八重の桜(31)~兄の見取り図

どすこーーーーい

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みんなびっくりですがな



今回の八重の桜、京都編=ホームドラマ編スタートで、脚本家さんの人物さばき、めきめき精細を発揮しはじめた気がします・・・歴史ドラマとしては、ゴニャゴニャの幕末関係、あんまりスマートには扱えて無かった気もするぶん、よけいに。


今回も筆者には衝撃がありました。それは八重さんの服の色です。

兄との再会、および時栄さんとの初対面の時の服装格差には驚いたって前回も書きましたけどね。



時栄さんはたしかに”既婚”とはいえ十代ですから、明るい色の、あきらかに正絹とわかる着物をお召しになっており、さらに帯留めまで付けてていたと。

(本日の時栄さん)

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イイとこの奥様奥様していた、と。

じっさい、覚馬さんの月収は当時の日本の労働者の平均月収が2~3円程度のところ、45円ほどもお役人としてもらっていた(明治時代の役人の給料相場はすさまじく高い)・・・ということもあるんでしょうけどね。

そこに、会津から着の身着のままで山本家の女性が到着した、と。

その格差たるや、と(w


で、こんかい、台所からの気配を感じて、目を覚ました八重さんの枕元には旅館よろしく、衣裳がおかれ、ちゃんと帯留めも置かれていた・・・・・・という(笑

19世紀末以降~今日の帯留めは、ただの装飾具で、サファイアがついてたりするわけですが、幕末・明治初期、帯留めにはその名のとおり帯が乱れるのを防ぐための実用的な要素が強かった、ともいいますね(調べましたが)

いずれにせよ、帯留めもおかれてたんだけど、八重さんの着物は真っ黒なまま。もっと言うとお母さんの着物と同じ配色なんですわ。

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あの着物って到着のままのヤツでしたっけ?

それとも、覚馬さんが「(別の女性がいるにせよ、離縁になるとは思っていなかった妻の)うらに」って、用意させていた着物と同じように、時栄さんが用意してた新品??

だって覚馬さんは目が見えないわけで、その着物を誂えてるのはどうかんがえても時栄さんなわけです。

まぁ、そこらへんわかりませんけど、時栄さんってイケズやなぁ♥って少し思いました。

この時は。

だって、八重さん、コジュウトメとはいえ、まだ20代後半ですよ。たしかにショウノスケさんとは離縁というか、そういうことになってますけど(来週、川崎尚之助、史実を裏切ってw 最後の登場みたいですけどねー)、それなのにあの色…。


そのあと、時栄さん、じつはいい人なんではないか・・・って思いましたけどね。
谷村美月さんの所作がまた美しく、いいとこの奥様奥様していて、清潔さもあって、控えめで…みたいな感じがね・・・いいわけです。


でもあの隙のなさは完全に彼女の戦闘モードなんだとおもう。

時栄さんが、意識してるかどうかはしりまへんけどな~

イジワルな気持ちではなくても、主婦は一人しか必要ないですから。

そして主婦は自分の牙城であるべき台所を、お手伝いという名目にせよ、他人に荒らされることを、ものすごく嫌います。勝手が異なる人に入り込まれるのは迷惑でしかないから、嫌って当然なんですけどね。


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でも、そういうワタシの人生、最終楽章♥な色の着物を着せられてても、つまりそういう扱いをうけてもおかしくない年齢に達していても、八重さんは英語や、「重力」とか、色んな新しい言葉で書かれた(明治時代の造語ですね)「万国公法」をはじめ、西洋文化について研究をはじめていくんです。

立派だと思いませんか?


