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今日の「八重の桜」はずいぶんと深い内容でした・・・
同志社って単純に”キリスト教学校”というだけではなかったんだなぁ、と。
今回、八重さんとジョーが看病した薩摩士族の娘こと小松リツさんって、使ってる文箱にマルに十、つまり島津家との血縁を示唆する家紋が使われてるのが何回も映されていました。

要するに本家と分家ということはあっても、同族ということです。

ちょっと調べただけでは、小松リツさんが「篤姫」などにも登場した小松帯刀(ナオゴロウさん、瑛太がやってた役)との血縁関係まではわかりませんでしたが・・・。

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※小松”瑛太”ナオゴロウさん


ちなみに帯刀ことナオゴロウさんは肝付家(きもつき・け)の出身、その後、小松家の養子になっているけど、この家はふたつとも、薩摩の藩主の親戚スジみたいなものです。
小松帯刀家は、島津家とは家紋こそ違うようだけれど・・・

どうでもいいけど、僕が子どもの頃見てもらってた小児科の先生も肝付家出身の先生だったそうな。


いわゆる薩摩とか長州は明治における「勝ち組」であり、小松リツさんも上層武士の出身であるとするなら、すんなり(女子)学習院にでも・・・って考えるんだけど、必ずしもそういうワケにはいかないんだと。

(女子)学習院は基本的に上流階級の妻になる女性を育てるための機関でしたから。

わたしたちは学問のためにココに来ている! と激怒してる女学生さんがいましたが、女性生徒にとっては、(良妻賢母になるべく)レディーを育てるマナー学校+教養・・・という王道のコースでいいのか。それで満足できるか、という大問題があったようです。

それで同志社は、当時、女性に学問を教えてくれる最高の環境の学校のひとつだったのだと。

今日、布団の干し方が激しすぎる熊本からの女学生さんが映されてましたが(w

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こわいこわい 怯える

※ちなみに布団は長時間、強い直射日光にはあてるべきでなく、また、ボンボン叩いてはいけません。わたの組成が変わってしまうからです。・・・とこの前、布団屋さんから教わりました・・・ どうなんでしょうか。

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なんで小松リツさんの話に食いつくかというと、我が母の親友のご実家が、もともと島津家の元・家老をしていて、というか島津家の出身で家紋もマルに十で、その方の母上(故人)にあたる方が同志社で英語を勉強してて、同志社の英語教育の水準は非常に高く、英語の先生にもなれた・・・という事実を、連鎖的に思い出し、「ハッ」となったからです ※ちなみにその娘さん(うちの母親の昔からの友人)はクリスチャンではないみたいですけどw

今日の放送をみるまでは「なんで(彼女の母上は)同志社だったんだろうねーー」とわれわれは思ってたんですが、なんとなく理由が分かった気がします。病気療養を目的として、薩摩にいちど里帰りすることになった・・・という小松リツさんが今後また登場するのかどうかは知りませんが・・・ 

今回は明治という新しい時代に、何をこころざしてみんな学問を積もうと思ったか。そういうことを考えさせられるいい機会になりました。

で、レビューでございますけども

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こういうことってホントにあったんですかね。。
でも可能性としてはありますわね。

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しかもリツさんは結核に冒されていたという。
それこそ、徳富蘆花もそうだったけど「不如帰」という小説でヒロインを結核にしてたけど。

鳴いて 血を吐く ホトトギスとかなんとか。


のヒロインっていないんだけど、なぜか小説のヒロインは結核が多いわけです。
しかもこの頃は結核の根本治療法がないし、実家でもない学校の先生であるジョーと八重が生徒のために「命がけで」看病するなんてことも、ほんとうに勇気がいる行為でした。
しかしリツさんは父親の敵に養われる自分が許せないのか、かたくなな態度をとり続ける。そこに
「そんな身体じゃ仇討ちもできねぇべ!! 元気になったら憎い私に向かってきなさい
とか御約束の八重さんブチギレ、その気概におされて、リツさんは心の扉をひらくのでした(w

