平清盛(22)~アラタ先生 嵐の熱演
2012年 08月 01日◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇
(告知) 2016年7月20日 乙女の美術史 日本編 文庫版」、カドカワから発売! 書き下ろしの「恐い世界史」は三笠書房、王様文庫から9月発売予定…
(告知) 2016年7月20日 乙女の美術史 日本編 文庫版」、カドカワから発売! 書き下ろしの「恐い世界史」は三笠書房、王様文庫から9月発売予定…
百人一首 うたもゑ
(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。
藩擬人化まんが 葵学園
大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆
______________
先週の日曜日は7月29日でした。
この放送日ですが、奇しくも崇徳院という称号が、故上皇に与えられたという記述が九条兼実の日記『玉葉』に出てくる日と合致するのだそうです。
故・上皇とは、井浦新さんが熱演なさったあの御方のことです。
同じく29日、保元の乱で無念の死を遂げた藤原頼長にも
太政大臣の位が授けられました。
この頃は大臣が(今とは違った意味で)何人かおりますが、
席次でいうと、
太政大臣(適任者が現れた場合にだけ、出現)
左大臣
右大臣
内大臣
です。
いずれも摂関家、のちの五摂家の出身男性にのみ
与えられる位です。頼長さんの魂も、怨霊化したので
朝敵であるにもかかわらず、こういうふうに死後に適切な位を
与えることで、呪いをかけないでね♥ と駆け引きをしてるわけです(苦笑
なお、頼長さんのもっていた莫大な所領(荘園など)が
没収され、そもそも帝に立つ可能性がほとんどなかった
後白河天皇の財産になっています。
『玉葉』を書き残した、九条兼実、今回の大河にも出てきます。
藤原兼実という扱いだとおもいますが。
↓の画像でいうと、右側の御方……と思うんですけどもー
クチひらいてる方じゃなくて、置き眉の方です。顔が4分の3切れてる。
九条兼実は、藤原定家がお仕えしたヒト。
ちなみに、
頼長のかおに矢が突き刺さり、彼の父・忠実のもとを
頼って落ち延びてきたとき、間を取り次いで居た男性。
いましたよね??
それが「保元物語」などでは、定家の父親・俊成です。
定家もとくに若い頃は貴人の乗る車や輿に付き添って都を歩き回るという
キッッツイ仕事を1年中しておりました。
こういうあたりは、拙著の「ドラマティック百人一首」をお読みくだされー。
なお、定家も九条兼実も藤原道長の子孫です。
おなじ子孫でも、嫡流(本家筋)とそれ以外だと
こんなに大きな差が生まれているというねー。
無常ですなー
さて、崇徳院こと、井浦新さんの熱演が今回のメインでした。
いうまでもなく。
人生の不条理に対する
いきばのない怒りや哀しみをもっとも
表現できる俳優さんは彼しかいないのでは、と
思います。
ものすごいリアリティのある、爆発的な演技をなさいます。
崇徳院は、保元の乱の責任を問われ、讃岐の国にながされています。
しかし、讃岐の国での生活はおだやかで、彼の表情にも
不遇ながら、静かな生活を送れている幸福感…といったらよいのでしょうか。
あきらめと背中合わせかもしれないけれど、そんな感情が見られる気がします。
崇徳は、後白河に向けて、どうか私を許してほしい、帰京させてくれという
願いを暗にこめて、後白河の治世の安定を祈った写経を三年がかりで
完成させます。
しかし、それは後白河の意思で拒絶されてしまいました。
史実では滋子の生んだ子供の慰みモノになったかは不明ですが、
一説には写経が破られた状態で戻された、といいますよね。
もともと崇徳は後白河が母親(タマコ)をうしない、嘆き悲しんでいるとき
自分の御所に呼んで、いっしょに住もうと持ちかけるなど、
不遇時代の後白河(正確には雅仁親王)のめんどうをよくみていました。
それがどうしたことでしょうか・・・・
弟の幸せを祈る写経すら、受けつけてもらえないという
後白河のかたくなな態度に崇徳は深い失望を感じます。
このシーン。
想像もしない弟宮の仕打ちに、なすすべもなくなっている
崇徳の姿が背中からヒシヒシと伝わってきます。
さすが(筆者が大学時代に「スタジオボイス」とかでもそのお顔を拝していた)
カリスマモデルだった井浦さん!!!
