印象派のふるさと ノルマンディー展 近代風景画のはじまり
2014年 10月 02日東郷青児記念美術館まで行ってきました。
印象派のふるさと ノルマンディー展 近代風景画のはじまり 、
よい展覧会でした!
ブーダンって、弟子とされるモネよりもずっと表現的には「先」に行っていたんだな……と気付きました。
ブーダン「川沿いの牛の群れ」 年代不明、ル・アーブヴル、アンドレ・マルロー博物館
これが展示されてあったんですが、衝撃をうけました。
帰宅して調べてみたら、完成年代が記入されていない。これは未完成だから……なんですかね。習作というわけでもない左のほうに描かれた牛なんかは、もはや、絵の具をちょんちょんと置いてしまっただけ。なんと大胆!
これを見て思い出すのが↓の作品。
モネ「キャプシーヌ大通り」1873年、モスクワ、プーシキン美術館
”印象派”展第一回に出品された作品ですね。
展覧会の中でももっとも不評だった作品の一つで、レビュー記事に「ヨダレの跡のような無数の黒いもの」などとクチを極めて批判的な言葉が連ねてあるんですが。
ブーダンには「なかなか才能がある」しかし「なぜ、海の光景をいじくりまわすのだ?」とだけです。
ブーダンが↑の年代不詳の絵で描いた牛に到っては、背中のブチ(斑点)だけですからねー。
今のわれわれの目からしても、思い切りのよさには驚くかぎりです。ブーダンは「空気」を描きたかったのだな、と。
さて、このノルマンディー展、ノルマンディーという土地にどうして上流階級や、画家たちが吸い寄せられていったのか・・・を19世紀始め頃からのロマンティックな廃墟ブームとか、「ピクチャレスク(絵になる)」な光景をもとめ、アーティストたちが集ってきたという説明つきではじまります。
いろんな画家の小品がみられます。特別に技師を手配して版画になったターナーの作品は白黒だけど、なんだか濡れたような気配がかんじられ、ターナー特有の「朦朧体」がありましたよ。
フラゴナールの息子も画家になったとは驚き。
そして次の部屋あたりからブーダンなど印象派の最初期~中期くらいまでの作品群が。さらにはギュスターヴ・クールベが並際を描いた激烈な作品も何点か。クールベは写実主義とかいわれているようですが、ドラクロワのようなロマンティックな系譜に連なるというか、ほんとに主観的で壮絶な心理ドラマを風景に見出そうとしている。その描き込みにちくいち、すごい迫力が感じられますよね。
一方で、「同じ」ノルマンディーの風景を描いたブーダンとクールベを比べてみたところ、痛感するのは、画家は手指のかわりに、みずからの眼差しをとおして世界におずおずと触れ、それを解釈する者であるという事実です。
写実派は、下草のやわらかさと、ざわめく木々の無数の葉の美しさを描きます。
印象派の画家の場合、森や草は風にざわめくものです。彼らは空気そのものを描こうとする。まさに情景、印象・・・。
”ロマン派”の画家の場合、情景を前に沸き起こってくる自らの内的なドラマを描こうとする。風や木々のざわめきに宿命的な悲劇を感じる……とか。
このように●●派という美学的なあつまり自体に、画家の何を、どのように描くか、という欲望の傾向があらわれており、完成度の高い絵とは世界によりよく触れることが出来た絵である・・・・・といえると思います。