・・・ってかくとアレですが、実際はいいシーンでしたよ

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八重さんも回復してきたリツさんに「わたしも薩摩が憎いと思ってきたけど、リツさんのことはちっとも憎くない」と語りかけます。

日本人同士がたたかったという傷跡は10年以上たった当時でも深いまま。けれど若い世代を中心にあたらしい交流の可能性が生まれてきてる。

一方で、もはや若くはない(ということに役の上でなってる)世代では・・・ 会津の人・山川さんは(西南戦争への参加は薩摩への)仇討ちだと思って働いたと大山巌に告白。しかし(”旧敵”会津人の手をかりてでも、薩摩で西郷という親族を討たねばならなかった)大山は「もう戦は終わりじゃ」と呟くのでした。

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あと槙村さんにこういう変化が・・・ これは知らなかったなぁ。

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・・・・で、最近作業で更新が止まってた森ゆきえ先生のブログみにいったら、芳文社のまるナマに漫画載ってたみたいです!わりと新陳代謝の早い雑誌なので、まだ読めるかすら・・・ 



たしかに熊本君はまったく葵学園の時点でノータッチのキャラだったので、ここまで大活躍になるとは思わなかった。



by horiehiroki | 2013-09-30 09:33 | 大河ドラマ

いせひでこさんの作品

母親の勧めで、パリにすむ女の子が本を装丁する職人と出会う「ルリユールおじさん」という作品を読み、美しい絵、そして短いけれど的確に対象を描き出した文章にひかれました。

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その後、「チェロの木」という作品に触れ、深く感動したわけです。

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森と共にくらす三世代にわたる家族の歴史。そして主人公の男の子がカザルスを思わせる老チェリストと出会い、音楽への深い想いやチェロという楽器への愛という三つの柱・・・さらにはルリユール~でもそうでしたが「老い」というテーマも濃厚にかんじさせつつ、ふつう大河小説が扱う深い主題を、絵本というメディアで簡潔かつ見事に表現した作品でした。

こういう作品を生み出せる「いせひでこ」こと 伊勢英子さんは日本を代表する文学者だと思います・・・。

先日は、彼女の手によるさし絵がいくつか入る以外は、文章がメインの「マキちゃんのえにっき」、そして「グレイがまってるから」を続けて読みました。

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マキちゃん~ は・・・ あえていうとわりとシビアな話だなと感じました。
絵本や児童文学には二種類のおかあさんがいます。
現実にはほぼ御目にかかることのないくらいに、やさしいあたたかい、ふわふわしたお母さんです。
もうひとつは怒るけど、子どものことをちゃんと愛してるお母さん。
現実は圧倒的に後者のほうが多いはず。
マキちゃん~はマキちゃんが3歳から6歳くらいかな、彼女の成長を描く内容なんだけど、実際に伊勢さんの娘さんの一人がマキちゃんであり、絵や文章を描く仕事をしているおかあさんが伊勢さんを思わせるように作ってあります。
で、お母さんはマキちゃんも大事なんだけどアーティストである自分の人生も大切。
仕事のしめきりというものもあるけど、自分「が」描きたい絵、文章があるから、マキちゃんにはイイ子にしてもらって、早く寝てもらいたいんですよね。だからときどきドライな対応をしています。
でももうすぐ4歳で大きなお姉ちゃん、でもまだ3歳のマキちゃんはそれが寂しい。みぞおちあたりがズーンとつめたく感じる、なんて描写で始まるこの作品ですが、いわば心の涙であるそれが「おねしょ」として出ちゃうんですけども。

そうじゃない日も、いきなり起きて!!とおかあさんに布団から放り出され、その乱暴さにけっして保育園は嫌いではないけどいきたくないとグズったりするマキちゃんを、おかあさんは「お留守番してなさい!」と、ひとり家に置いて(笑)、おねえちゃんだけを連れていってしまうなんてシーンもあるんですね。
でもマキちゃんは一人になって自分の気持ちを整理し、おかあさんのことを理解しようとする。