と、妙なところで感心してしまいました(w
その失望は、自分の息子が死去したという知らせとあわさり
この世への激怒という感情に爆発的に高まってしまいます。
民を王の位にすえ、王を・・・
というセリフ、こちらは有名な崇徳の呪いの言葉です。
要するに、王=天皇家を崩壊させてやると。
今の王=天皇家をその位からひきずりおろし、
「民」=臣下をその位に付けてやると。
実際に武家の勃興は、「古い王」天皇に対する
「新しい王」征夷大将軍を生んでしまいますから、
この呪いは大筋で成就したともいえます。
↓
マリリン・マンソン!!!
↓
ギャー
これらのセリフ、ホントに吐いたかどうかは不明ですが、
一説に舌の先を噛みきり、その血で呪いを書いたとか、
髪の毛、ヒゲを一切切らず、ツメも伸ばしっぱなしで呪いを唱えたとか・・・
最後らへんはウォオオー しかアラタさんのセリフありませんでした・・・
史実では、崇徳の死後もつづくその「呪い」に
朝廷・天皇家は怯えつづけました。
明治天皇が京に正式に
崇徳の魂を呼び戻す儀式をするまで、ずーーっと
ずーーーーっと、ずーーーーーっと何かあるたびに
崇徳様の呪いでは?!と朝廷のひとびとを脅かす存在だったんです。
(ドラマでは調伏されて、清らかなお顔でお亡くなりになりましたが・・・・)
ドラマでは、平家一門のゼクシィが死んでしまいました。
崇徳の物の怪にやられ、まさかの水死。
しかし、そんな崇徳の呪詛パワーをもってしても
平家納経とともに厳島神社にむかう平家一門をのせた舟を
沈没させることはできなかったんですね。
どどどどどーん
まぁ、主人公が死んだら大河が終わってしまいますが(w
しかし、そこに被さってくる岡田将生のナレーションの内容ね・・・
「なにひとつ思い通りにならなかった崇徳上皇様は・・・」
とか。舟くらい沈んだらよかったのに(涙
ただでさえ五輪の都合にふりまわされ、
ホントに今日、放送自体があるの!?
って思わせられるよな
「清盛自体」がおわってしまいますが・・・・
そして、崇徳さんにつづく見所は、平家納経の再現でした。
拙著の「乙女の美術史 日本編」
に平家納経にみる平家一門のパーソナリティについて
書いたんで、お読み下さいませ。
そして、忠通さんが今日をかぎりにもう出てこないと。
「世はうつろったものだ
摂関家が武士をたよりにせねば
生き残れないのだからな」
平家の女子と自分の嫡男を結婚させてくれという
申し出にきた忠通さん・・・
「(こんな自分を父や弟は許さないかもしれないが)
それでも藤原摂関家を守ることが
わたしの誇りだ」
という短いシーン、一瞬のセリフでしたが、胸を突く内容でした。
あと、夏中に、辛酸なめ子さんとのコラボ作、「天皇愛」的な本が
出版されます。
清盛通信で触れた帝についてもお話してるので
(とくにタマコと白河院についてはしつこく話してます)
よろしくおねがいいたします。
辛酸先生との作業はとても楽しいものでしたから
いい思い出になりました!
また衣裳などについては
八條忠基先生とそのお弟子さん方に
ご協力いただきました。
ありがとうございます
トークショーなどすること機会があるのならば、
このブログでご紹介します。
お近くの方はぜひお運びくださいませ
最後に
この御方の画像を。
第三部にも登場とは、強すぎ。アスタリスク強力すぎ