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八重の桜(32)~尚之助との再会

今回は川崎尚之助と八重の最後の対面を描いた内容がドラマの中心でした。

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正面から腕力で男性をなぎ倒すシーンもありましたが。




ドラマとして、よろしくもりあがっていたと思います。
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川崎尚之助がどんな事件にまきこまれていたのかをゾロッと調べてみると・・・・・


川崎尚之助は、斗南藩で、藩の収入をあげるために商取引をおこなう「開産掛」に任命された。

北海道・函館は、斗南藩からも近く、商業の盛んな土地だった。

とある斗南藩士と函館にわたった川崎は、そこで米座省三(よねざ しょうぞう)という、斗南藩士を名乗る男と出会う。

この男の紹介で、デンマーク人の商人・デュークと川崎は契約、食料にするための広東米(輸入米)の先物手形(要するに”契約証”です)を得ることができた。

しかし・・・・その先物手形を担保に、ヨネザは別の外国人商会からお金を借り、そのまま現金とともにいなくなるという盗難&詐欺事件が発生。

ヨネザは東京で逮捕されるが、その身元は斗南藩とはまったく関係がない、ただの地方の商人だった。

無事、川崎尚之助はデュークとの先物手形を回収できたのだが、問題は解決せず。

なぜなら、デュークが用意する広東米と交換するための大豆を、凶作に悩まされていた斗南藩は用意することができなかったからだ。

けっきょく契約不履行のカドで、川崎たち、そしてヨネザはデュークから訴えられることになった。

しかし、このとき、斗南藩が訴えられるハズなのに、斗南藩はこれは川崎たちの独断でやったことと言い切り、また川崎尚之助も「斗南藩の飢えたひとを助けようと独断でやった」と言い張った。

その結果、川崎尚之助たち”個人”がデュークに訴えられるという事態になり、東京での裁判のために移住させられることになった・・・・・というのが今回までの経緯。


しかも、この裁判中に川崎尚之助は3人も身元保証人が変わっています。(うち一人は、勝手に自分を尚之助の身元保証人にされたりしているみたい・・・すごいグダグダ感)

住所もテンテンとし、しかも斗南藩からの給料もなかったため、、川崎は極貧の生活を送っていたのでした。

それで、ちょうどその頃、八重が覚馬とともに例の京都府知事の槙村さんを釈放してもらうための嘆願で東京に来ていた、と。 これもウソみたいな事実です。



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しかし、本当にこの八重と尚之助の二人が再会できていたかは不明。


本当にドラマみたいな二人のやりとりを示す逸話はあるようですが、ある小説家の創作、らしい。


まぁーーー……会ってても不思議はないんですけどね。自分だったら会いに行くと思うなぁ。

ハッキリさせたいしね。

ドラマみたいにはじめて八重さんではなく、”八重・・・”って呼んだとか、”未来で、ずっと、まってる”という、「時を駆ける少女」みたいなやりとりがあったかは不明(w

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逸話だと、当時、川崎尚之助がいたのは保証人・川村三吉なる男性の自宅だったそうで。


いいシーンでしたけどね~

その後、川崎尚之助は栄養失調をこじらせ、肺病になり(この頃のおきまりのパターン)、現在の東大病院の前身に当たる施設で「慢性肺炎」にて死亡。
1875年3月のことでした。40歳の若さです。
その後、デュークの詐欺だ!という訴えが認められ、川崎は亡くなったので、ヨネザふくむ数人が有罪判決を受けたそうですよ。

あさくらゆう『川崎尚之助と八重 -一途に生きた男の生涯』という著書にこれらの経緯は詳しいようです。

自分も機会をみつけて読みたいな、と思うんですが、この本をベースにしたサイトも存在してます。こちらは川崎尚之助と八重さんのリンク。

このサイトによると、川崎尚之助の墓石は昭和四十年頃まで、彼の出身であった出石(いずし)のお寺にあったようですよ。現在は墓地の区画整理で、他家に土地の権利がうつり、墓石も消えてしまったようですが。

余談ですけど、こういうのって現在ではかなりよくあることです。川崎家が特別というわけではない。
前にあるお寺を訪問したら、ある有名な大名家のゴッドマザーといえる女性の名前を刻んだ墓碑が横に倒されてるじゃないですか。半年後に訪問したら、その墓碑は撤去されてました。
うちの実家も似たようなことを先年、一部の墓地に執り行いましたし。

で、思い出してるうちに書いておくけど、白虎隊の最期も結局、ハラキリしたところで終わってしまって出てきませんでしたね、このドラマ。しれっと省略的な。


尚之助さんのエピソードもキレイに省略されてたので、いちおう調べてみましたー(w



それから、話が飛びますが、このおっさん。

三条実美さん。

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久しぶりに登場したかとおもいきや、ヒエーって失神してました。この三條さんの卒倒、まさかの史実です。


