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ハプスブルクの顎

13世紀頃から20世紀始めまでの700年弱の間、

ハプスブルク家はヨーロッパに君臨する一族でした。

どんどん(自称)皇帝の数は19世紀以降にふえていったけど

ヨーロッパで皇帝となのっていいのは、ハプスブルク家だけだったんですけどね。



しかし、ハプスブルク家の人の特長は遺伝的に、



・アゴが出てる。

・タラコ唇。

・精神的に病み系。



この遺伝三本柱があったといわれています。



・多産系。



というのを足してもいいかもしれませんが。








で、欧米ではハプスブルクのタラコならぬその顔の様相について

議論するのが真剣に流行ってるらしく、ハプスブルク家初代の

ルドルフ1世の顔にはまだでかい顎もタラコもないことを根拠に

ポルトガルの王女からもたらされた。

いや、スイスの農民女の遺伝子だ・・・

とか凄い所まで犯人捜しがいっているもよう。

本日色々と研究しましたがネットには失笑するような

情報まであがってますね。

「アゴが出てれば出てるほど繁栄した」とか書いてある本があるらしいですよ。



しかし、です。

ハプスブルク家は近親結婚を非常に繰り返した一族でした。

ある本には金髪碧眼の北方の血への誇りと

最高の地位にあるという驕りが

親戚縁者との近親結婚ばかりを彼らにもたらした・・・とありました、が、

まぁ、血が濃くなって、濃くなって、同じ遺伝子ばかりを共有していても

顔って変わり続けるものなのですね。



中世ヨーロッパではハプスブルク家の男性が集うと

他家からは「バケモノ連合的」な呼ばれ方もしていたようで。



それが、700年弱経過し、帝国の黄昏といってよい時期、

20世紀初頭の皇帝フランツ・ヨーゼフなどはもはやハンサムといってよいくらいにまで

顔が変わりました。

彼の場合、顎も唇も普通です。

醜が美に変わっていく時間、それがハプスブルク家の最初と終わりまでの

時間だったのかも。興味深いテーマなので今後掘り下げると思います。



ただ・・・ハプスブルク家の人を描く時、画家は非常に苦しんだと思います。

ティツィアーノは最大のパトロン カール5世とあったとき、

あまりのに驚愕し、どう描いたらいいか真剣に悩んだっていいますし



そもそもハプスブルク家皇帝初代のルドルフ1世の肖像にアゴもタラコも

描かれていないのは皇帝の「圧力」に画家が屈した結果なのかもしれません(苦笑



顎をなんとか誤魔化して書かれたタイプ(唇はチャーミングに膨らませてみたり。

画家の創意工夫がとわれました)にはマリー・アントワネットがいるでしょう。

アントワネットは多くの肖像画に対して、似ていないって不満だったみたいですが。



画家が高い地位とお金をえるための踏み絵が、

顎と唇だったと思われてなりません・・・





by horiehiroki | 2011-01-28 02:20 | 仕事