ーーー多かれ少なかれ親と子の関係って成長してもこういうところがあり、子どもに知恵がつくと関係には逆転するところもありつつも、親が子どもを傷つけたり、その逆もあったり・・・と色々難しい所は多いわけです。
ぼくなんか親と同居してるんだけど、いまだに親の取説がわかりません。親もぼくの取説をもってないなんて感じるんだけど、そもそも取説なんて人間にはないのですねー。
マキちゃんシリーズを読むことで、わかりきっていたはずの親と子の関係にも、あらたな地平が開ける・・・というような、そんな感覚を持ちました。
こういうのは、おとなが児童書を読む理由のひとつでしょうね。
おとなが優れた児童書を読んだときにだけ与えられる知恵だと思うんです。

人間の子どものつぎは、ハスキー犬の子ども・グレイとの生活を描いたシリーズもあります。
これはおもしろいけど、見てるだけでたいへんそう!
伊勢さんは”他者”を受け入れられる器の大きな人なんだなぁ・・・。

白川静が自著の中で紹介している、昭和初期に書かれた中島竦(なかじましょう)著「書契淵源」という書物の一節によると「文」とは、人の形をかたどった漢字であることは間違いないといいます。

伊勢さんのトコロのふかさ、そしてひろさが、短いけれど深い世界に触れた文を備えた絵本に結実したんだなぁ、と思います。
最近の彼女の作品には「うけつがれる」というテーマがよく出てくるようです。
自分も何を次の世代にうけついでもらいたいのか。うけつがせることができるのか。そう言うことを考えてもよい年齢になってきたのかもしれません・・・

by horiehiroki | 2013-09-29 10:00 | 読書

先日、ウチのセイヨウアサガオが最後とおもわれる花を咲かせました。
とくに9月中旬くらいからいきなり株の勢いがなくなり、ヴェニスブルーに顕著だったのですが葉っぱがしろっぽくなり(白さび病!?)、ほとんど散ってしまってます。

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やるだけのことはやったのですが・・・。

台風がきたらちゃんと家の中にいれ、あきらめずに水は毎日やっていたところ、ほとんど蔓だけになった株に小さな花が一つだけ開いたのでした。

短日処理を行ったため、7月末~9月中旬までツボミがほぼ毎日、ものすごくアツい日をのぞいて咲き続けました。


だから決して短命ではなかったにせよ、「霜が降りるまでは咲く」と聞いていたので・・・。


あまりに暑くなる日(花が開く前日、夜間温度が高すぎた日)は、花がさかず、ツボミのまま萎れてしまうことが多々あり、今思えばもったいないことをしてしまったと思います。

短日処理はやはり自然に反する行為だったのでしょうか・・・。

思ったほど花が咲かなかった印象があります。

ウチの近くのお宅ではセイヨウアサガオの一品種であるヘブンリーブルーが今をさかりに、と1ヶ月前から鬱そうとしげった株に多くの花を付けていますし、やはり複雑な想いです。

短日処理を同時期におこなった株の中で一番最初に花を咲かせたのがヴェニスブルーでした。
最後まで作り手の愛情に応えてくれようとした、この株には感謝で一杯です。

今回はじめてセイヨウアサガオを作ったのですが、基本的には最低30センチの鉢で、それももっと大きくなれるような支柱をつけて伸ばすのがよりよい開花を迎えさせる条件のような気がします。
直植えがベスト。

来年もし作るとしたら、プランターなどで、育てると思います…支柱は網を用意する予定。そして短日処理は行わない予定です。

またセイヨウアサガオは、ウワサどおり花が咲いた後も結実しませんでした。

同時期にブルーの花を咲かせていたもう一鉢も花をつけなくなってしまいました。
これが時期によるものか、あるいはツボミを食べる虫が実はいたのか・・・は不明ですが。

最後にいちばん株が元気だったころの写真を。

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ヴェニスブルーだけでなく、ブルーのも咲かなくなってしまいました・・・。

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ちなみに琉球アサガオはまったくあのまま。
現在もアオアオと茂っていますが、ツボミを一切つけていないというマイペース振り(w
同じように短日処理したんですけども・・・。





by horiehiroki | 2013-09-27 10:04 | 日々

きび満作&天領最中

「うたもゑ」の漫画を描いてくださった
こうづきれお先生が、福岡の名産・きび満作を贈ってくださいました。

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おいしかったです。皮がとても薄く、中身の餡に使われた黒砂糖の味がとにかく濃い。キビ特有の苦みがよいアクセントになっていました。
それゆえ日本茶にもあうけれど、自分でていねいにいれたコーヒーとよく合いました!

