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アイデンティティ

「若者」とは誰か アイデンティティの30年(浅野智彦著)
という本を読んでいます。

現代日本には、すこし古びてきた印象があるけど、まだまだ「自分探し」がとうとばれてるムードはあります。

でもここまでどうして「自分探し」、つまり本当の自分(アイデンティティ)には
わざわざ探し出してまで出会わないといけない状況が生まれてるかは謎・・・

いまやアートからサブカルにいたるまで、この手の魂の冒険を描かない作品はありません。
そもそも自分をしるために作品をつくる、なんてことも、色んな作家さんとの出会いの中で聞いてきた言葉です。


そもそもアイデンティティという言葉が日常用語一般化したのは1950年代のアメリカ。
エリック・エリクソンという心理学者だそうですね。
彼は人間の人生を8つの段階に区分けし、その青年期において「アイデンティティの探求」が行われる、と。

もちろん、それのはるか昔からゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代」とか、いわゆる「ビルドゥングスロマン(Bildungsroman)」、青春成長物語みたいなかんじの作品群はありました。

ところが、現在においてのアイデンティティ探求の過熱化は、そうした過去の文脈とは似て非なるものであり、それは「アイデンティティそのものが失われたからだ(ジグムント・バウマンの説)」という衝撃的な論があるそうな。

アイデンティティそのものが失われた・・・というより言葉をおぎなって、アイデンティティの源泉がもはや存在しない・・・というとわかりやすいかも。

アイデンティティの源泉、それは”歴史”です。ウチにはたいした先祖もなく・・・っていう話しではないです。みんな両親、祖父母、そのさらに前の世代・・・がいたから、ここにいるんですよね。自分は一代でココまで来た!っていうはなしもきくけど、それは自分の前の世代までのありかたを”教師”がわりに、もしくは”反面教師”として使った結果のことです。

ところがそうした世代の鎖は、おおかたの人にとってもはや遺伝子リレーの話でしかなく、歴史、逸話、生活環境などなどまったく受け継がれていない・・・そういう一族もいっぱい出てきたのが20世紀~21世紀(現在)のトレンドなわけです。

かつて我々は”自我”とどう向かい合うか、なんてことを考えてました。
我おもうゆえに我あり。
でもその”我”が本当に自分自身といえるのかというと・・・・・・・ 

極端な例をだすとそういうことかと。

そもそもそういうことですよね?

失われた「わたし」を求めて、それが普通になってしまった時代の文化、アート、人生論。それが21世紀の主要テーマになるんでしょうか。

探して見つけるというより、自分をどうデザインするか。
だからテレビ、映画なんかの誰かがつくりあげたコンテンツを見てるよりも、会話、ネット通信(ツイッター、フェイスブック、ラインその他)で他人とつながり、その中でのコミュニケーションをつうじて、他人が見る自分の像を取り込んでいく。
歴史的に作られた居場所をうしなった現代人は、みずから新しい土壌を作ろうとしてるんでしょうね。

21世紀において(=21世紀においてもなお)、自分とは土から生えた芽のようなものである、と「わたし」はおもいました・・・

というように読んでていろんな論が頭の中に吹き出てきます。




by horiehiroki | 2013-10-05 00:16 | 読書