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カテゴリ:読書( 68 )

安村敏信「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」という本が面白いです。

安村氏は板橋区立美術館の館長さんで、精力的に江戸時代の(わりとレアな)絵画を取り上げた展覧会を開催している「鋭意の人」。

で、この本も表紙だけ見てると、ずいぶんそっけないので学術書かと思いきや、

(江戸絵画の概論的な知識が・・・たとえば伊藤若冲くらいしかないとさすがに厳しいですけど)

やさしく、面白い語り口で読ませます。

内容はですね、ま、まぁ、「くつがえす」とまではいかないにせよ・・・経験上、こういう手合いの気合い入ったタイトルって編集者が無理矢理つけちゃうことが多いです・・・、 ホントに常識が「くつがえってる」のもいくつかありました。

中でも「狩野一信」の項目には驚愕しました!

狩野一信といえば、伊藤若冲だの曾我蕭白だの、いわゆる「奇想派」といわれている(※この本の中で、そんな派閥といえるものはない、といわれてるわけですが)グループのなかに入るんじゃないかと思われてますし、じっさいに腋毛、胸毛とムダ毛をおもいっきり描き入れた濃すぎるオッサンの肖像で有名ですよね。ここまでムダ毛にコダわりのある画家は日本絵画史上、稀だと思います。

安村敏信「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」_e0253932_5264659.jpg


世界美術史の中でもトップレベルにムダ毛好きの画家とよんで良いとおもいますし、それゆえ苦手すぎる画風なので完全スルゥでしたけど

(下品は下品でも、フランシス・ベイコンの下品はOK、でも狩野一信の下品は僕にはNGなんです)



この人を「狩野」一信とよぶ根拠自体が文献学上、認められない。現時点では存在しないという安村氏の指摘には驚愕しました。

それこそ、このムダ毛LOVEの何処が狩野(派)なんだ、と思ってたわけですが、その「カン」って当たってたようです。狩野派ってたしかに広がりはありますけども、エスタブリッシュメント専用の御用絵師ですからね。

いちおう”狩野”一信も、五百羅漢図を江戸時代最大のエスタブリッシュメント、徳川家の菩提寺の一つである増上寺に収めてるわけですけども(一説に1854年ー1863年にかけて制作)


それで話がもとにもどります。

ウィキなどにも、逸見一信(へんみ かずのぶ)と呼ぶ説もある、程度だけれど、記述がありますね。

この逸見の姓も一信さんがお兄さんと争い、家を飛び出た時、橋の往来で神田在住の占い師だった男(逸見の姓の持ち主)に「なんかデカいことをしでかす顔」と見込まれた、と。
それで彼の長女(やす、のちの妙安)と結婚させられて得たものだそうな・・・・とかゴシップがついてまわる人です。
歌舞伎みたい。


しかし、狩野の名字を名乗ることを許されたと確証する資料がない以上、やはり狩野ではなく逸見一信と呼ぶべきという主張は正しいでしょう。

狩野一信と呼ばれるようになったのは明治時代の美術史の大家・大村西崖による「狩野一信伝」(1894、京都美術協会雑誌27号収録、らしい)が最初だそうで。

この記事のなかで、大村は、一信の妻で画家でもあった妙安(みょうあん)のインタビューを収録してるんだけど、ココにおいて、妙安は功名なウソを付いてるようです。

彼女は(この前、全幅が展示された)「五百羅漢図」全百幅について残り4つまでを”狩野”一信が仕上げたと告白してるんだけど・・・実際に一信が描いた、もしくは、関わっていたのは80点ほどだったのではないか、といえるのだそうです。

安村氏によると、それはキッチリと80番目まで、だそうです。
根拠は彼の鑑識力ですけど、「残りの81番目以降は背景の描写が淡泊になるなど、だんだんと画の力がおとろえ(どうじにアクのつよい描写も影を潜め)、90番以降はトクに稚拙な表現が目立ってしまう・・・」という指摘を安村氏はしているんですよねー(本書235ページ)


