ぶり。そして最後の「。」まで

キッチリ、おなじ筆圧で書いてしまう、恐ろしい折り目正しさ。



彼女にしか出来ない役です



KYな熱血教師を演じる岡田将生にも注目でした



容姿は素敵だと思ってましたが、演技的にはノーチェックでした。

しかし、今回はとてもよかった。



彼も育ちがよさそうなのに、どこまでもヘンなオーラを出せる人です



おおよそ先生って、この手のチャンネルが違う人が多いのよね・・・と

一緒に見てた母親もおもわず漏らすようなキャラを熱演してました。

声まで二枚目なんですよね・・・彼。

うさんくささ倍増です


ただ、松さんや木村さんみたいに「どっかーん」がないぶん、

尻すぼみで演技者としてはつらかったかもしれません。

夜の教室の窓を壊して回ったりしてほしかったですね



冗談です



あと生徒さん。とくに役の名前もない子が多かったと思いますが、

みんな特長があって上手かった。



あれだけ多くの数の役者さんを使いながら、

非常になめらかな作品にしあがってるのが特徴です。

これは監督の演出意図が非常にクリアだったからでしょう。

中島監督といえば、今回も音楽チョイスのセンスも非常によかった。



皮肉な、もっというとブラックジョーク的な中島監督特有のノリ。

これが、「重たい内容」にとって救い・・・と言い切れるほどにはなってないけど、

潤滑剤になってたんでしょう。



「告白」には色んな見方があると思います。

この作品、いかなるハートウォーミングな感想も拒絶してると

思われてなりません。



端的にいって「中二病は死ななきゃ治らない」っていうトコなんだ、と。



※中二病とは、中学生に見られがちな根拠のない自信(と裏返しの不安)から

極端な行動パターンをとってしまう”症状”のこと。”発病”対象は中学生に限らない。



ただ、通常「死ぬ」とは「命を失う」という意味ではなく

(しかし、映画中では、そのまんま、の意味なんですが・・・)

「新たな自分を見つける」ことによって、不安定な状態から生還する。

そういう成長の例えです。



「告白」に出てくる生徒たちはみな13歳の中学1年生。

もがいてる頃です。

でも社会的に彼らは、”無敵”の少年法に守られた存在です。



14歳以下の「児童」は、重罪を犯してもその罪を基本的に

問われない。

保護観察処分にしばらく置かれたあと、やすやすと社会復帰できる、

のです。



13歳といえば、日々成長する自意識と肉体と等身大の自分らしさがギリギリと

不協和音を立てている年代・・・と思います。





・・・と思います、と曖昧な表現を使うのは、僕自身、曖昧にしか

もう覚えていないから。

「新たな自分を見つける」と古い自分は、もう死んだも同然。

記憶の中の一ページに過ぎなくなります。

だからこそ、オトナはワカモノの気持ちが永遠にわからないのであり、

その溝は埋まらないのです。



子供ではなくなっているけど、自分に子供がいる人には

また別ののめり込み方が用意された作品だと思います。

たとえば・・・木村佳乃が演じている恐くて切ないお母さん。



日々ズレつつある子供だったころの息子のイメージと

日々、何か違うモノになりつつある今の息子のイメージのズレに悩み、

それゆえモンスターペアレント化していく、

母親の姿に共感する人もいるでしょう。



でも木村ママも結局、中二病の息子と同じレベルにいるんですよね・・・

と気づきました。



年齢は倍ほどちがっても木村ママ(それからウェルテル)、

松たか子演じる娘を殺された先生と生徒さんたち。



オトナとコドモが同じ土俵の上で、

ガチンコで闘ってしまってる映画が「告白」なのです。




日本の歴史をみていくと

オトナになることは、あきらめる、と同義といえるかもしれません。



映画の本編で大事なものが壊れる音が「ぱちん」とした。



という台詞がでてくるけど、あきらめを繰り返して、「動じない心」をえる。

悪く言えば人生どうせこんなものさ、という諦念にいたる。



ーーー江戸時代の多くの女性は結婚までは役者買いをしようが、若衆と恋愛をしようが、まったく

咎められませんでした。しかし、いったん結婚すると、生活の保障のかわりに

家の血筋をひきつぐという大業がまかされるゆえに

その手の自由が、一切なくなります。

でもオトナになったんだから仕方ない。そう考えてわれわれの祖先は生きてきました。



男の子の場合は、歴史的にいうと15歳くらいで元服をして(それは女の子も同じですが)、

それ以降はオトナとして親と同じ仕事を基本的にやりました。えんえんと。



しかし現代のわれわれは三十路を前にしてなお

「オトナにならなきゃ」というコトバを吐いてしまう。

回りもそれを認めている。自分探しが永遠につづく。

成長の終わりが社会的に消え去った現代、

オトナとは、とても曖昧な存在になりました。



この国の多くの人は(これを書いてる自分もふくめ)、誰もがオトナぶってるけど

ほんとはオトナになりきれてないんじゃないか。

って思うことが凄くあります。

夢や希望を際限なく持つことがいつまでも許されたわが国特有の

ダークサイドを突いてるような気がしてなりません。

この作品の後味の悪さ、薄気味悪さ、それは我々自身も

松たか子の復讐にやすやすと心理的に加担してしまってるから、

でしょうね。

オトナはコドモを許さないといけない。

というのが社会のルールでした。

しかしもはやコドモはコドモではなく、オトナもオトナになっていない。

曖昧にまじりあった、いわば永遠の中二病を生きてる存在になってしまってる、



なーんてね



by horiehiroki | 2011-01-18 20:23 | 映画