今回は、色んな表情の八重さんが出てきたけど、ほんとに綾瀬はるかさんは、素晴らしい女優だなっておもいましたわ。
表情のつくりかた、声の出し方、色んな意味で、八重さんになりきっている。女優としての器のおおきさをまざまざと見せられました。
容貌としては、フツーにいえば美人っていうのとは少し違う、ファニーフェイスなかわいさがウリだとおもうんだけど・・・だからこそ彼女ってときどきハッとするほど美しい表情を見せるんですよねー。

で、覚馬さんに家を出て、女紅場で働きながら学びなさいといわれる八重さん。

女紅場なる耳慣れぬ名前が連発されました。
じょこうば。

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女紅場(女工場)
(じょこうば)

明治初期,女子に裁縫,機織,袋物,押絵などの手芸をさずけ,あわせて読・書・算の初歩や礼法を教えた簡易な教育機関を主としていう。これらの手芸を〈女紅〉とも称したので,女紅場といわれたが,〈女工場〉〈女紅伝習所〉などといったところもある。学校制度が未整備であった明治初期に,関西を中心に一定の普及をみた。

しかし女紅場のなかには,1872年(明治5)に設立された京都府立女紅場のように,イギリス人女教師による英語の教授とともに女紅をさずけるなど,中等教育機関に相当するものもあった。京都府では,74年に女紅場規則を制定し府下小学校に女紅場の付設を奨励しただけでなく,76年からは府立女紅場で女紅場教師の養成も行っている。

一方,75年に新潟県が県女紅場を開設し,神奈川県でも77年から機械,原料などを貸与して機織の仕事をする女紅場開設を各地で奨励しているが,これらは,教育機関というより,授産所あるいは特産物づくりの場という性格のほうがつよかった。     千野 陽一

世界大百科事典



なお、広辞苑によると

じょこう‐ば【女功場・女紅場】(ヂヨ‥)
女子の仕事場。
女子に裁縫その他の手仕事を教えるために、明治初年各地に設けられた女学校。今、京都の舞妓の学校にその名が残る。

広辞苑第五版


後身が舞妓学校・・・ってなんだか凄いなぁ(笑


しかし、英語の勉強が出来た、というのは日本でも有数の先進的な学校であったとおもわれます。
一般的には、女子教育でいうと、通称・女今川シリーズくらいしかなかったなか、新しい時代には新しい女性の教育が求められた、のですが。

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八重さんも女今川などを頭にたたき込まれて成長したようで、新島襄ことジョーが家でよくない振る舞いをすると、冗談めかしつつも、少女がまなぶ「女今川」ではそういうことやったらダメなんだよ(小さな女の子でも知ってる内容を、オトナの貴男、しらないの?!)って説いて聞かせた、とかなんとか。

つまり女今川は西洋的な意味での学問っていうより、こういうことをやると嫌われます、みたいなマナーを説いて聞かせるための実用書です。
だからこの手の本たちを総称で女訓書というのですが、この女訓書で辞書をひくと



江戸時代,妻女としての道徳を教諭する書。一般に,七去・三従や貞節など男尊女卑の道徳を説いた。江戸前期に中国の女訓書を翻案した仮名書きのものが出版されるようになり,中期には民衆向けにより平易な教訓を手習い用の教科書に仕立てた「女今川」「女実語教」なども出版された。1716(享保1)「女大学宝箱」の刊行以降,<女大学>の名を冠する類本が多数出版され,「女大学」が通俗的女訓書の代名詞となった。「

(岩波歴史事典)


などの内容がでてきます。わりとハードな内容がおもわれますよね(笑


七去、というのは、妻を離縁できるための条件です。
ようするにダメな女の条件w


一つ、義理の父、母(舅、姑)に従わない。
二つ、子供を産めない。無子。
三つ、無駄話しする。多言。
四つ、盗難

・・・

とつづきます。興味のあるひとは調べてくださいw 

たぶん、乙女の日本史 文学編 の中でも少し触れたので、手元にある人はみてください。



こういう伝統的道徳教育の内容を覚えるため、書道の手本として、文をかき写すという程度が江戸時代を通じて・・・さらにはヘタすると明治時代なんかの日本でも、女性のための教育でした。