ここらへんの「感想」には僕は現物を見ていないので何とも賛同できないのですが。
いやー見ておくべきでしたね。

ここまでは本書に書いてはいないにせよ、「狩野」の姓を名乗ったの件についても、亡き夫の評価を高めるために妙安が・・・・・・ということは十分に考えられるかもしれませんね・・・

絵画って趣味で見にいったりするところが多いのだけれど、急にブームがやってくるタイプの画家は、作風がたとえ趣味でなくても展覧会に足を運ぶべきだな、と思われました。
このように興味深い事実が隠されているんですもの・・・。
by horiehiroki | 2013-05-29 12:11 | 読書

世界で一番美しい果実図鑑 、 クリスマスの文化史_e0253932_565823.jpg



「世界で一番美しい果実図鑑」は面白い本でした。図鑑というより写真集ですね。そして文章が楽しい。文系の人間にも非常に興味深い内容。

なかでも「時代錯誤植物」という概念にはドキッとしました。

オーストラリアは1万五千年ほど前に全動物の96%が絶滅したそうです。理由は不明。でもこの手の大量絶滅の原因には、隕石衝突などがきっかけとなり、これまで当地には存在しなかったウィルスによる感染と病死が考えられるとか。

「時代錯誤植物」とは、その時に絶滅してしまった動物が、その植物の種の攪拌をメインで担っていた植物ということ。ぶっちゃけ、ある植物の果物はゾウに食べられ、その糞に種が混じって排出された場合のほうが発芽率が7,8倍に増えるそうです。「時代錯誤植物」は、ほそぼそと命をつなぎつつ、絶滅してしまった動物をその植物はずーっと待ち続けてるんですって。もう二度と来ないのに・・・という。

世界で一番美しい果実図鑑 、 クリスマスの文化史_e0253932_515553.jpg


なんとなーく 「おおきな木」 という絵本を思い出しました。


もう一冊は「クリスマスの文化史」。白水社刊。

こちらは歴史文化系ですが、仕事抜きで楽しめる本でした。もちろん有益な知識も入ってましたが。なによりビックリしたのは、現代日本で現役のクリスマスカードの「伝統」。これも日本でヴァレンタインに配られるチョコレートと同じくらい、企業のキャンペーンが効を奏した結果、現在の形になったということ。クリスマスツリーにしてもなんにしても、すべて企業の広告戦略の末に「伝統」になったという物でした。欲と金のニオイがするよねーという話です。

19世紀初期までのヨーロッパでの手紙(郵便)事情は、トゥルン・ウント・タクシス侯爵の独占する郵便事業と郵便馬車によって、しかもかなり高額な経費をかけて届けられていました。ところが革命がおきはじめると、この手の独占企業に疑問の声があがり、郵政民営化が成し遂げられたのだそうです(笑

そしての19世紀半ば以降に郵便事業と、紙屋さんが結託したのが、クリスマスカード(ビジネス)。

もともとはドイツ文化圏で、子どもや孫がおじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさんに、感謝の気持ちを定型詩にして、高価な特別な紙に特別な書体で書いて渡した・・・という伝統があり、これ、子どもたちにはかなりストレスだったそうな。それゆえ印刷された豪華なカードが選ばれるように(楽だし)。交通網の発達で、ヨーロッパ中の色んな所に子孫は暮らすようになってますから、郵便事業も使われます。

なお、20世紀初頭くらいまでのヨーロッパでは、現在よりもよほど多数回の郵便配達がありました。ウィーンでは郵便は一日に5-7度も配達があったようです(この前のキネ旬に載せられてたクローネンバーグ監督のインタビューより)。今の電子メールなみ。だからユングとフロイトなどは大量の往復書簡を残せたんですね。あれは彼らにとって携帯メールなわけだ。あと手紙で思い出すのはマルクスとエンゲルス。すごいなぁ。

あとトゥルン・ウント・タクシスっていうといかにもドイツっぽいけど、源流はイタリア系貴族です。
池田理代子さんの「オルフェウスの窓」にもたしか、城の一部が出てくる。