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そして堺出身、同郷の後輩(キャラ)のTくんが、天領最中をくださいました。毎回、会食の最初の30分くらいはぼくも先輩らしくイイことをいうのですが、その後・・・終電直前になると、だいたいダメな人間になって強制終了です。

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紙のレースみたいなので覆われた化粧箱がまずかわゆい

天領とはもともと天皇の領地であり、それらは基本的に全国でも豊かなエリアだった。鎌倉以来の武家政権では幕府直轄地を天領と呼び・・・というような説明書きがついてる天領最中。
大仙古墳の近く、堺の旧市街名物です。

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この包み紙のなかには・・

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なんと最中で作られた天守閣が・・・!

しかもこの皮、とても薄くて軽くてパリパリしているのに、ギッシリつまったアンコに壊されてないんです。
職人技です・・・



和菓子ラブです♥

ありがとうございました

by horiehiroki | 2013-09-26 02:57 | いただきもの

取り寄せ本

「白石静著作集2」・・・


何かが知りたくて取り寄せた本なんだけど・・・

何を参照すべきだったかを忘れてしまってる(w

しかしパラパラと見てると、興味深い論考が含まれていますね。

おもえば歌 という漢字に二つもふくまれているのは、
「呵責」の「呵」の文字。
(神に対して願いを叶えるよう)大声で迫る行為が源流だった様子。

へぇ。
by horiehiroki | 2013-09-26 00:46 | 日々

八重の桜(37)

半沢直樹の40%越えに比べて八重さん、寂しいことになっておりますなぁ~、というのが正直な感想。

今の朝ドラよりも、よほど朝ドラ的な大河になってきてるし、内容も数字も落ち着いてしまっておりますねぇ。

ここにきて、15くらいをウロウロしていた視聴率が、11.9%台までガクーンと落ちたところを見てると、みなさんちょっと疲れて来てるのはあるかも。

八重さんが悪いというより、ハンザワだの、あまちゃんだの刺激のつよいドラマが世間には転がってて、いいドラマでも薄味の八重さんは、時間を割いてもらいにくくなってるのかも~~というのが透けて見える今週でした。
歴史ものが好き! という相手なら、歴史ドラマとしての面白さで勝負になるけど、ドラマがなんとなくスキって層には(とくに最近の)八重さんはアピール力が弱い・・・。

この状況もずーっと続くとおもうんですよね。去年の清盛もキャラを出しきってしまった時にやってきた停滞がイタかった。
最後になればなるほど盛り上がる展開を期待したいんですが・・・
歴史ドラマとくゆうの展開のダイナミクスで見せる! ということがこの先、もはや出来ないので、これは題材えらびの難しさというべきでしょうか。

今日はハンザワにも出てるミッチーが、大和田常務顔負けのリアクションですっころび、その後、壁でアタマも強打してましたが(その後死亡w)、いかんせん話題にならない・・・

(常務)

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(ミッチー)

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ジョーのアタマが邪魔してるからでしょうか(w いや、たぶんジョーですよね、アレ


いわゆる東北応援企画である「八重」と「あまちゃん」だけど、どこかのウェブ記事にあったように、あまちゃんはお涙をウリにしないってところがエラかったと思っています。
あえて比較するけど、八重もアキも、どちらも強いヒロインなんですわ。だけど、天野アキの強みは最初からモデルのいない、フィクションのヒロインだからこそ可能な強さだとおもうし、面白さでもあると感じるのです。八重さんは・・・歴史的にいうとメインではなく周辺部分にいるヒトだからそれゆえに、モデルを立てなければいけない大河では扱うには厳しいヒトだったんだろうなーと思ったり。

最近の売れるドラマのトレンドって、「ミタ」にせよ「ドクターX」にせよ「半沢直樹」にせよ、現在進行形の恋愛が一切入ってないってこと、指摘できると思います。
いちおうハンザワには奥さんが出てきましたけど、ま、ほんとにワキのワキの人物ですよね。

