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悔い改めない女

昨日、福家警部補の挨拶をチラ見しながら、事務作業をしてた、んですけども、
大女優を演じる若村麻由美がよかったです。
女優として生きることに拘るマリという女が若村麻由美の役なんだけど、彼女はある既婚者との恋愛のすえにできた娘を施設にあずけ、女優としての高みを目指した・・・・・っていう、いまどきめずらしいタイプの女優女優した、大女優でした。
で、その娘は、母親と同じ女優の道を知ってか知らずか進もうとしている。
しかし、大きなオーディション(若村演じるマリも受けていた)を前に、そのプレッシャーにまけて、薬物に依存していたところをタブロイド誌にすっぱぬかれてしまうんですね。
そもそも若村麻由美は自分から役を奪おうとした・・・のではなく、娘から役を奪おうとした、長年のライバルを殺害容疑で、拘留されることになりました。

ところが、警察に拘留されたマリの元に福家警部補が面会にあらわれます。
そしてタブロイド誌をみせつけ、
「いまこそ母親として、娘さんに向かい合ってあげて」といわれたときも、マリは「私は母親じゃない、女優だ」と一喝するんですね。あくまで娘ではない、と否定しながら。
その裏にあるのは、殺人者を家族にもたせたくないという気持ちだったり、複雑なのはわかるんですけど。
逮捕されたり、弱い立場においやられたからといって、絶対に世間のルールにしたがおうとしたりしない、自分のルールを貫き通す、そんな女がいてもいいじゃないの、と。

でもドラマは「いつまでも演じていてください」と憐れみや軽蔑、哀しみ、怒りをやどした目で女優・マリを福家警部補が一瞥し、部屋から出て行くシーンで終わってしまいました。



話がずれますが、お正月頃、平岩弓枝の『御宿かわせみ』の名作選を読む機会がありました。

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武士の次男。神林東吾と、その幼なじみで(身分違いの)恋仲にある、るいという女性の、言葉にするより態度で分かり合う、しっとりした大人の男女の関係が、江戸の四季を背景に描かれています。
時代小説というと描写がこまかくて、くどいイメージがあるけれど、「御宿かわせみ」はギリギリまで文章をけずって、読み手の空想が自由に入り込めるように造られてあります。
ある意味で、心理小説だといえるでしょう。
今回は名作選なんだけど、「白萩屋敷の月」なる短編があり、このズッシリとした読後感は、いまでも忘れられません。
逆に言えば、この衝撃がつよすぎて、これまでブログに書こうかな…って迷ってたくらいなんですけども。
あらすじですが、神林東吾は兄から、ある未亡人を訪ねるようにいわれます。
おばあさんかと思っていたら、実はかなり美しい、若さも残る女性で、しかし、彼女の横顔には火傷の跡がありました。
その跡は彼女が年上の夫を助けるため、火事で燃えた屋敷に飛び込んだときに付いたもので、残念ながら夫は死んでしまったが、彼女は貞淑な未亡人として世に知られていたそうなんですね。

しかし、神林東吾は、何回か屋敷を訪ねるうちに、その未亡人から思わぬ過去の話を聞きます。
もう会えないだろう、というくらいに病気が篤くなった未亡人は、神林東吾にこう語ります。

「自分こそが神林東吾の兄の初恋の女性であり、彼女もまた、神林東吾の兄を密かに愛していた」、と。

しかし二人の幼い恋は、彼女が金持ちの老人と結婚することで立たれます。
女のほうが年上であることと、家の都合の縁談でもあり、断れなかった・・・と。

そして、どうせなら、早く夫が消えてくれるよう、年寄りを選んで結婚し、燃える屋敷に飛び込んでいけたのも本当は夫が目的ではなく、神林東吾の兄からもらった、恋歌を記した短冊を失いたくなかったからだ・・・・・・・と。

自分はもう死ぬし、お兄様はすでに別の女性と結婚しているから、それを燃やしてくれ、と神林東吾に頼んだ未亡人は、短冊が望み通り灰になるのをみて、意外、というしかない行動に出ます。

神林東吾に
「あの人にはもうわたしは会えない。こんな火傷跡のある顔になってしまったし、年もとってしまった。
でも、どうか弟であるあなた様にわたしを最後に、もういちど女にしてもらいたい」
というような熱烈な迫り方をして、願いを叶えてもらうんですね。明け方まで。


「お兄さんには秘密にしておいてくれ」という未亡人の約束を神林東吾は守り、彼女がほどなくして亡くなったということを知る

・・・・・・・と、いう内容なんですが。
ずっしり重いです。

とくに、短冊を燃やしてから、女がしなだれかかってくるあたり、いかがでしょうか。
ふつうの小説なら、その女が思い出をたよりに生きてきたのであればあるほど、最後の最後まで、自分の夢を潰すようなことはさせないと思います。まぁ、それが常識というものですわ。
女性作家だからこそ書いちゃうんですかねー。
あまりにもむごい結末だと思う。

しかも、他の短編では「東吾はるいを抱いた」とかしれっとさらっと書いてあるのが余白のエロスなのに、この未亡人との濡れ場はものすごくしつこく書いてあるんですよ。なんか百合の花のおしべやめしべのしつこさを思わせるような。


世間ではイヤ~な読後感をウリにしてる、とされる、湊かなえ先生などが真っ青になって逃げ出す、濃密にイヤな読後感だと思いました。

でも、世間のルールになど従おうともしない若村麻由美の熱演を見ていて、なぜだかもしかして、この未亡人は、どうしても自分の思い出の恋を「穢さねばならなかった」のではないか・・・と思いだしたんです。

未亡人にとっては、生涯をかけ、いや、生きる力が昔の恋の想い出であったんです。
しかし、そのずっと想い続けた神林東吾の兄とは今生では結ばれず、命が尽きてしまおうとしているという非業の現実を受け入れるため、受け入れなくてはならないがため、短冊を燃やしたように、一番大事な、思い出の恋もみずからの手で壊し、穢すしかなかったのかな・・・・・・と。

こういう恋って悲しいですね。


by horiehiroki | 2014-02-19 13:14 | テレビ