良い本でしたが、図像のキャプションに多少、あやしい所が含まれていた…ような。
たとえばアントワネットの姉のマリア・クリスティーネが両親ときょうだいのくつろぐ姿を描いてるんですが、その名前に、オーストリア大公って男性用の爵位がつけられてあったような・・・ まぁ細かい話なんですが。

ちなみにオーストリア大公って、プリンス・オブ・ウェールズなんかとちがって、(基本的に子だくさんな)ハプスブルク家の男子(おおぜい)がさずかる爵位なので、そこまで希少性はありません。ヴィクトリア女王が「あれはダース売りの大公」みたいなことを言ってた。


世界で一番美しい果実図鑑 、 クリスマスの文化史_e0253932_5344748.jpg


ちょっと話がずれますが・・・

右端にいるのが、アントワネットたちの父親フランツ・シュテファンです。
当時はでかいカツラを被るので、髪の毛は坊主。もしくはかなりの短髪です。
ヘンデルなんかもこの手のボンネットみたいな室内帽を被る肖像画を描かせていますが、何でこんなの被るんだろうと思ってました。

でも今年みたいに寒く、しかも一軒家で生活してて、しかも髪がショートだと、アタマが冷たいということがわかりました(笑 ぼくも毛糸の帽子をファッションかねて被ってる場合も・・・。

どうして18世紀の西欧では巨大なカツラが流行ったか。そこにはもしかしたら寒さが関係してるのかもしれません。
by horiehiroki | 2013-01-20 05:27 | 読書

わが闘争

イースト・プレスのMさんにおくってもらってた「わが闘争」を今頃ですが、読みました。

彼がプロデュースしてる「まんがで読破」シリーズの一冊なんだけど、他のシリーズの作品の中でも漫画として、よく出来てる。読んでて、すごくおもしろい。このシリーズは思想系(宗教系含む)の漫画化にトライ、成功したことが功績だと思います。


さて、↑のリンク先を読んでみて思ったのですが・・・


バイエルン州財務省は朝日新聞の取材に、「この扇情的著作が再び流布するのは、それが今や象徴的意味すら持たないとしても、ナチズムの犠牲者にとって苦悩を想起させる」と強調。漫画版について「そもそも、この問題ある内容を批判的に表現するのに、漫画という媒体が適切とは考え難い」と苦言を呈した。


・・・という声もあるそうです。

しかし、欧米の漫画と日本の漫画とはまったく別。表現のレベルの高さの次元自体が違う媒体と思います。


漫画と思想系の相性の良さも指摘できるかと。思想はいくらでもかいつまんで解説し、要約できるモノだというところに尽きるとおもいますね(※小説や詩を要約・解説するとまったくの別物になってしまう)

ただし、このバイエルン~の人が指摘する「扇情的著作」という表現は、わが闘争という本にはピッタリでしょう。漫画もいつになく生き生きとしてましたから。

そもそも、ぼくが何故この本を読もうと思ったかですが、この前の毎日新聞にネオナチの政党を非合法にしてしまうと、地下活動をされる危機がある云々というコトが書いてあったからなのです。

いまだにネオナチの思想はドイツの一部にせよ、魅了するなにかがあるのを、不可思議に思ったのですね。

それでこの本を開いたのですが・・・おどろきました。


まず、ヒトラーはドイツという国が疲弊しているのは、ユダヤのせいだととにかく言いきります。敵はわれらの中にいる、と。

そもそも畑を耕すなり、モノを作るなどして働く勤勉なるドイツ=アーリア民族と、ドイツ=アーリア民族がかせいだ金から金利をむさぼるユダヤ民族とはまったく別モノなのに、最近はユダヤは混血を深め、われわれアーリア民族と文化的にも血統的にも混じり合い云々。

まーー・・・めちゃくちゃです。こんなものは思想書でもなんでもなく、ただの思いこみです。思いこみといえば、ルソーの「社会契約論」なんかに出てくる「自然状態」と同じくらいのレベルでめちゃくちゃなことが前提になっています。