個人的に思い出すのは「ガラスの家(NHK)」を見てると、高卒であることがやたらと強調される井川遥演じるレイさんが、財務官僚である夫に「仕事のことを話して!(私も夫であるあなたを理解したい)」とつめより、「(知的に)同レベルではない君になにも喋る必要をかんじない!」とカワされ、傷つきますが、ハンザワの妻であるところのハナちゃんは、わかっていてもわかっていないフリをする。

逆に夫の仕事内容は(サッしていても)まったく触れようともしない(逆に風呂洗ってくれ、などとあえて言う)・・・・・
「守秘義務のある銀行員というエリートが、かなり年下の、しかも専業主婦である妻を持つとき、その妻になにを望んでいるか」を熟知した、主婦術ともいうスキルをとにかく発揮してることが気になりました。まぁ、イヤミなくらい。

そういうこういうで、夫婦愛的なものはあっても、それはもはや恋愛ではない。


運命のヒトは誰か巡る恋の逸話に、世間全体が疲れてきてるのをかんじます。


ようするにドラマを見てくれる層はもはや「F1」とか世代・性別では判断できず、恋愛が最大の問題ゴトではない人々なんですねー。
恋愛が入ってると「あ、これは若い子向けだ」みたいなことを感じて、もう見なくなっちゃうのかも。


で、話がとびましたが、今週の八重です。
「使い捨てにされた」士族の最後にして最大の反乱である西南戦争がフィーチャーされました。西郷隆盛がキリストみたいになってるのが気になった(w

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このヒガンバナが撃たれてパーンってはじけ飛ぶシーン、ベタだけどスキでした(笑


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あとこの人(藤田さん)もイイ演技をみせてくれました。あんがい小柄なんだね・・・

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そしてこの佐川さんですよ。

うっかり☆かんべえ をやらかしたカレですが、殿にもらったマサムネを手に斬り込む(とパキーンって刃先がくだけちって、パンパンパーンと撃たれてしまう的な・・・)。

けっきょく半沢直樹の本質って”歌舞伎”だとおもうんですね。出演の役者の”本職”とかいうだけでなく。とくに男性陣の表情筋の作り方とかなんとか。
ココとか。土下座に効果音って必要なんでしょうかw

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土下座のMASAを思い出してならなかった


歌舞伎といえば、佐川さんも地味に顔の筋肉の使い方のヴァリエーションが歌舞伎でして、なかなかよろしく拝見いたしました。

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ホントは辞世の和歌が別にあったみたいですけど、あえてこちらを言わせるというね。
演出が濃くてよろしかったです

しかも史実でも佐川さんは九州(薩摩)のヒトから、治安を守ったとして感謝されているという。


そして、八重さんは・・・というと、子どもがいない彼女の場合、生徒たちの母として自分の居場所をみつけていく、と。
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ねぇちゃん! って中村蒼がいってましたけど、ホントに熊本っ子ってすごい勢いなんですかね(w


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あとこの人もよかったです。
旧オオクラさま
タマテツは19世紀の将校風の軍服似合いますネー
なぜ会津は滅びなければならなかったのか・・・
というまさに歴史的ダイナミクスについて、犠牲を強いた側と強いられた側が語り合う・・・というのはフィクションだから出来るんですけども。

もはや西郷さんは、「わたしが抱いて逝く」と語ったコトバに代表されるように、”向こうがわ(彼岸)の世界”の住人になっており。
生き身のヒトのコトバや論理、そして感情には縛られないようになっていた、と。

ずっと、西郷さんはこういう日がくることを分かって、覚悟していたんでしょうかね。

いなくなったイヌを探しにきた・・・といってたけど、愛犬家であった西郷さんは最後の最後でそれまで同行してきた愛犬を放した・・・ともいいますよね

そして顔がわからない、と。
現在残っているのは想像によって外国人画家によって後年かかれた「肖像画」ですもん。
上野の銅像も、奥さんにいわせれば「もっとハンサムだった」そうですし。