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「女性は子どもを産めばいいのです」式の旧弊な(あえていうけど)教育がさずけられてました。おそるべきことだけど、これは身分の高低を問いません。


女今川、おんないまがわは、女性用の「今川」・・・つまり、室町時代の今川了俊(いまがわ りょうしゅん)という歌人が書いた、こどもの教育についての本を、女性教育用に編纂しなおしたものってことです。ほかに、女大学というものもあります。これも時代によって内容を多少かえた、また、作者を複数もつ「シリーズ」です。

「女大学」の原型、つまりシリーズの一番最初は貝原益軒(かいばら えきけん)が原作ともいわれています。

貝原益軒っていうのは、健康のための本(『養生訓』)とか色々書いてる(主に)民間の学者です。

「女大学」は女性蔑視のテキストみたいにフェミ側からはいわれるんだけど、『養生訓』は、虚弱だった自分、そして病弱な愛妻のために、作った健康を護るための教科書で、妻への深い愛が感じられる内容でもあります。


そういう貝原さんという人があえて書いた〈女子を教ゆるの法〉(《和俗童子訓》の中、第五巻)がどういうものかというと・・・


〈女は陰性(いんしょう。陽=男性。陰=女性)なり。故に女は男に比ぶるに,愚かにして目の前なる然るべきことをも知らず〉

といきなり強烈なパンチをうってきますw  フェミ大激怒ですw

〈総じて婦人の道は,人に従うにあり〉

〈婦人は別に主君なし。夫を主人と思い,敬い慎みて事うべし(=つかえるべし)〉

〈万のこと舅姑に問うて,其の教えに任すべし〉


・・・・・・・・・・・・・ってこれを見て何を僕が思うかというと、ここまでして抑え込まないと、女の子は昔から、パワフルすぎたのだっていう話だと思います。

それで話がずれましたが、女紅場の設立者であるらしい「長州の少禄者」マキムラさんの下品さには圧倒されました、ってか槙村正直って歴史辞書にも登録ないんですね汗


その女紅場での八重さんですがな。

で、じっさいに八重さんは
「兄の推薦により京都女紅場(後の府立第一高女)の権舎長・教道試補となる」らしい。

しかし、キリスト教の学校(同志社)を作ろうとしてた新島襄が、京都の坊さんたちに猛烈に嫌われており、その人と結婚した八重も女紅場を解雇されちゃったみたいです。また、この女紅場の教師としてつとめていた、裏千家の奥様から茶道を学び(学び直すってかんじでしょうか?)、生涯の趣味になった、と。

八重さんは、着物+洋服の格好もしてたぶん、そこらへんをチグハグ、いろんな動物の身体の部分がくっついた妖怪。ヌエみたいだっていわれてたんだけど。(これは悪い意味
心も良い意味でヌエというか。
キリスト教を学び、入信し、西洋文明の勉強をする一方で、茶道もする、みたいなところがあったんだな、と思います。



あと、覚馬さんの土地転がしの才能についてはいろいろとこの前も触れたけど、どのようにして薩摩藩邸を手に入れたんでしょうかね。

会津藩士から、新政府のお役人という覚馬さんの”転身”については、ほんと、いろいろドラマみたいなきれい事ではいかないことも多かったでしょうけども。

ーーー実は、あの時期、いわゆる京都御所も荒れてしまい、今のお金で数千万程度、都心なら小さなマンションか中古の3LDKかえるほどの価格で建物ごと、売りにだされてたんですよねー。


ほかにも歴史的史跡が多数、売りに出されてたんですけど、これらを食い止めさせたのがアノ岩倉具視です。



みたいなことを考えてたら、昨晩は買い物でいくつかミスってしまいました 汗



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センターは譲れないわ・・・



チアリーダーの控え室みたいな悪い空気

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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-08-12 11:46 | 大河ドラマ