のみならず、精神錯乱状態になっちゃったらしくて、ドラマみたいにお笑いではすまず、征韓論者は衝撃をうけたそうな。

そもそもドラマみたいに、征韓論を主張する人(主に西郷隆盛)とそれに反対する人たち(大久保、岩倉、その他)の激しい議論が直前にあったのではなく、いきなり辞職と官位返上(大久保)などのアクションがあり、大臣として三條は非常に厳しい立場に追い込まれてました。というか会議がサボタージュの連続でなりたたない。政府は実質的にすでに瓦解していたんですけど、それでもなんとか取りまとめなきゃ!っておもう三條さんはカラダをはりすぎたのです。

さて、この頃、朝鮮の李王朝は何をしてたんでしょうか。
14世紀の建国以来、徹底的な身分制度があり、貴族階級だけでも数十以上に厳別されていた”文治主義国家”李王朝では、とにかく政治的マンネリと軍事的な弱体化が問題になってました。

しかし、それを乗り切ろうとして、李王朝は日本などとは真逆で、徹底的な鎖国路線、国王の権利拡大など攘夷&鎖国&保守化の政策を、なんと19世紀半ばでも取ろうとしてたんですね。

幕府時代、李王朝とつきあいがあった、といわれていますが、実際の話、それは李王朝の使節を日本側が江戸まで好意で迎え入れているだけで、李王朝側はさらに徹底した鎖国を強いていますから、対馬藩のお侍を歓待するための屋敷に閉じ込め、それで”おわり”でした。

まぁ、そういうクローズすぎる国家でしたので、貴族たちが利権を奪い合い、政治的暗闘をくりかえすという伝統が出来上がっており、それ以外の広い視座を持つことが出来なかったんです。

どんどんやばいことになっている朝鮮はこの頃、(「韓国併合への道」などの新書にくわしいですが)世界的な情勢から立ち後れていたのは事実です。

まあ日本からみれば、いいカモだったのかもねー。

西郷の意図をドラマみたいに不平士族の不満を外に向けるためだけでなく、朝鮮や中国を「楯」に(保護という名目に)、日本の立場を再興していくべき・・・という大きな視点も持っていた・・・かどうか・・・はよくわかりません。
いずれにせよ、三條さんはよく働いたのですが、強硬な西郷さんと瓦解する新政府の面々との”間”に立つことにホトホト疲れ、バターンと失神してしまった・・・というのが現実みたいですね。

そもそも、アヤフヤな基盤しかもたない”新政府”をかかげる当時の日本が、その状態において「外国に手を出す」ということは、亡国をもたらしかねない重大問題であり、それを決済せねばならない立場にあった三條さんには深く同情します。



あと、八重さんがやってる女紅場の舎監(しゃかん)。
龍馬と結婚したと言い張ってた千葉さな子もああいう感じで女子学習院で仕事してたんだろうか・・・と思ったり。


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このドリームを語るシーンよかったです。





あと、視聴率も調べてみたら、前回の13.9%→15.9%まで2%上昇したようです。

最近の幕末編→京都編への所でみてると、12%から16%までの間を数%ずつ上昇、または下降しつつ数字が移動してる模様・・・。

12が14になり、それが16になったら、また12に下がり・・・みたいな感じ(苦笑
数字を見てる限り、一定のファンは付いてることがわかります。
清盛みたいに視聴者に置いてけぼりをくらってるわけでもない。

ただ、数字に対していうと、この前の日曜日、用事があって、夜8時頃ぼくは外出してたんですね。
そしたら夜の8時って、たぶんこのドラマが有力な想定視聴者としてたハズの20-30代の男女はようやく外出から最寄り駅に帰ってきてて、スーパーのデリだの寿司屋だのによって、夕食の買い物してるんですよねー。

大河がすごい数字を出してた頃、一昔前の日曜・夜の8時といえば、日曜日の”終わりの時間帯”だったはずが、今では多くのひとが家庭にすらたどりついてない。


その時間にテレビの前にいることが視聴率の前提ですから・・・・・・・大河が数字を取るには日曜夜八時に在宅してテレビを付ける人たち(たぶん必然的に年配)がなにを求めてるか、なんでしょうね。

大河といえば、BSプレミアムとかで、日曜の夕方にもやってるし、土曜日の昼にもやってる。
しかし、・・・これらの時間の全てが、有力な想定視聴者であるハズの20-30代の男女にとっては家にはいない時間帯なんですわな。

制作陣は日曜夜八時の街を歩くことから始めるべきかもでござるな。



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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-08-22 10:22 | 大河ドラマ