そもそも西郷隆盛、西郷隆盛といわれてるカレですが、隆盛とは本当のところ、カレのお父さんの諱(いみな)こと。つまりカレはお父さんと同じ諱を持つようになってしまった、と。

諱とは、わかりすくいうと「本当の名前」です。普段は秘密とはいわないまでも、軽々しく使うものじゃないです。

日常生活においては隆盛さんではなく、基本的には通り名である、吉之助さん(ほかに善兵衛、吉兵衛などとも)と呼ばれていました。

それらの通り名=捨て印。
諱=実印

ってイメイジです。



最終的には隆盛になったともいわれてますが、カレの諱は最低でもある時期までは「隆永」さんだったんです。公式文書とか重要な書類、手紙の類の場合、(タカモリさんの場合は、岩倉具視への手紙)、通り名ではなく、諱を書いたんですね。

これが本人のサインによると隆永である、と。

それが隆盛(タカモリ)になってしまったのは、隆永さんこと吉之助さんが官位を授かるときに書類を作らねばならない。それには諱を聞かねばならないというのにカレは帰郷中で、船の上にいるので連絡がつかず、代理人が誤ってタカモリと登録してしまった・・・とかなんとか


諱の類は平安時代なんかは辞書にあるとおり、(呪いを避けるため)厳重に管理されてたけど、戦国時代とか、それ以降になるとそこまで徹底管理されてなかったんでは・・・ということがなんとなく透けてみえるエピソードですよね


西郷さん、ほんとに謎の人物です・・・。
by horiehiroki | 2013-09-25 10:00 | 大河ドラマ

先日は辛酸先生にお誘いいただき、レナオール・フジタ展をご一緒できました!
先生と色々つぶやきながら絵を見ていると楽しいです


この展覧会、意外でした

フジタ展と名乗るのならば・・・・・

ネコ推し



乳白色の裸婦推し

のどちらかだと思ってたら、まさかの子ども推しでした。

藤田の子どもって、どんな画なのかといえば・・・

どーーーーーん!!!


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どーん! としか言えないですわ(w

目尻に入ったシャドーが79年の小野みゆきかっていうね。


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フジタの子ども画って、かわいくないですねーーーーーーーっ ってボクは非常に盛り上がってしまいました

フツーさ、子ども描きたがる画家ってってカワゆく子どもって描くじゃないですか。

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たとえばルノワールとか。

で、かわいい子どもの画が上手い人しか、子どもって描き続けられないじゃないですか。

でもこの展覧会に出品された200作品のうちの半分以上が子ども画で、その大半がかわいくないんですよ。

こんなに可愛くない子供の画ってはじめてみた(w
はっきりいいますけど(w

これはいかなることであろう。


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これとか抜群に上手い絵だとおもうし美術的価値も非常に高いと思うんです。
とくにこの少女の後ろの果物。
精密に塗ってると思いきや、印象派以上にザツクリ塗っているだけで、ホントにデッサン上手い人ってこういうのですよね、と辛酸先生とお話してました。

しかし、この少女のカラダと胸の膨らみってどうなんでしょうか。

時をかける少女ならぬ、時を抜ける少女、時を外れてしまった少女、
順番通りにしか本来ながれえない時間の流れの外に飛び出しちゃった少女たちですわ、これ。

永遠性の少女だから、成熟したオンナでもあり、老婆のような狡猾さ、それまで感じられる。

ようするに不穏なんです
子どもの姿をしているだけの「何か」であるのが透けて見えてしまいすぎてるから。

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これも誕生日をむかえた「きょうの女王」と女王に選ばれて招待された子どもたち。そして暗い窓の外にいる選ばれなかった子どもたち。メイドもすべてが子ども・・・。誰ひとりまともには笑っていないという、思えば異様な空間です。

(藤田って赤や黒の使い方がものすごく上手くて、これは日本でずっと暮らしてしまった日本人には出せない赤と黒なんだと思いました。ものすごくオシャレ)