でも、です。

でも、思想的な正しさ、理論的な整合性より、この手の言説は困窮した人間の疲弊した脳髄ですら、「理解できる」モノなんですね。


なぜなら、それは「違う人たち」を拒絶したいという人間の本能を直接刺激するものだから。

個人的には民族なんて、幻想だと思います。

実在するのは、人間のグループだけであり、そのグループの文化であると。

日本も一昔前までは単一民族の国などといわれてましたが(ヒトラーもドイツはアーリア人の国云々といってましたが)、諸説はあるものの、非常に多くの遺伝子の型を持ってる。

そして日本固有の遺伝子の型と言い切れる遺伝子の所持者のほうが、実は日本には少ないという。

しかし、いまだに、半島や大陸の血筋の人を「在 日」とよんで差別するような言説が日本には溢れています。

これは個人的な見解ですが、「○○から降臨した」式の神話をもつ民族の王侯貴族は、外国から船か馬にのってやって来たと考えるのが自然でしょう。


何時までに来ていたら、その誹りを受けずに済むんでしょうね?

なのに、今ですら、その発想にかぶれた人間は多数いるという。ある種の日本人にとって、彼らの存在こそが「われわれの内なる敵(「わが闘争」)」なんですね・・・・・。

彼らは「遺伝子の型がいくつもあって・・・」という話を聴いて、それを「理解」しても、それと「半島や大陸の血筋の人を差別するような言説」を垂れ流すのとは別モノであるところが怖いんです。現在のドイツでも同じなんでしょう。

憎める相手がほしい。自分の生活がダメな理由を「外」に見つけたい。そこ、なんでしょうか。

疲弊し、もはや自分の手で責任を抱えることすらできなくなり、ユダヤ人という「他者」をスケープゴートにするしかなくなった、大多数の当時のドイツ人の心の声をヒトラーは代弁したにすぎないのでしょう。だからこそ、ナチスとヒトラーは選挙という合法的手段を通じ、ドイツの国の指導者になっていった。


ーーー恐れずに自分の危惧について書くとすると、当時のドイツ人の心情的・知的な状況と、現在の日本人はかなり似通っている気がする。というか同じレベル、同じ地平に立っている気がする。

そもそもこの前の選挙、民主党に雪崩のように投票した層が、いまや自民党に(しかもゲンパツはイヤだイヤだといいながら)また、雪崩式に投票してるんですもの。

そもそも、国民に支持されて、第二次世界大戦は始まってるんです。

日本人の気質は何もかわっていない。第二次世界大戦後、日本人は大学をそこらじゅうに建てました。戦前、軍部の独走をとめられなかったのは、大学進学率がわずか数%未満であり、知識人層が限られていたから…などなどの理由をつけて、です。

しかし、今回の選挙でもわかったけれど、大多数の人間が、理性ではなく本能・・・もっというと気分に突き動かされているのがわかりました。

理性で気分は制御できるもんじゃないのですね。

そもそも日本やドイツだけが特別ではないのかもしれません。いくら個人主義の国なんていっても、18世紀の終わりから19世紀はじめにかけ、革命の嵐を吹き荒れさせたフランスだって、そういう所があるわけです。

人間は理性的な動物ではなく、本能に突き動かされている動物です。それは21世紀になっても変わらない。

人間の理性が働かなくなる時、その破滅の引き金を引くのは時代と文化の困窮です。

病んだ時代・病んだ文化の行き着く先を考えると……めまいがしてきました。

「わが闘争」を読むと、ヒトラーの方法論がいかにユニバーサル(普遍的)なものであるかが、わかります。そしてこの手の言説の生命力は決して、絶たれたわけではないということも。

・・・・ということで、漫画版「わが闘争」、いろんなことを考えるためにも開いてみる価値はあります。

「われわれの中に敵はいる」というヒトラーのコトバこそ批判的に考えてみるべきじゃないでしょうか。
by horiehiroki | 2013-01-03 09:20 | 読書

12月の読書

○小川剛生「足利義満」中公新書

1971年生まれの、研究者としてはかなり若い世代に属する著者さんなのですが、若き日の義満が花に喩えられたとか、世阿弥とのラブアフェアのことなどはあくまでサラッとしか出てこない硬派な新書になっていますです(笑 

ただし、義満の稚児のわがままぶりなどは出てきますので、ご安心ください(?)

