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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

今頃ですが、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みました。途中で登場してくるセロニウス・モンクの「round midnight」なども聞いてたしかめながらよみました。

モンクと仲間達による演奏を聞きましたが、サックスにあらわれるメランコリックな主旋律をほとんど妨害するがごとくモンクがピアノの鍵盤を叩いて、異質な何かにかえていきます。本人がピアノソロで弾いたバージョンも聞きましたが、左と右の手に現れてくる旋律がむすびつくことがない。むしろ別のピアニストが弾いたのを聞いた時に、はじめてメロディの本質的な意味を知ることが出来た……くらいです。ぼくとしては。モンクが弾けば弾くほど、聞けば聞くほど、印象がバラバラと解けていってしまう……そして本作も、内容的に異質な作品だったと思います。

アカ・アオ・クロ・シロ、そして彼らにくらべると個性=色彩を持たない多崎つくるの紹介がつづき、おハナシの立ち上がりは異例なまでに遅く、またその紹介に生き生きとした何かをほぼ感じ取れず、非常に観念的で、それこそ色彩をもたないのが印象的でした。村上はもはや青春を概念としてしか描けないのか(その一方で三十代以上になってからが生き生きとしている)というようなことも感じました。ただし印象はその後、ハナシが走り出すと一変していくのです。村上作品に頻出の個性を与えられたキャラがたくさん登場します。

しかし、なにかしら、どこかが新しいんですね。とくにビックリしたのが、何回か自分も触れたことがある村上作品の主人公のキャラについてつっこんだ解釈がなされていた点。(最近、村上の微温な主人公たちは「ふむ」とはいいませんが、)時にヒステリックでメンタルを病んだ女性陣に対比されるあの微温的かつ「ふむふむ男子」たちは、その状態を保ちつづけるのに、それはそれで大変な努力を払ってるんだ…という、言い訳が現れたのにはビックリしました。

微温男子は、ある種の女にとってはスキにならざるをえないのだけど、しょせんはわかりあえない。異質だから。最後にはどうやってもうごかせない壁みたいな存在になって、ぶつかればぶつかるほど自分が傷つき……みたいな印象をあたえる、なにをどうつついても、感じているそぶりすら見せたがらない、そんな微温男子も彼らなりに苦悩している。微温男子たることの苦悩がここまでハッキリ言及されているのって、村上作品の中では異例ではないでしょうか(あまりよい読者とはいえないので、違うかも知れませんが)。

記憶をたどってみても、ここまで見通しの効いた構造をもつ村上世界はなかった気がしています。夜の眠り=非現実 と 昼の活動=現実 といったいろんな対比が登場するのは、いつものとおりです。夜の眠りと夢がひとつのパラレルワールドとして機能するというあたりもいつものとおり。そして夜の世界には謎めいて、なおかつ性的な表現がたくさんでてくるのもいつもどおり。さらに眠りの中のパラレルワールドは完全に主観ではなく、他人とも共有されている世界のようですね。しかし、だいたいのナゾが最後まで読むと説明される作りになっているのです。
(あなたが納得するかどうかはともかく)、「あー、あれはああいうことをいいたかったのか」とわかります。わからせられるようになっているともいえますな。これも比較的長年彼の作品を読んでいる者からすれば不思議な経験でした。

村上春樹の作品って、絶対的ポストモダン小説なんだなってことです。
時代がもはやポストモダンとはいえなくなってなお村上春樹作品はポストモダンでありつづけ、逆にいうと非常に観念的なものになろうとしているのが不思議な印象でした。観念的な小説がポストモダン小説のひとつの特徴として機能していた時代、村上文学は平易とされてきた。しかし実際はまったく違った。逆だったのです。ひとつの大きな深淵でありナゾだったのです。その深淵がナゾをみずから明らかにしていく作業がこの作品の特徴ではないでしょうか。これは村上による村上の解体新書だったのだと。しかし時代がどうであれ、構造がどうであれ、村上作品はつねに村上的でありつづけるのです。

by horiehiroki | 2015-09-26 08:22 | 読書