そんなにお江と秀忠の閨の中のことが知りたいですか。
2011年 08月 15日あまりに来すぎなのでサービス(w
→今度10月に、フライデーダイナマイトという雑誌で連載してたコラムに加筆し、まとめたこの手の閨の話ばかりの新書が出ますので、よろしくです(w
さて。時間がないのでざっくりと自分の考えをかきます。
戦国時代と江戸時代では、当然、
武家の閨のしきたりも色々と代わりました。
ただ、戦国時代、若い側室を中年の武将が
もらってもそれを素直に喜べたかどうかは・・・。
松永久秀のためにカリスマ医師・曲直瀬道三の
手で書かれた「黄素妙論」という資料があります。
これはセックスマニュアル、デートマニュアルみたいな
側面もある本です。
女性と一緒にいて雰囲気が出てくるまでは手をだしてはなりませぬ。女性がこういう仕草をしたら、それはあなたに好意がある印です。女性がお布団の中でこういう反応をしめしたらそれは・・・・・
というような。
たしかに女性にだらしない武将のエピソードは数々ありますね。
しかし、江戸時代に戦国時代の多くのエピソードは捏造もしくは創作されています。
ですから、当時の場合、武将といえども、家中だけでなく、女性にたいして暴君でいられるかといえば・・・それは難しいでしょうね。ハッキリいって。
江戸時代になってから、たとえば大奥の話をすると
当時、ドラマみたいに将軍と御台所が、朝まで
寝室を共にしていたかどうかはわかりません。
たぶんムリだと筆者は思います。
あまり日本史は(西洋史も、ですが)
この手の資料を残さないんですね。
筆者が類推するに、基本的には、
男性のほうが頃合いを見て、
「それではまた」(朝に、会いましょう)
という風に部屋を離れると考えたほうが
よろしいです。
なぜかといえば、すくなくとも江戸城の大奥では、
御台所には朝の行事というものがありました。
御台所は寝ている時からすでに
髪の毛を御中臈たちにといてもらうんですね
(だから、早朝から寝たふりをさせられます)。
その他もろもろが終わった後で
「おめざめ」というかけ声をかけてもらうまでは、
絶対に(目がさめていても)
寝ていなくてはならんのです。御台様は。
だから、この前の篤姫とか
フジテレビの大奥ドラマみたいに、
将軍と御台所が「実事」のあとも
(篤姫は、家定さんとの間にはなにもなかったって
設定でしたが)、男が横におられると御中臈の
業務の差し支えとなり、困るわけです。
そもそも御中臈とか
大奥の女中とひとくくりにされますが、
将軍つき(将軍が大奥に来たときにアテンドする係)と、
御台所つき、各側室つき・・・・・・
と色々係の人がいたわけなんです。
逆にいえば、将軍といえども、
女中たちの邪魔をすることは自粛すべきであった。
だからこそ、大奥にいくのは(ある種の将軍にとって)逆に気詰まりなことでもあったんですね。
もっというと、家重さんだったり、家斉さんだったり、大奥に入り浸りだったという人は、女中たちの機嫌を取るのが上手く、コミュニケーション上手だったということがいえるかもしれませぬな。