「天皇愛」の義満と(同い年の)後円融天皇の話でも書きましたが、実際に、この二人は女性(厳子)を共有していたのでは…というところとか、チャレンジングで面白いトピックがとつぜん、チラホラでてきます(P90 など)。

僕は「小説家○○の説ですが」とか、圧力かけられて入れられましたけど。

義満さんが若い頃世話になった、裏のドンみたいな女性や、そもそも北朝の女性観は奔放な女でもOKだったという指摘もフムフムと面白かったです(笑


208ページなどでは、義満が「皇位を奪おうとしていた」というスキャンダラスな「通説」に対して、そうではないんだと書いておられます。

義満にはこの著者さんも散々書いてたように「法皇きどり(223ページ)」なところは多々あったのは事実。一方で、次の天皇の位は現職の天皇の血から派生するもので、上皇・法皇からではない、という事実も強調してますね。


ただし、御所よりも北に、何を隠そう、義満が「北山第」をつくり、それが今の鹿苑寺(金閣)の礎になった事実を考えると…

天皇のおわす御所の北に、治天の君/法皇気取りの義満が自分の住まいを作るということは……かなり意欲的な行為だと思います。東洋文化圏では、伝統的に権力者は都の北に住みます。日本でも都の北に御所はあります。北山第は、そのさらに北ですからね。

ほかには日宋貿易で、日本国王と義満が名乗ったのも交渉を成立させるためのあくまで便宜的なものであり、言外にぼくが感じ取るかぎりでは、よくは理解せず、意識もしていなかった。だから2回断られた宋との通商要請も、前回、前々回の失敗を正すこともなく、三度目のチャレンジで(偶然のように)OKが出た。

(日宋貿易開始工作は)
明側の事情によってたまたま成功
した(226ページ)」なーんて記述が。


しかも、義満は中国から来た使者も平服にちかい格好で迎えてしまった(ホントはすごい礼を尽くすべきだったのに)、というような描かれ方がされています。

ここらへんについては、僕なりに考えるところはありますが、フムフムと思って読めました。

徳川もそうだけれど、室町幕府の将軍たちは公武の長として動いてるところが多々あって、そのあたりと帝・朝廷のあり方の兼ね合いは興味深いのです。


○「朝日おとなの学びなおし 江戸時代ー武家政治VS庶民文化」


武家政治と庶民文化・・・の対立について書いてあるわけじゃないんですが、
ヒット歌舞伎から見る、江戸時代と幕府の対応の本です。
この前、勘三郎さんが亡くなられましたが、その先祖が火事を出してる・・・とか
わりとそういうニッチなところも楽しいです。

by horiehiroki | 2012-12-14 21:50 | 読書

「中世の音楽世界: テキスト、音、図像による新たな体験」って本(・・・本体価格7500円だから、わりと専門書・・・)を、ただ今、読んでおります。

中世の音楽世界: テキスト、音、図像による新たな体験_e0253932_2525184.jpg




マニアックとされる時代の音楽ではありますが、
音楽自体はときに素朴で面白い顔をしています。

いわゆるわれわれが「クラシック」と呼ぶ音楽よりも、リズミカルだし、
響きの多彩さでいうと斬新で、興味深い。

ソナタ形式などのようなスタイルの複雑さはないぶん、
リズムと和声が斬新です。

CDにはヨーロッパともアジアともつかない、おもしろい音階をつかった
メロディが収められてます。単旋律のもあれば、複旋律のものもある。
声じゃなくて楽器の音色なので、
サンプリングとか、DJするときの素材のひとつとして使ったら面白いかもね(w

単旋律も、おおいなる複雑さを隠したシンプルさ、といえばいいんでしょうか。

付属CDを聞きつつ、CDに収録されてる貴重な楽譜(PDF)を見たりしてるわけですが・・・

肝心の書籍の解説が、あんまり、ピンとこない。
訳の問題もあるんだろうけど、

音楽を感覚的なモノとしてだけ受け取ることの危険さは
この本にもかいてありますけれど、・・・その手の知識と音楽自体から人が受ける感覚が、やはり乖離してしまっていては、よくわからない。

