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東京の空間人類学

陣内秀信さんの名著「東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫版)」をいただきまして。ちらほら読んでいってます。

土地の高低による街の性格差、これはおもしろいですよね。

ぼくが家を買うときには、ほんとに坂の上の物件を推奨されました。地盤的な問題です。

たしかに家を買うには、つきつめれば建物ではなく土地を買うのだっていう意識が必要です。

でも地震対策だけが最初にありき、だけではちょっと寂しいところもありますわいな。


この本には土地の高低による地域差で、街の性格がかわってくる江戸から現代にかけてのゆたかな日本文化のあり方が考察されています。これは興味深かった。
壁をはりめぐらし、その向こうに広々とした森や田園地帯といってよいような丘がひろがる大名屋敷に代表されるような、ひっそり住まうことがステイタスの山の手に対し、下町はコミュニティの中にいかに目立って住まえるかという意識が盛ん。

それで、ハデな立派な店構えを大通りに構えるのが最高のステイタスとされた、と(住居部分は質素なんですって。

山の手の人は坂を下り、下町で経済活動に消費というかたちでくわわり、また経済活動とは別の世界である山の上に戻っていく・・・という繰り返しだったそうです。

これは為政者層がビジネス活動に積極的にかかわらない日本独特のシステムだと。

なお、いわゆる現在の(小さめの)庭付き一戸建て(数十坪~百坪)は、江戸の御家人の住宅の基本構造を踏襲してるそうです。


それで思い出すのは、新宿の中井にある林芙美子(作家)の旧邸が文学館になってるんだけど、これが平地と坂の間にちょうど位置してるんですね。


かなり坂が急なエリアなんだけど、その坂がキツくなる直前までが林さんの土地になっています。

竹藪などが目立つ、旅館みたいな家なんだけど、この坂の途中の家は大名家の下屋敷なんかの作り方を踏襲してるみたいなんですよねー。
規模でいえば、何千坪が一般的な大名屋敷のコンパクト版です。
これは自分がじっさいに訪問してみて思ったことで、この本にはかいてないことですが・・・。

坂の途中に住まうと、水を高いところから低いところまで流して、おもむきのある庭を造れるのがよいそうです。
大名家がわざわざ坂の途中に屋敷を持ちたがったというのは、地形を活かして水の流れを人がおっていける、廻廊式庭園にするためだったそうですが。
林芙美子って家を造るにあたり、ものすごく勉強したそうですが・・・つきつめると、大名になりたかったのか(w



そしてこの本、水の都市としての江戸の通称・下町を描いてる部分が美しいのです。坂の下の街ってことですね。水辺の。
たしかに現在の下町のガヤガヤした雰囲気とはちがって、江戸時代は将軍のお膝元であるというプライドが、静かな町並みを作っていたのであろうことは(関東大震災までは雰囲気が現存してたそうです)、数々の浮世絵でもわかります。

けれども、気になったのはやはり地震による災害。建物は潰れなかったんでしょうか?
やはり気になるのは低地ゆえの地盤の問題です。江戸時代の地震といえば、たしか一杯あったような・・・っておもったので調べてみました。


江戸時代の主な地震



1605年 慶長地震  ・・・ ”慶長大地震(けいちょうおおじしん)”は慶長年間(1596年-1615年)に日本列島で起こった地震の総称。豊臣家の滅亡~徳川家の天下取り、など非常に動乱の多い時期に起きているので、昔の人は不安だっただろう、と。


とくに1605年の地震を”慶長地震”と称し、東海・東南海・南海連動型地震型です。マグニチュード7.5~7.9(あるいはそれ以上)!

しかし、地震動による被害はほとんどなく,津波が房総,伊豆,紀伊,四国,九州を襲ったことが大きかった…とされるようです。


1611年 慶長三陸地震・・・三陸沖 マグニチュードは推定8.1。

1703年 元禄地震  (関東)・・・元禄16年11月23日南関東に起った大地震。震源は房総半島野島崎沖。マグニチュード7.9~8.2。



1707年 宝永地震 ・・・1707(宝永4).10.4に関東甲信越から中国・四国・九州の広い範囲で起ったわが国最大級の地震の一つ 東海道・紀伊半島を中心に倒壊6万戸、流失2万戸、死者約2万人。


これに関連した地殻変動で、富士山が中腹から噴火。

江戸の街まで火山灰はとどく。
なお、1703、1707年の地震ともに綱吉の時代



1854年 安政東海地震・南海地・・・
1854(嘉永7/安政1).11.4に東海・東山・南海道で起った東海地震と,その翌5日に畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道で起った南海地震の総称。

2日続きで広い範囲に地震が起ったことになり,どちらの地震による被害か区別できないものが多いが,東海地震では沼津から伊勢湾にかけての海岸沿いの地域の被害が大きかった。





・・・ということで、これらのほぼすべての大地震に巻き込まれてる東海エリアは大変でしたが、江戸が凄まじい地震の犠牲になることはあまり、なかったのかも。
最初、壊れたら作り直すしかないというある種の諦めというか、無常感というか、そういうのが江戸人の心にはあって、水辺の街は作られていったのかな・・・と思うんだけど、どうやら違うようです。火事のほうがよほど深刻だ・・・という意識が水辺の街作りを加速化させたのかもしれません。

なお、江戸時代に隅田川沿いの寺院周辺土地の商業的賑わいは、ルール厳守の町奉行ではなく、寺社奉行の管轄地だったがゆえの自由さがあって生まれた・・・そうな。

江戸時代は一般的に寒冷だったんだけど、夏は相応に暑かった。
ということで、川縁が好まれたところもあるようですよ。


大阪というと現在でも道頓堀など、水辺の繁華街が盛んだけど、あれと同じイメージで江戸の歓楽街も運営されてたんですって。それが残ってるのは大阪だけってのが寂しいですけど。


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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-08-14 09:26 | 読書