八重の桜(36)過激な転校生

はいはいはい。

台風ひどいですねー

1週間で1回しか更新しなくてごめんなさいー。

こちらも若干ひどいですねーw

わざわざ見に来てくれてるのにスイマセン。

またもう少ししたら素敵なお知らせができると
思いますので、その時はよろしくです!

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で。

いきなり「今日は一緒に寝ましょう!」っていわれた後、いつのまにか朝になってて、のみならずベッドからネグリジェ姿のジョーを蹴落とした音でお目覚めになり・・・と展開はあいかわらずアレですが、めっきりホームドラマっぽくなってきた最近の八重ww


男性用ネグリジェってスリーパーっていうらしいですけど。
これまで何度もツッコミいれながら見てたけど、書くには到らなかった。
でも今日これを書かずにはいられない。


このネグリジェがジョーのヒロイン力を養っているのか。
(ちなみにボクも小学生のころ、腹がパジャマでは出ているという理由でアレで寝ていました

先週は八重さんのヒロイン力がグッと上がったって話したけど、今回は号泣しながら「歩みが遅くてもいいんです!」とか言ってるジョーのヒロイン力の強さの前に、八重さん霞みまくってましたわ・・・

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八重さんってつくづくみんなの「お母さん」なんだなって思いましたですよ。

・・・・いや、24時間目が潤んでるジョーが母性たれながしてるから、八重さんはそれを見守る母の母・・・ババきゃらってか・・・汗


でも洋服着るようになってから、すごく可愛いんですよね、八重さん。

エプロンみたいなデザインのこの服、かわいい(w

八重さん、「ジョー」と呼べといわれて驚くの巻

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要するに夫婦は対等であり、云々という封建時代の日本ではありえなかった、洋風の生活文化を実践して見せたかったんだけど、それに物凄く反発する人々は多かった、と。その中に通称熊本バンドの面々もいた、と。

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熊本バンド【くまもとバンド】

日本のプロテスタントの源流の一つ。熊本洋学校(1871年肥後藩が設立)で米国人L.L.ジェーンズの感化を受けてキリスト教に入信し,のち同志社英学校に学んだ人々の集団をさす。彼らの多くは1876年1月熊本の花岡山で<奉教趣意書>に署名したが,それが熊本洋学校の閉鎖(同年10月)につながる事件となり,その後は同志社に学んだ。浮田和民,海老名弾正,金森通倫,小崎(こざき)弘道,徳富蘇峰,横井時雄などが代表的である。彼らはキリスト教を近代国家建設に不可欠な精神的基礎であると考え,日本組合基督教会の指導者として活躍した。



・・・だそうです。九州の一徹モノ、じゃっかん怖いです。



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いまの九州の子ってたしかに我は強いし、わたしがわたしがアピールも他県にくらべて強く感じるのは事実だけど、ココまでの人は減ったなぁーーーって思いました。
泣いても泣かなくても男らしいかどうかを考えるとか(w

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聖書の記述である「(世界&生き物&人類誕生)6000年前」とは、宗教的事実
一万年前(あるいはそれ以上も前)から文明が存在したエジプト」は、歴史的事実。
この二つは次元のちがう真実なのです、

という解説は現代(日本)だからこそ出来るっていう話。

19世紀の基督教会は科学文明の発達と闘わねばなりませんでした。


昔みたいに聖書の記述とことなる「それでも地球は回っている!(動いている)」なんて主張を唱える科学者ガリレオを破門させると脅せばなんとかなるって話でもなく。

たとえば、今日のドラマの時点で、ダーウィンによる進化論のベースである『種の起源』は1859年に出版された後です。

科学的事実、歴史的事実と宗教的事実の葛藤は長らく続いておりました。


熊本バンドの面々は、熊本洋学校ないし、宣教師である教師の私邸でのレッスンで高い学力を得てたんですねー。語学力もある。
聖書を学ぶというのはそういう辺りの新知識とどう向かい合うか、宗教者を目指すのであれば、その方策を絶対に得たいとおもっても仕方ないかな、とは思いますが・・・・ナマイキです(w


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なお、中村蒼が演じてるのは思想家・政治家になった徳富蘇峰の少年時代。

徳富蘇峰【とくとみそほう】 1863‐1957(文久3.1.25‐昭和32.11.2) 新聞人・文筆家。本名猪一郎。熊本県生れ。蘆花の兄。熊本洋学校,同志社に学び1880年中退。帰郷して自由民権運動に参加し大江義塾を開設。86年「将来之日本」出版,87年民友社を設立して雑誌「国民之友」発刊,90年「国民新聞」創刊。平民主義を掲げ言論界をリードしたが,日清戦争を機に強硬な国権論・国家膨脹主義に転じ,以後体制派言論人の雄として大正デモクラシーの潮流に対抗,15年戦争期の国民動員に指導的役割を演じ,1942年大日本言論報国会会長に就任。敗戦後は公職追放されたが,「近世日本国民史」(18‐52)全100巻を完結,生涯300冊前後の著作を残した。43年文化勲章受章。

岩波日本史辞典CD‐ROM


平民主義→右傾化。

「 君 しにたもふなかれ 」の与謝野晶子もこういう路線を辿りましたねー。



彼は小説家・徳冨蘆花の兄です。

徳冨蘆花【とくとみろか】
1868‐1927(明治1.10.25‐昭和2.9.18) 小説家。本名健次郎。熊本県生れ。蘇峰の弟。同志社に学び,1889年,兄の民友社に入る。下積みを経て,98年から「不如帰」を発表,大反響を呼んだ。ついで教養小説的な「思出(おもいで)の記」,清新な自然スケッチ「自然と人生」が名声を博した。1905年,富士登山中に人事不省に陥り宗教的傾向を強め,07年に東京府下千歳村に移居して半農生活を開始。大逆事件に抗議し,「謀叛論」で独自の社会観を示した。伝記小説「寄生木(やどりぎ)」や,田園生活の記録「みみずのたはこと」,自伝「冨士」4巻などがある。〔全集・20巻・1928‐30,日記・7巻・85‐86〕



この二人は二人とも同志社英学校中退だそうですが・・・

彼の不如帰 (ほととぎす)。えらくウケた小説です。

が、現在ではあんまり読んでる人って見たことない。

ぼくもぶっちゃけ、今日はじめて原文に触れましたが、が、なんだか戯曲みたい


おほほほほほ ってw

オンナってこういう風にはホントはヘラヘラしてませんがな


オンナがヘラへラしてますのは意中の殿方(しかもそういうのが好きな殿方)の前だけでおますえ
by horiehiroki | 2013-09-16 02:04