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東照宮の本殿内の歌仙図

東照宮の本殿内には、なぜか歌仙図が飾られています。
日光東照宮の方にうかがったところ、全国の東照宮でも主だったところは飾っている、とのこと。
参考
日光の本殿の絵は後水尾天皇などが寄贈なさっており、それらが後に「錦の御旗」となり、
明治時代になってからの破壊を免れた
ということもわかりました、が、
「なぜ」歌仙図があるかということはよくわかりませんでした。

しかし最近、「披沙揀金(ひさかんきん)」(全国東照宮連合会・編)に「駿府記」をソースとして、下のような
記事が掲載されていることを偶然しりました。

東照宮の本殿内の歌仙図_e0253932_431419.jpg


慶長19年~20年は大阪の陣があったころで、そのさなかにわざわざ徳川家康が冷泉家から人を呼んで、定家の自筆本(三十六人歌仙)を鑑賞する……というような記事(など)が出ています。文字はヒトなりの伝統が日本にもありますが、豊臣秀次時代から過去の文化人の自筆を鑑賞あるいは入手することが、大いに流行っていました。

家康の場合は、貼り付けた画像にもあるように、この直後に、源氏物語や伊勢物語なども鑑賞・講釈をうけています。
(あんまり関係なさそうですが)源氏物語を京都の由緒ただしい文化人の方々から直接受けることが、ステイタス。源氏の棟梁・征夷大将軍の証をとおりこし、天下を統べる者としての条件!というように自分をも祭り上げようとしていた……ということは有名です。

やはり、こういう文脈の中で、三十六歌仙の作や肖像画に宗教的な祈り・意味がこめられていき、東照宮の本殿にも飾られるようになったのでしょうね。もしかしたらその定家自筆本の三十六歌仙と、東照宮内殿の歌は符号しているのかも、しれません。あとは家康の具体的な感想があればさらに面白いのですが……

ただし、このように冷泉家の資料も持ち出したりしているうちに散逸することが危惧され、ほかならぬ二代将軍・秀忠の命令で冷泉家の蔵は閉じられて、本当に限られた人・機会しか見ることができなくなりました。

このことは大いに家の恥とされたようで、冷泉家をふくむ内外に当時のことを知る資料は残されていないようです。日本は恥に敏感ですから、そういうことについては一切データーを残さないようにしてしまいます。
たとえば12月中に発見された、本願時での浅野内匠頭乱心を知り、その背景について寺側がもっと知ろうと指示を出した記録自体はあっても、そのレポートは残されていません。
最後、余談でした。




by horiehiroki | 2016-12-26 10:51 | 歴史・文化