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いくつ分かる?名作のイントロ & 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集

新聞で紹介されてた

「 いくつ分かる?名作のイントロ  」

という本を母親とクイズ番組みたいに”あてっ子”しつつ読んでるのですが・・・・

意外に難しい。


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※画像は書影と、監修者の中江有里さん


自信満々で正答できたのは「痴人の愛」と「人間失格」だけかも。

作者は出てくるんだけど、題名が出てこない△もちらほら…という結果におわっています。

途中まで読んだのですが、疲れて残りはまた明日。状態でございます。

ちなみに「おんなごころ」なる章があるんですが(その手の本が集められてる予感)、やっぱ宇野千代とか激しい恋愛遍歴の女性が出てくるんでしょうか?

「生と性」という章の正答率が異様に高かった僕としては(w、わりと期待しています。
親に「あんたはそんな本ばっかり書いてるから!」とかいわれて何もいえない

たーだーし、その手の恋愛中毒的な女性は、男性ホルモン優位だそうで。男っぽいんですね。生物学的には。

20代女性が「恋愛・性愛に関心がない/嫌悪感がある」とアンケートで答える比率は現在で3割程度。
「彼女らは、女性ホルモン優位な年ごろだから仕方ない」とされてるのに、性愛嫌悪の男性も2割以上、3割に迫る勢いで年々、増え続けてることにたいしては、「男性ホルモン優位な年ごろなのに」と、問題視されてる記事を先日の新聞で読みました。

でもね、嫌悪感がある人は最初から土俵から下りてるんだけど、残り7割の「恋愛・性愛に関心アリ」と表明した若い女の子って、どくとくの、めんどくささがあると思うんですよ。
昔は恋愛が最大の人生の甘味というか、贅沢品で、めったに手にはいりにくかった。
経費もかかりました。バブル時代なんて正装して大学いって車でピンヒールの女子をお出迎えして、高級シティホテルでご休憩…とか。


自分自身を”対価”に、どれくらいの”獲物が釣れる”か…これを女の子はドリルみたいに繰り返して、いつしかそういうマテリアルガールを卒業、いつしか大人の女性になれるわけです、が、その成長過程に男の子は付き合いきれなくなってしまったんだろうと。

そこまでしてでも、付き合いたい!! というのがもはや、ありえないんでしょう。「いくつ分かる?名作のイントロ」には有島武郎の「或る女」の文頭も紹介されてましたが、有島は自分自身の女としての価値をもとめ、男たちの間を渡り歩くヒロインをビョーキという視点で描きました。

結果、愛という名のもとにこのヒロインと似たり寄ったりのことを全ての女の子がするようになってしまったのが昨今の日本。
明治からこっち、ここ150年あまりの間に女の子はものすごく複雑な存在になりすぎました。大半の男の子はもう土俵から下りてしまってる。さて、ここからどう女の子は切り替えしていくのか・・・? が今後の数十年のニッポンの青春の課題かと存じます。


で、話かわりますが、夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 というのもタイムリー(?)に手元にきていて、チラチラとよんでいます。

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海外のインタビュアーたちが捉えているムラカミ像は日本人の考えるムラカミ像とはかなり異なるなぁ、と。
とくに台湾などアジア圏ではなく、欧米人のムラカミ像は確実に肌触りがちがっています。
個人的には村上春樹はぜったいに東京周辺の空気ですべてを描く作家なんだけど。
それで興味深かったのが「アニメ(たとえば宮崎駿作品)」や「マンガ」といった、日本の”新しい”文化と、日本文化に相対的に興味が薄く、アメリカのポップカルチャー(ジャズなど)にいってしまったムラカミの接点を探ろうとするインタビュアーが複数いた点。

あるインタビュアーは「現代日本はカワイイものと、効率的なものの二つのオブセッションで引き裂かれてる」なんて実に興味深いことをいうんだけど、ムラカミの回答はすごく相対論的で「カワイイへのオブセッションは日本独自とはいえない。たとえばアメリカにもミッキーがいてそれがカワイイ」とかいうんですわ。

僕なんかはミッキーのカワイサはまるで異質だとおもうんですよね。日本のアニメのキャラのカワイサとは。

まぁ、ここらへんが・・・いやこの程度が、1940年代生まれ(なんですって)の、日本人男性における「カワイイ」の認識であり、限界ともいえるのかもしれない・・・


おそらく、ムラカミが多用する寓意的なキャラとしての、「羊男」だとかなんだとか、そういう存在が外国人のインタビュアー(文学者が多い)には「カワイイ」んでしょうね。いわゆる日本でうみだされるキティちゃんとかあの手の(アメリカのキュートとは異質の)カワイサのキャラの違いを彼らは掴んでる・・・(気がした

あとアニメにかんしても「あまり見ない」と、語調をやわらかくしつつも全否定するムラカミなんだけど、一読者としてムラカミのスタイル…というか文脈、行間からイメージできる映像はどんどん、アニメ化してってる気がしてなりません。キャラはもはや、モフモフした羊男みたいなイメージや「ダンスダンスダンス」のバブル時代のイラストの域を遥かにこえ、「1Q84」なんかで想像される映像は完全にアニメでした。
しかもミヤザキ作品などとは違い、3ヶ月がワンクールの「普通のアニメ」の絵柄。

(あるインタビュアーはミヤザキ作品のキャラがある種のキュートさをもつ、なんていうけど、ここらへんは少し僕の感覚とはちがうね)

異様にエロいシーンが執拗に挿入されてくるのが気になったんだけど、それは以前のインタビューでムラカミがこたえたごとく「女性は巫女的な存在として描かれる(セックスで男性を異なる次元に連れて行く)」的な存在ではない。
なんかとつぜんエロシーンが出てくるゲームかなんかみたい。

十代の少年から「なぜあなたは年上なのに僕の気持ちがわかるの」と手紙をもらうこともあるそうだけど、
村上春樹自身が青春の巫女であるということがいえると思うんです。

その時代、時代の、日本の”二十歳”という集合意識のようなものがあるとしたら、その”二十歳”のド真ん中にピンポイントでアクセスして、その実像を持ってこれる……というような。
必然的に、彼が描く20代ないし30代の男性の精神年齢(あるいは恋愛のお作法など)はそのあたりのまま、ということです。
そういう彼らのことを中二病ってことばがあるけど、二十歳病ともいうべきでしょうかね。大二病というか。


だからこそ、作家本人は1940年代後半生まれの日本人男性にすぎず、カワイイにもマンガにもアニメにも興味がないのに、どんどんその作品の行間はアニメ化、漫画化、もっというとラノベ化してきてる映像がつまっている、と。少なくとも僕にはそう思えます。少なくとも、実写ではありえないよね。

・・・ということで、なんていうか頭から終わりまで全部よむと「正直しんどい」んだけど、現代日本のある部分を代表してる(といってもよい)ムラカミ作品について、村上自身がクチを開く珍しい機会ですから、なかなか興味深いところもあり。
示唆に富む本でした。





by horiehiroki | 2013-10-15 00:38 | 読書