ということを感じました。

この二つを結びつけて語ることができる人が現れるのを待ちましょう。


本書のセールスポイントは、
中世ヨーロッパってひとくちにいわれても、時代差はもちろん地域差があり、それが音楽にすごく表れてる部分のデータをよく知ることができること。これはよかったです。

そして、現在よく使われている楽器はどのようにしてヨーロッパで使われるようになったかを知ることが出来ること、などなどです。

たとえば(パイプ)オルガン(の原型)はビザンツ帝国経由で、カール大帝の時代にヨーロッパに到達。

「オリエント」で生まれたオルガンが、キリスト教の楽器に変貌していったのはそれからです。


10世紀には(イングランド南部の)ウィンチェスターに巨大なオルガンがあるという記録が残されている、とのこと。

日本でいうと、平安時代ですね。
by horiehiroki | 2012-11-20 03:30 | 読書

ピアノの歴史

音楽は自分にとってかけがいのない存在です。

最近は不愉快なことも多いのですが、夜明けにきく音楽はそんな自分の心に寄り添ってくれますね。

小倉貴久子さんの著書「カラー図解 ピアノの歴史」を読んでいます。


誰でもピアノの音色といえば、「あの音ね」と思い出せるほどだと思います。
しかし、ピアノがわれわれが想像する「あの音」になったのは、実はたかだか20世紀も後半になってから。

これ、たぶん19世紀か、20世紀はじめくらいのピアノだと思うんですが(弾かれてる曲はクラシックではないですが)・・・ずいぶんイメージ違うとおもいません? ピアノは弦を叩いて音を出すんだけど、中ー低音部あたりはギターみたいなコクのある音色です

それ以前のピアノは、「あの音」とはまったく違う楽器でした。
音が違うということは構造も違うということ。
たとえば、19世紀のショパンが喜んで弾いていたピアノ(プレイエル社のピアノ)は、鍵盤をいちど落として、音を鳴らすと、もう一度完全に元の位置に戻るまで、次の音が出せない作りになっていました。

・・・そもそも、そんなピアノってどんな音がしたんでしょう?

という疑問に写真と素敵な演奏が入ったCDとで答えてくれるのがこの本です。
小倉貴久子さんのことは、この古い時代のピアノによるショパンのCDで名前を知りました。
ベートーヴェンやシューベルト、モーツァルトの、そして彼らの時代に使われていた楽器による、小倉さんの演奏を聞いていると、いろんなインスピレーションがわいてきます。

ショパンはピアノの詩人ともよばれ、ロマンティックな作風で知られますね。現在のピアノの音色にぴったりだと思っていたんだけれど、19世紀のピアノで弾いても、・・・・最初はともかく、聞き続けていくと、そんなに違和感がない(小倉さんが才能のあるピアニストだからともいえるが)。

→小倉さんの演奏

一方、ベートーヴェンの曲は、今のわれわれが想像する「ベートーヴェンの音楽でございます」というような表情で弾くことは、すくなくとも昔のピアノでは不可能だと思いました。
これまで、何回か、19世紀はじめのピアノで弾いたベートーヴェンのCDを聞きましたが、あまり感心したことがなかったのですね。それは、今のベートーヴェンの像を、むりやり、19世紀はじめのピアノでも再現しようとしているから。

この演奏は、リストがピアノ用に編曲したベートーヴェンの英雄を、19世紀に活躍した、ピアノ製作者シュトライヒャーのピアノで弾いてしまってるという、意欲的な動画です。

これは1846年に出来たというピアノですから、1811年のリストが三十代のころ、名ピアニストとして人気を博してたときのピアノなんですが・・・・こういう音が、当時の人々がピアノの聞いて思い浮かべる音だったんですね・・・

