シャルダン展―静寂の巨匠
2012年 12月 20日たとえば、個人蔵の「木いちごの籠」 (1760年頃)が本邦初公開だったみたいですね。
そもそも、シャルダンという画家は高評価をうけているわりに、画業を全貌できる展覧会自体がすくない気がします。
高名なわりに、そこまでポピュラーではないのは、彼がこじんまりとした作品を好んで描いたということが大きいでしょう。
シャルダンは色彩の使い方が非常に上手いです。
「木いちご~」はチケットにも印刷されていたけれど、印刷されたそれをみて、またこのブログにかかげた画像をみて、何がこの絵のすばらしさであるかは……残念ですが、とても理解できないでしょう。
「謎」すぎますよね(笑
この絵は「色彩」が第一なんですね。
シャルダンは極貧の中で画業をスタートさせています。
才能は早くから認められ、王立アカデミーの会員に一挙になったり、出世はしていますが、こじんまりとした絵を書いているため、収入はあまり大きくなかった。
当時は歴史画が最高に高い値段で売り買いされていまして、歴史画、人物画ときて、ほんとに(格も値段も)安かったのがシャルダンの描いた静物画なのでした。
静物画は最初期から描いていますが、題材は台所の鍋だの買ってきたパンだの肉だのを使ったもので、金がかかってない素材を選んだという気すらします。
禁欲的・・・とおりこして、なんだかシュールな静物画を描いていたシャルダンの作品がすばらしく豊かなものに変わるのは、妻と娘をうしない、再婚してから。この二番目のブルジョワの妻との安定した生活(と、リッチな経済力)が影響してるんだなぁと痛感しました。
豊かな人間がすべて洗練されるのではないけれど、豊かさは人間、そしてアーティストを洗練させるのだなぁと。
木いちご~はかなり後期の作品であり、完成されたシャルダンのスタイルがあらわれている静物画です。
くりかえしますが、実は、ものすごくカラフルな絵です。
抑えられているかのような壁の色も、最初期のように、ただ、そこに地味な壁があるというわけではなく、非常に豊かな色彩が積み重ねられている結果のものです。
ガラスに入れられた水も、繊細なタッチを積み重ねられた描写が内側から発光してるかのようなトーンです。
そして何より木いちごや桃などにみられる「赤」が目に飛び込んできますが、それぞれはお互い、微妙に異なった「赤」です。
これが冬枯れの野でナナカマドを見たときのような鮮烈な、そしてあたたかい印象を見るモノに与えます。
そんな効果が狙いすました、あざとい感じにならないのは、シャルダンという画家の持つ品格なんでしょう。
一連のシャルダンの作品はひじょうに美術館の壁の色ともマッチしており、よかったです。
辛酸先生は現代アートの展覧会をよく見にいくとのことでしたが、今回、シャルダンを愛した画家たちとして、ルドンとかセザンヌなど近現代の画家の作品が展示された一室がありました。
この時、やっぱり現代人であるわれわれの感覚に直接的に訴えてくる何かを、年代が近い絵画は持っているなーと思いました。とくにルドンの描いた大きな花瓶の絵は、真っ青な瓶にいけられた花々それ自体が沸き上がってくる浪とかエネルギーみたいに描かれていて、感動しました。
こういう風には18世紀では(感性的なモノもあって)描けないですよね。
その後、会場近くにあるロプションのカフェでガレットを食べました。
ロ「ブ」ションと、日本では濁る表記が公式みたいですが。
美味しかったので撮影してみたのですが・・・デジカメとパソコンをつなげるチューブが行方不明で掲載できないのが残念です・・・
最近、「葵学園」のゲラチェックで忙しいんですが、アタマを切り替えられる、素敵なひとときになりました。