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文化としてのシンフォニー

クラシックの演奏会のメインディッシュといえば、「シンフォニー」、つまり「交響曲」ですよね。

今のオーケストラの演奏会の前半1時間弱は、序曲の類とか、15分くらいの現代音楽とか、ヴァイオリンとかピアノののための協奏曲が演奏されます。

20ほどの休憩をはさんだ後半が19世紀後半のブラームスとかシューマンとか以降の作曲家による交響曲が小一時間ほどの時間をかけて演奏されるという構成がメジャーです。


イタリアで存在として生まれ、「見世物」「音楽ショー」と化したオペラに対抗しうる、「絶対音楽」としてドイツ(語圏)で成長し…と多彩な変遷を経たのがシンフォニー、交響曲なんです。


その歴史について振り返ったのが、 大崎 滋生「文化としてのシンフォニー」という本です。平凡社から。




専門書とおもわれるかもしれませんが、この本のウリは、18ー19世紀の音楽家の事情が分かっておもしろいところかと。

たとえば17世紀初頭のドイツでは「30年戦争」の傷跡が深く、演奏家の花形であったトロンボーン奏者も多数亡くなってしまった。
金管楽器は(当時、音楽演奏の機会が多かった)教会でカッコたる地位を占めてましたから、その高貴なる旋律楽器であるトロンボーンが確保できなくなって、「さて、どうする?」となったとき、旋律を奏でられるヴァイオリンが採用されていった、とか。

ヴァイオリンはもともとは酒場なんかで演奏するための「下品」な楽器だったんですがね。

角笛を直系の祖先とし、遠くにいる家畜にも聞こえるようなデカい音が出る、そしてつまり実用性が高い楽器とされた「オーボエ」も、その音量ゆえに楽団のアンサンブルに採用されていった…とか。

(ちなみに高貴とされる管楽器は、貴族様のご趣味にふさわしいとされたフルートでございます)

団員がすくないんで、どうにかして…という苦心のあとですね。

交響曲を演奏するために不可欠なオーケストラが成立していく時点で、どーしようもない事情がいろいろあったご様子。


そもそも現代のわれわれにとっては、協奏曲といえば、ピアノとかヴァイオリンのソリスト(独奏者)とオーケストラが掛け合いをする音楽という印象がありますが、バッハの曲には、とくにそうしたソリストがいないのに協奏曲という名前のついた楽曲があります(ブランデンブルク協奏曲 第三番・・・とか)
あとヘンデルなどには合奏協奏曲というのもあるけど、これは、そもそもヴァイオリンはじめとする弦楽器と管楽器、管楽器などなどが合奏するという行為自体が名人技のひとつと認識されていた結果によるものだと。

それからブランデンブルク協奏曲については、複数の独奏楽器があります(たとえば五番ではチェンバロ、フルート、ヴァイオリンとか)。


もともと複数の独奏楽器をもちいた協奏曲の伝統って、フランスにあるみたいなんですが・・・・・

協奏交響曲 とか日本では呼んでるものなんですが。

このプロトタイプが誕生したのも、おおぜいのソリストがいっぱいパリに集まってきて音楽を奏でたがるんだけど、演奏会に費やせる時間は限られてるので、一気に演奏させねばならないという大人の事情があったそうな。

さらに(革命前夜の)18世紀にもなると、各宮廷のおえらい方が財政難に陥りがちで、音楽団も大人の事情を抱えるところが増えてまいりました。

楽団員が、苦心をさせらてるあたりは、まるで今のフリーライターとか編集部の存亡を見てるようでした。

たとえば、マリアテレジアが即位するあたりのウィーンの宮廷では、宮廷楽団がとつぜん新入社員を募集しなくなった、と。財政難というやつです。
若い人はビックリしますし、おじさんだらけの楽団で、どうやって新しい風を入れるかに苦心する楽団上層部みたいなのは、昨今の名門出版社にありがちな光景かと思われます。

18世紀、たとえば音楽好きとしてしられるフリードリヒ大王は、彼自身がもっとも好む作曲家のスタイルによる、「オレ様のテーマ」だけを求めていた、と。
つまり、誰かの書いた曲ばかりでは駄目なんだけど、その曲ではないにせよ、まったく別の曲でもない、創造的な摸倣を、お抱えの作曲家に求めた、と。
それを聞けば「現代ではありえない音楽の聴き方」だと思うかも知れないけど、意外にあるんですよね。
この曲が好きなあなたにはコレもお勧め! なんて表示がアマゾンでもアイチューンズでも出てくるように。
まったく新しい嗜好を掘り当てることの難しさ・・・。
それはともかく、雇い主(クライアント)のために、いろいろ苦心するあたり、作曲家とか演奏家は作家とか、フリーライターとかフリー編集者と同じくらいに、見えないよくわかんないニーズに左右される、アレな感じだったのが伺えるわけです。

そもそも交響曲の大半は四つの楽章で成り立ってるんですが、それももともとはシンフォニアとして、イタリアのオペラかなんかの序曲として演奏される音楽としてはじまった交響曲の役割が踏襲されておるのです。

18世紀の演奏会では、いちばん最初にハデで明るい1楽章が演奏され(この時点、客はまだ席についてない)、メロディがゆったりとうつくしい第二楽章が演奏され・・・つまり、交響曲はメインどころか、次に演奏されるメインの別の曲のための「マクラ」とされてたんです。メインとなるのは、作曲者自身によるピアノの妙技を披露する協奏曲とか、オペラの一部とか。

で、休憩がはいると、その休憩後に、前半演奏してた第三楽章、第4楽章が続けて演奏されると。

もともと交響曲も三楽章で構成されてたりしたんですが、第三の楽章としてメヌエットが追加され、四楽章制になったと。

このときなんでメヌエットが追加されたかというと、第一楽章みたいに客を席に座らせるためには、キャッチーで、しかも客は前半の音楽を聞いて、じゃっかん疲れてるハズなんで、リズミカルかつ威勢のよいメヌエットで「さぁ、またはじまりますよー!」とのメッセージを伝えないといけなかったから、じゃないでしょうか。

思うに。

実にせちがらい。

読者をいかに呼び込むかに腐心してる現代の出版関係者の努力をおもわせてなりません。いわばメヌエットはおまけのバッグとかでしょうか。


こういう状況が一変していくのは、19世紀、音楽が音楽として洗練されていくさなかでした。ベートーヴェンにはじまり、ショパンとかリストとか、作曲家・演奏家はカリスマとなり、客に音楽を聞かせてやってるんだゾ、というように状況がかわります。

芸術家は職人とか労働者ではなくなっていったんですね。

19世紀は交響曲の時代ともよばれます。

・・・しかし。

1850年代にシューマンが交響曲第三番「ライン」を完成させ、1870年代にブラームスが交響曲第一番をようやく(20何年ウンウン呻った後に)完成させるまでの26年ほどの間に、ほかの作曲家によって作られた、交響曲は一曲も現在のオーケストラのレパートリーに残っていないのだそうです。

思えばそうですわ。

1820-1830年代うまれの作曲家が青年ー中年時代につくった作品は、すべて没になったと。
ようするに彼らにはカリスマが足りなかった、というやつです。
これ、恐ろしい話ですよね。クラシック音楽にも氷河期世代っているんだ、と。

これを氷河どころか、「死の年」だと表現したのは20世紀を代表するドイツの大音楽学者・ダールハウス先生でした。


・・・・・・というように、比較的、専門家むけの本かもしれませんが、おもしろいのです。

興味あるかたはご一読ください。


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by horiehiroki | 2013-06-12 21:42 | 読書