えらくシンプルです。今のリストの演奏がいかにコッテリした味付けをされたものか、想像もつきません。

これとおなじようなことがベートーヴェンにもいえます。

「苦悩から歓喜へ」とか、哲学的とか、われわれが抱くベートーヴェンのイメージは、むしろ20世紀のピアノのためにあるんだなっておもいました。

この本に付属のCDできく、小倉さんの演奏によるベートーヴェンの「月光」は、すごく自由で、なおかつエッヂが効いた面白い演奏。かといって、精神性がないというわけではないんです。精神性のチャンネルが違うというか・・・・

モーツァルトの場合もそうなんですが、ショパンも、今、目の前にある楽器からいかに響きをうつくしく取り出すかに最大の関心があり、リストやベートーヴェンは、理想の響きを求めてやまなかったタイプの作曲家といえると思います。付属のCDを聞くかぎり、シューベルトは両者のちょうど中間くらい、かな。

まぁ、後者のあくなき(ムチャともいえる)理想探求心が19世紀を通じて、ピアノの進化に貢献したのですけれどね・・・
by horiehiroki | 2012-06-07 07:02 | 読書

イスラム 基本のき 

今日は部屋を片付けつつ、
イスラムについての本をパラパラと
めくっていました。
この前の雑誌「一個人」ですね。

イスラム 基本のき _e0253932_3482932.jpg


2012年1月号「イスラム教入門」

オシャレな色づかいの表紙です。

偶像崇拝を禁止するイスラムでは
宗教美術もキリスト教のようには盛んではない、
のですが、どうしても、という場合、
ムハンマドに覆面をさせること、
もしくは「白抜き」することで、なんとか
描くという手腕があったようです。
ここらへんは乙女の美術史でも書いたところですな。

色々興味深いことを知りました。

ムハンマド(マホメット)は25才の時に40才の女性と結婚してるんですね。その妻が裕福なハディージャ。二人の夫に先立たれたという、女性でした。

さらにムハンマドもそうだったし、イスラムというとどうしても複数の妻帯OKというルールが気になるひとも多いでしょうが、妻を複数持つ場合は、経済的にも愛情の意味でも、対等に愛せない場合は、結婚が許されないそうです。
ムハンマドの妻たちは基本的に大半が戦争未亡人だったとか。保護を目的としての結婚というのも、現代日本では驚きでしょう。

ということで、現代では特権階級以外は、実質的に一夫一妻とのこと。
さらに、イスラム教徒には生涯一度は、聖地メッカを訪ねるべきとされているんだけれど(一家の主が家族を代表して行くことも多いとか)、借金している場合は、訪ねられないのだそうです。

厳密にいえば、住宅ローンを抱えてるうちも巡礼の度はムリ、ということで、巡礼の旅に配慮すべく、トルコには特殊な住宅ローンがあったりするんだそうで。

じつに興味深かったです!



________

※堀江宏樹の新刊もよろしくお願いします!※

イスラム 基本のき _e0253932_211951.jpg


※くわしくはこちらから。
___________________
by horiehiroki | 2012-02-01 03:51 | 読書

イースト・プレスの圓尾さんから
まんがで読破シリーズの最新刊である
「父と子」と「イリアスとオデュッセイア」
がおくられてきました。

More
by horiehiroki | 2011-10-26 17:57 | 読書

 



芸術新潮 9月号 

ニッポンの「かわいい」 ~はにわからハローキティまで~ 

を興味深く読みました。



日本人特有の「かわいい」って感じる感性、「かわいい」に価値を置く感性を、その美術史を通じてさぐろうという意欲的な内容。



・・・ただし、「かわいい」ってどう考えても、日本人に浸透したといえるのは、せいぜい近世以降(江戸時代以降)の価値感だと思う・・・。





日本だけでなく、世界的にも。枕草子には「うつくしきもの(かわいいもの)」として、瓜に書いた子どもの顔とか出てたけど、平安時代は日本は全世界にさきがけて武装解除して太平だったからねー



日本の「かわいい」は何回も断絶してるのですよ。

「かわいい」が連続してるっていう仮説は面白いとはおもうが、「かわいい」に価値がある文化って、太平とおりこして、爛熟の時代とかじゃないと生まれ得ないと思った。ぼくは。



「かわいい」は、日本であろうが、どこであろうが、相対的なものにすぎないと思う。



埴輪の目、あれを黒目がちな瞳だと思う感性は、「かわいい」時代である今のわれわれの感性にすぎず、あれをただの空洞として考えたら……埴輪なんてムンクの叫びと同類になっちゃうもん。





というようなことを議論することができて、有意義な特集でした。





特に今年の芸術新潮は、五百羅漢図 とか仏像とか

硬派な特集が際立ってたんですけど、今回はけっこう意表突かれたですね!

