八重の桜(10)~玉よばわりはやめて
2013年 03月 17日_____________
◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇
百人一首 うたもゑ
(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。
藩擬人化まんが 葵学園
大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆
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うたもゑなどなどの件で先週は八重レビューが飛びましたー。
10回 池田屋事件
11回 守護職を討て!
…でござる。
10回目は…記憶が多少トンでるので、
今回の大河では、新撰組はうさんくさい集団として
描かれてますな。…というコト以外は置いておいて。
11回目。
(ご参考)森先生のレビュー&葵の御紋おにぎりww
※葵の御紋はいわゆる当世風の墓石にも付いてたりするんですが、他の家紋に比べて細工が細かいので、タワシでゴシゴシやると剥がれてきがち。けっこう危険です。
今回の大河は、会津の視点から主に見ていること。
そこに孝明天皇など朝廷上層部の視点をプラスで見ていること。
この二つが興味深いです。
将軍家、ではなく、会津っていうところで、よりニュートラルに見えてくると。
今回は会津は血筋ただしい正義のツワモノってかんじで描かれてます。
そういう彼らの目からみれば、新撰組も忠義とかいいつつ、成り上がろうとしてるだけのうさんくさい集団だし(なにより”素人”武士だから、武士同士にあるべき最低限の礼儀もしらない)、長州はとんでもないし不気味だし、薩摩も信じられないし・・・
となっても致し方がない。
マーくん(@夜行観覧車)は(戦略的)事なかれ主義で、あんまり動いてくれないし
カタモリさんはゲホゲホいってるし
で、今回は佐久間象山が自宅にほどちかいところで「(忠義の士をみずから名乗る)尊皇攘夷派の不逞浪士」に殺傷され、しかも家が取り潰しになるという恐ろしい沙汰が下りたり、何が正義なのかすら、誰にも、もうわかんなくなってるという、昏迷具合がすごいですね。
自らの信じる(政治的)正義を帝の存在といっしょくたにして語ろうとする者たちのうさんくささは昔も今も同じですw
長州も頼んでないのに大量の兵をひきいて京に押し寄せてきて、あげくのはてに「(彦根に帝を移すという計画は象山の死とともに立ち消えだろうし)玉を奪われずにすむ」とかいってて。
彼らが、帝を「玉」扱いしてたのは手紙とかで事実です。まぁ、ドラゴンボールな扱いですよね。手にすれば願いがかなう、的な。
もし、これが薩摩なり長州が主人公の話だと、こういう話はまったく違った風に描かれるんでしょうけどね。
来週は「蛤御門の変」、つまり禁門の変ですけど、この時、すでに10歳くらいになってた将来の明治天皇は深夜、御所に入り込んできた数百人もの不審者を前にパニックに陥り、失神しています。ちょっと話がずれますが、彼明がまさに即位するときに行ったのが、「怨霊」崇徳院を宥めることでした。
流刑地である讃岐にいったままの崇徳院の「御霊」を、京都に戻っていただくという儀式をして、白峯神宮を創建してるんですが、まさにこのタイミングでそれをするのか、と思ってしまいます。
幕府側に崇徳院の霊が付かないように…とか色々な思惑があったといわれますが、色んなコトが彼には怒る崇徳のたたりのように思われてならなかったんでしょうねー。
ちなみに最近色々思ったのが、よく文学とか芝居、ドラマの題材になってる、崇徳の血文字の写経の話。
まぁ、大げさにえがいた保元物語などフィクションで有名になってますが、史実的な根拠といえば、「日記の家」とされる吉田家の人が描いた「吉記」、寿永二年六月だったかの項目に出てくる「くらい」なんだそうです。それいがいに同時代の人の言及がない。
この沈黙をどう読むか。
ま、それ以上にですね、いまだに(諸事バタバタで)僕はこの項目を読めていません(苦笑
崇徳院の遺児が京で居場所を確保するために持ち帰ったとかなんとかいいますが、コレを切り札として使ったのは元・崇徳側近の藤原教長ってひとだろう・・・と。くわしくはリンク先を読んでもらうとして、……まぁ、色んなコトを考えますね。本当に写経は存在したのか? …とか言う人もいます。
それはともかく、とにかく明治帝は崇徳院がこわかった。・・・というかそういう風に思ってしまうほど、京は乱れているし、(誰かにつねに利用だけされている)皇室の存亡の危機を感じずにはいられなかったのがわかります。
そして帝という存在は世俗君主というだけでなく、宗教的な存在でもありますが、教えの中で暮らしてるんでしょうね。その教えは史実であるとか史実でないとかは関係ないんだと。
で、八重に無理矢理話をもどすと、長州藩の詰め所の神社にしのびこむ、町人コスプレの兄様たちがおもしろかった(w
あと弟の身を気づかう照姫さん。
奥女中さんたちの着物がすごく地味なのは意図したものなんでしょうか?