前橋汀子さんのリサイタル

世界的なヴァイオリニストの

前橋汀子さんのリサイタルに行ってきました!



深々とした音色は彼女が最初に留学したロシア

すばらしく鮮やかで明晰なリズムは、それから

留学したNYのジュリアード音楽院のかほりというか・・・



ジュリアード出のヴァイオリニストは何人もいますが、

彼らにはヴァイオリンをバリバリ弾くと表現するような

鋭角的な音楽がおおいです。



でも前橋さんの音楽はそういう器量の狭さとは無縁。



細部まで(弓の動かしかたにいたるまで)

コントロールされつくされてるんだけど、「自由」という。

すごいですね









母も大阪時代に何回か、前橋さんの演奏を生で

聞いたとのことですが、僕は初めて。




母の記憶では、以前は、もっと厳しい表情で

演奏されてたそうですが、今日はとても自然体で

ときおり零れる笑顔がステキでした



なによりヴァイオリンが美しく、鳴り響いているのには

驚きましたね(伴奏のピアノもそう)



メインのプログラムは、

プロコフィエフの1,2番の「ヴァイオリン・ソナタ」です。

それからシマノフスキやストラヴィンスキー、ヴィエニャフスキといった

近現代ロシア(もしくはロシア文化圏の)作曲家の小品。

芸術的なプログラムでした。





プロコフィエフのヴァイオリンソナタの特徴を簡単にいうと

次のようになるとおもいます;



第一主題はともかく、それと対比的な性格を持つように作られた

第二主題がかなり気まぐれに作られてます。



もちろん音楽は厳密な規則にのっとって作られてるから

「まぁ、いっか」と聞こえる部分も理論的にはそうではないんだけど、

けっこうその「まぁ、いっか」で、ラフな部分が多いんですね。



なんでそうなるんだろう?



ってナゾな部分ですけども、それが前橋さんの演奏だと

見事に音楽として聞こえる。自然にながれていく。

技術的にもたいへんに高いんだけど、神経質さがないから

ながれがいいのですよね。

これはなかなか凡百のヴァイオリニストには出来ることではないと思います。



けっきょく誤魔化して弾いてると「?」のままになるし

あまり理論的に追求して弾かれると、楽理分析レポートになっちゃって

音楽としては死にますし。



前橋さんのさじ加減がすごくて、これだけプロコフィエフの

よくわからない部分を、音楽に変えることができるひとは

世界でもいないのでは・・・と思わせられました。



プロコフィエフがどうしてそういう変な部分をわざわざ入れたかは

(少し難しい話しになりますが)

いわばロシア人特有のユーモア感というか、

ドイツでいう「フモール」だと思います。



ゴーリキーとか、チェーホフとか

あの手の作品にみられる「おかしみ」ですよね。

チェーホフの(没落貴族のマダムと周辺の人々をえがいた)

「櫻の園」ももともとは、「四幕の喜劇」って副題されてます。

あれに「おかしみ」を見る感性って、ロシア特有だと

僕は思うんですね

おもしろさ、みだけでなく、悲哀とか、やけくそとか

色んな要素を含む感情です。

ようするに、人間が笑顔を作る時の感情は

ふつうに思われてるより、よほど複雑ということ。



文章でかくと作為的かつ恐ろしく長くなったけど、

前橋さんの音楽は一瞬にして

そういう説明的な言葉を超えていきましたね。



ヴィエニャフスキの「モスクワの思い出」は初めて聞いたと

思うけど、高度な技術と美しいメロディが楽しめる素敵な曲でした



帝政ロシアが輝いていた時代(19世紀初め)の「思い出」

ですね……



「エルミタージュ幻想」って映画を思いだしてしまいました



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とてもよい音楽をひさしぶりに聴けたので、今日の僕はとても

機嫌がよさそうだった、と家族がいってました(笑



まぁ、久々の演奏会でしたし、

今日みたいにブログのために「だけ」

何かを書いていられるなんて、今年になってから

珍しいですね。



・・・・・ずーっと以前の自分を振り返ると

作家になったのも、音楽を好きな時に聞きに行けるということを

期待していたという点を否定できないんですね。

まぁ、働きたくなかったのかも(笑)

人生を美しく楽しめてないヒトの書いたものなんて

意味がないでしょうから、

今後は人生の質について、いっそう考えたいから

ライフプランをねりなおしたいですね。




by horiehiroki | 2011-06-17 04:33 | 音楽