明治生まれの女性アスリート・人見絹枝さん
2013年 08月 16日人見さんは岡山の農家に生まれ、昔から男の子たちより走るのが早かったそうです。
成人後は170センチを超える長身で手足が長く、しかも頭脳明晰だったこともアスリートとして恵まれてたんでしょうねー。
競技中の人見絹枝さん。(わかるとおもうけど、左
現在の日本女子体育大学の前身・二階堂体操女塾出身のジャーナリスト兼アスリートという経歴も、20世紀前半までの運動会だからこそありえた設定のような気がします。
某水泳の選手さんは20代中盤になるまで、ATMを使ったことがないとかあるとかツイートしたそうですが、最近の人たちは専門が先鋭化しすぎてる所があるか、と。それは残念だな、と。
これは芸術の分野(とくに僕が見ているかぎり、クラシック音楽など)でもいえると思いますが、やっぱりトップのアスリートは特別な感性、能力をもってる人たちなんで知的な反射神経もすごいとおもうんですよね。太宰治の弟子とされる小説家で、オリンピック選手だった田中英光が「オリムポスの果実」という小説を残したりしてます。
人見さんもわずか24年の生涯でジャーナリスト兼ノンフィクション作家として5冊も本を書いているそうです。
ヒストリアで紹介されたエピソードの数々はまぁビックリで、一度もやったことのない円盤投げで銀メダルとか、いかに世界的な規模でも人見さんの資質は優れてたのかとわかる内容だったんですよねー。
というか、もともと、女性競技者は古代ギリシャにならって男性のみで運営されてたオリンピックに入ることができず、フランス人女性富豪の出資による万国女子オリンピックなる競技会を独自に行うところから始まったといいます。これは現代とくらべると競技の種類は限られたものでした。
ちなみに女性は男性にくらべると体力がない・・・ということを理由に、フルマラソンが女性競技者の種目として正式に採用されたのは、1984年のロサンゼルス・オリンピックが最初だったみたいですよー。
で、人見さんは個人としてこれらの大会、さらには「フツーの」オリンピックに女性が参加できるようになってからはそこでも才能をエースとして発揮すると同時に、後進たちの育成にこそ、大きなチカラを注いだそうです。
ヒストリアの中で触れてたけど、人見さんをはじめとした「運動少女」に注目があつまると、美人姉妹なんて仇名でよばれた人たちは、●子は清楚な白百合、○子はにおいつよき赤薔薇… とかいわれて(セクハラっぽい)、勝手にモデルにされて小説化、ある一人の男性を奪い合うなんて設定にされたそうです(あきらかにセクハラ)。
※人見さんは小説にされてないのに
人見さんもキレイだとぼくはおもいますけどね・・・現代風な美なのかもしれません。
ちなみに関東大震災までは浅草の名所だった高僧タワー・凌雲閣(りょううんかく)での日本初の美人コンテストでも、一位になった人ってすげー男顔っていうか・・・女装みたいな芸者さんなんですよね。B・・・ではないとはおもうけど、美人とも・・・いえる?(聞くなよw
ホントの顔立ちより、お化粧が大きな問題になってることは言えるけど、今の感覚とは違うかなーって思ったりしたり。
彼女のパトロンである旦那たちの組織票でしょうかね(なんかの総選挙みたいww)。
投票はAKBよろしく、熱戦だったみたいですよ。
いずれにせよ、日本人は目パッチリ、鼻筋クッキリの顔がすき。その”具合”が時代の文化であり、違いなんでしょうーねー。
くわしくはこちらで
って例によって話がずれました♥