女子大生と教授の「ぼくはこれを、かわいいとおもうんだけど!」「・・・・」という攻防戦とか、手に汗にぎりました


by horiehiroki | 2011-10-12 16:17 | 読書





「なでしこ」本の圓尾さんから、またご本をもらいました(w

まんがで読破は彼のライフワークではないかな。

この本、よく出来てておもしろいです。



読ませる工夫もありますね



「世界とはなにか」という命題に興味をもちはじめる

高校生たちを主人公に、地学のメガネっこ先生を哲学教師に据えて

特別講義がはじまるという手段をとっています。



それだけならともかく、章が何個かあり、その章ごとに

前の章のまとめと、これから語られるべきテーマについて、

ざっくりとした解説があります。これが理解を助けます。



これはストーリーっぽい構成を導入してるからできることで、

ふつう哲学の概論書みたいなのを読んでいても、

この手のコーナーを書籍では作りにくいため、

けっきょく雪だるま式に「?」が大きくなって。



最後までよんでも、頭にのこることって

残念ながら少ないんですよねー



何度も同じ本を読む習慣は自分にはないし。

たんに怠惰なだけかも(笑



しかし、若者の特権は野心的なことでありますから

カントおよびヘーゲルって

ドイツ哲学の最高峰だ、ということは

素人でも知ってて、それなら読んでみよう!と

学生時代にチャレンジした記憶が・・・。

一番最初は高校生の時で、惨敗(w

つぎは大学1,2年くらいだったかなあぁ



結果?



今でもカントについてはその日課の散歩が時間通りで

時計よりも正確といわれていたことと、

「ア・プリオリ」って彼の提唱する概念の

ひとつの名前(イタリア語)が

ラヴィオリ(料理)に似てるとかろくでもない

記憶しかないです・・・(ダメじゃん!



・・・が! 



こうやってすべてが絵解きされて、

解説されてると、なんとなくでも

掴めました。



おもしろかったのがカントの認識論です



・「物自体」とは、もののあるがままの姿 (※神以外には、ものそのものは捉えられないとカントはかんがえる)



・「現象」とは、私たちに対して現れてくる姿(※人間には、現象としてしかものを掴むことはできない



「経験的直観」に先立つ、つまり、ア・プリオリなものとして

空間と時間があり、それを窓口にして人間はものを認識する・・・

というあたり。



まずカントの思考のシステムをそれこそ「認識」する。



それが一番大事で、基本なんだけど、そこにすら

たどり着けない場合が多いのが哲学というものです



小説とか文学のたぐいとちがって、意味を取るだけでなく

理解しないとダメで、この理解の必要性が大きなネックになる。




だから、まんが版というのは助かります。



あとカントは神の視点による哲学(※正確には「形而上学」)ではなく

人間の視点による哲学を打ち立てていったんですよね

(ここらへん、大学時代に読みました。おぼろげな記憶が・・・)



「道徳をうんぬん」っていうあたりが、学生の頃は

あやしげに思えて、読み飛ばしたけど、今よむと

彼もあの時代のヨーロッパの人だったんだなぁっとか

色々考えるのでした。



この「まんがで読破しりーず」、とくに哲学系の本は

すぐれたガイダンスになると思います。

むかーし読んでみたけど、カントが何をいってたか、イマイチ覚えてない。あるいは哲学自体にばくぜんとでも興味がある。

そういう人にはかなりお勧めです。

休憩なしでも、すぐ読めちゃうから、頭によけいに残りやすいです。





by horiehiroki | 2011-08-01 01:29 | 読書