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印象派のふるさと ノルマンディー展 近代風景画のはじまり



東郷青児記念美術館まで行ってきました。

印象派のふるさと ノルマンディー展 近代風景画のはじまり 、

よい展覧会でした!


ブーダンって、弟子とされるモネよりもずっと表現的には「先」に行っていたんだな……と気付きました。


ブーダン「川沿いの牛の群れ」 年代不明、ル・アーブヴル、アンドレ・マルロー博物館

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これが展示されてあったんですが、衝撃をうけました。
帰宅して調べてみたら、完成年代が記入されていない。これは未完成だから……なんですかね。習作というわけでもない左のほうに描かれた牛なんかは、もはや、絵の具をちょんちょんと置いてしまっただけ。なんと大胆!

これを見て思い出すのが↓の作品。

モネ「キャプシーヌ大通り」1873年、モスクワ、プーシキン美術館

印象派のふるさと ノルマンディー展 近代風景画のはじまり_e0253932_1522479.jpg


”印象派”展第一回に出品された作品ですね。
展覧会の中でももっとも不評だった作品の一つで、レビュー記事に「ヨダレの跡のような無数の黒いもの」などとクチを極めて批判的な言葉が連ねてあるんですが。

ブーダンには「なかなか才能がある」しかし「なぜ、海の光景をいじくりまわすのだ?」とだけです。

ブーダンが↑の年代不詳の絵で描いた牛に到っては、背中のブチ(斑点)だけですからねー。

今のわれわれの目からしても、思い切りのよさには驚くかぎりです。ブーダンは「空気」を描きたかったのだな、と。


さて、このノルマンディー展、ノルマンディーという土地にどうして上流階級や、画家たちが吸い寄せられていったのか・・・を19世紀始め頃からのロマンティックな廃墟ブームとか、「ピクチャレスク(絵になる)」な光景をもとめ、アーティストたちが集ってきたという説明つきではじまります。
いろんな画家の小品がみられます。特別に技師を手配して版画になったターナーの作品は白黒だけど、なんだか濡れたような気配がかんじられ、ターナー特有の「朦朧体」がありましたよ。

フラゴナールの息子も画家になったとは驚き。


そして次の部屋あたりからブーダンなど印象派の最初期~中期くらいまでの作品群が。さらにはギュスターヴ・クールベが並際を描いた激烈な作品も何点か。クールベは写実主義とかいわれているようですが、ドラクロワのようなロマンティックな系譜に連なるというか、ほんとに主観的で壮絶な心理ドラマを風景に見出そうとしている。その描き込みにちくいち、すごい迫力が感じられますよね。

一方で、「同じ」ノルマンディーの風景を描いたブーダンとクールベを比べてみたところ、痛感するのは、画家は手指のかわりに、みずからの眼差しをとおして世界におずおずと触れ、それを解釈する者であるという事実です。

写実派は、下草のやわらかさと、ざわめく木々の無数の葉の美しさを描きます。

印象派の画家の場合、森や草は風にざわめくものです。彼らは空気そのものを描こうとする。まさに情景、印象・・・。

”ロマン派”の画家の場合、情景を前に沸き起こってくる自らの内的なドラマを描こうとする。風や木々のざわめきに宿命的な悲劇を感じる……とか。


このように●●派という美学的なあつまり自体に、画家の何を、どのように描くか、という欲望の傾向があらわれており、完成度の高い絵とは世界によりよく触れることが出来た絵である・・・・・といえると思います。




by horiehiroki | 2014-10-02 10:00 | 展覧会