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徳川家康公没後400年記念まち歩きツアー@港区

港区・赤坂で今月末に開催される徳川家康公没後400年記念の
歴史フォーラムでお話させていただくために「徳川家康公没後400年記念まち歩きツアー」(のテスト開催)に参加してきました。→港区の参考サイト
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旧台徳院霊廟惣門(撮影は夏)
戦災被害をかろうじてまぬがれた遺構の一部。
元は別の位置にあった。

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コースでは最初に見学した御成門。こちらもかつては別の場所にあり、
江戸城から増上寺に将軍が参詣に来たとき、寺内に入る専用の門だった。
将軍は着替えをして、威儀をただして増上寺内に入った。
駅の名前になっているわりにこぢんまりとして、
風化してしまっている…。
黒漆が塗られていたそうだが(一説に)、
風雨にさらされて白っぽくなってしまっている。茶色いのは
おそらく黒漆を美しく見せるのと、耐久性を増させるための下地とおもわれる

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こちらは現在修復中の有章院霊廟二天門。
有章院=徳川家継(七代)
戦災に遭う前はもっと壮麗な建物の一部だった。




ルートにふくまれていた、徳川家重公の菩提を弔うために、葬儀をとりおこなった
増上寺の大僧正によって特別に作られたという
妙定院(みょうじょういん)の見学はとりわけ興味深いものでした。
妙定院は増上寺の別院という位置づけです。
さらに大奥の老女(「御年寄」などの実力者)たちが亡くなる時、
それまで肌身離さずもっていた仏像などを寄贈した品々多々あるという
非常に珍しいお寺です。
なぜ、それらが妙定院にあるのかという由来は
ハッキリとしないのだけれど…という住職さんのお話自体が
「奥でのことは、外の世界で漏らしてはならない」
という大奥の掟そのものだなぁ…などと感じいってしまいました。

そもそも八代将軍・吉宗公以来、それまで代々行われてきた霊廟建築造営の
伝統は経費削減的な意味合いもあってストップしています。
その九代・家重公やその子たちを祭るための組織として妙定院が
作られた…というイメージです。

さて、家重公は神経質なところはありましたが
(例の肖像画は画家に顔を覗き込まれて描かれる時、大きなストレスを感じたらしく歯を食いしばっている)、
実際は父・吉宗公の政策上のあやまりをただそうとしたり、
将棋が強かったり、また絵画(妙定院に伝来)にも秀でていたり…つまりはいっぱしの文化人でした。

遺骨調査の結果、本当は美形だったそうで、大奥の女人方の懊悩も深く、
信仰心なども同時に高まっていたのでは(だから妙定院には彼女たちの信仰した
仏様が預けられている)……というようなことを想像できるわけですよ。
七福神などが多いのはけっこう現金だな、とも思いましたが。

大奥の女性といえば、なんとなく(女人成仏をうちだした)
日蓮宗との関係が強い気もしていましたが、浄土宗の信仰も盛んだったのですね。

以上、増上寺周辺をボランティアガイドの方々と一緒にあれこれご説明いただいたり
お話しながらまわってきた感じです。歴史フォーラムでもお話することと被るでしょうから、
ここでは御報告程度に…(とはいっても長くなりましたが)。

ツアー終了後、個人的に増上寺宝物展示室に行ってきました。
芸術新潮などでも特集された記憶のある「五百羅漢図」の展示のほか、
いちばん見たかったのは
秀忠公こと台徳院の霊廟建築の100分の1ミニチュア
です。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に展示期間終了後は解体され、
(その後、組み立てがあまりに難しかったのでしょうか)展示されたというこのミニチュアですが
本当に素晴らしいものでした。
宝物展示室に入館すると、空襲で焼けてしまう前のありし日の霊廟建築の写真絵はがきを
もらえるのですが、それはそれは壮麗です。ミニチュアを通じて、その偉容を感じ取ることが
できます。

…やはり最高権力者の霊廟…他の大名屋敷などとは精度の違いは明らかでした。
戦前は国宝に指定されており、もし実在していれば次のオリンピックに向け、
東京の宝、日本の宝だっただろうと感じます。往事は日光の東照宮以上の美しさだったといいますし。
戦争は勝っても負けても結局は負の側面以外、何も残してくれませんね…。

東照宮をはじめ、家光公によって作られた建築群といえば、モダニズム建築の観点からは「悪趣味」とか「仰々しいだけ」みたいにいわれてしまっていますが、信仰と救済を色彩の美しさで表現しようとした、美的価値の高い存在だと思うようになりました。たとえば戦災前の台徳院霊廟も秀忠を祭っている宝塔のある部屋こそ、いわゆる日光様式的に極彩色で、極楽浄土の輝きを表現していたようです。その部屋にいたるまではかなりシックでオーソドックスな建物でした。日光の陽明門などは、山のうすぐらい木立を借景に、それとは対照的に光り輝く太陽を(救済のシンボルとして)摸しているんでしょうね。


さて「五百羅漢図」は、実物に対面、しっかり拝見すると、エキセントリックな部分がアクセントになり、
全体像としては「きれい」と思える印象を受けるのが意外でした…。

その後、行きそびれていた泉岳寺や、大田区の馬込文士村(があった住宅街)を散策、
戸越銀座の東京一長い商店街も初訪問、ウロウロ歩いて戻ってきた次第です。
週末は、500円で何回都営地下鉄は乗っても定額制というワンデーパスがあるので
都内遠足を企ててみるのもよろしいかと!

by horiehiroki | 2015-11-05 12:00 | 歴史・文化