こう描いていくとバルテュスが好んだモチーフ「少女」を思い出すんだけど

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たとえばこの絵の少女。
こういう少女はフジタの作品にはたぶん出てきません。
フジタの描く子どもは、右のカーテンを引いている人物ですね。
カーテンを引いて室内をあからさまな光で満たして、隠しておきたい何かを剥き出しにしてしまう・・・そういう人物。それがフジタの描く子どもなんじゃないでしょうか。

しかもね、乳首がもっとクッキリ描かれてようがなんだろうが、それが性的な何かにならない分、バルテュスの少女画にはないオチつかなさ、気持ち悪さが、波のようにゆんゆん音をたてて見るモノに覆い被さってくるのですよー。

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これってカワイイって一瞬思うでしょう。
このもともと鏡が入っていたという額縁と子どもと覚しき人物が描かれている「から」。
でもよく見てください。

微妙に歪んでる。
藤田の絵ってそれこそ独特の下地を持っており、落ち着いた印象もあるけど、画面が停滞しないのは、人物の顔や姿にシンメトリー性が、ほんとにないんです。

人間って顔の左と右が違うのはよく知られてますが、藤田はホントにこの原則を強調しまくって人物の顔を描くんですよね。

左右対称であるべき宗教画ですらもそうです。


(イエスの顔がとんでもない悪人顔なのはどういうことかって話にもなりました)
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藤田の作品って良く考えれば20世紀も半ば、嵐のように前衛的表現がつぎつぎと追求されてた時期に描かれてたんですよねー。


1~2年の間、100枚近い連作として描かれた「しがない職業と少ない稼ぎ」という、わりと衝撃的なタイトルのついたシリーズがあります。 原題:Pettis Matière et Gagne Petit。
登場するのは子どもたち。例によってかわいくないんですが、彼らが帽子職人とか、医者とか、職人を演じているんです。

この中に「画家」と題した一枚があり、その中で、画家はジャクソン・ポロックみたいなアクションペインティング風の作品を製作中だったり。

藤田は変わっていく美術の世界をしりながらも、また自分の作風も変えながらも、美意識の背骨だけは守りぬいたんですねー。


あと衝撃的だったのは、今回の展覧会では藤田が親しく付き合っていたパリの芸術家たちの作品が展示され、影響関係が一目瞭然だったということ。
初期の藤田、乳白色の肌のグラマラスなオンナたちというテーマを得た瞬間の藤田の作風って、パスキンとモディリアーニとキスリングの作品を足し算したような・・・ そんな印象も受けました。その後、藤田は誰の影響下にもないFOUJITAになっていくわけですが・・・


実に興味深い「気づき」がいっぱいある展覧会でした。
by horiehiroki | 2013-09-19 10:44 | 展覧会

「ももクロ論」

この前、打ち合わせの席で、「ももクロ論 水着と棘のコントラディクション」というご本を頂きました。
内容は清家竜介さん(早稲田大助教授)と桐原永叔さん(「IT批評」編集長)のふたりによる、それぞれ独立した二章からなるご本です。

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アイドル論、ももクロ論ひいては芸能論、現代日本社会論につながる文章で興味深く読みました。

有楽出版製作・実業之日本社から発売中です。

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(世間の考える、ももクロのメンバーのイメージ)


ももクロこと「ももいろクローバーZ」は名前だけ知ってたけど、これまでは「なにやら触れてはいけないカホリ・・・うさんくさい臭」がプンプンとかんじられ(笑)、今回、この本を読むためにヨウツベで応援動画なるものを見た程度、なんですが、うん、本の著者さんのおっしゃりたいことはよくわかりました。

あと、この本にはAKBはももクロの比較対象として出てくるけど、パフュームはまったく出てこないトコ。これが正直いって興味深かった。


(パフュームのメンバー)
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女性が女性のアイドルに対して感じる感覚と、男性が女性のアイドルに対して感じる感覚はかなり離れがあるようですね。

連続テレビ小説「あまちゃん」にも、「(アイドルが)ださいくらい(のことは)、我慢しろ!」ってアイドルになることをイヤがりはじめたユイちゃんに、アキちゃんが憤慨するシーンがあったけど、

アイドルとは、ださくあるべき

ものだと感じます。


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(「あまちゃん」内に登場した、”ご当地アイドル”「潮騒のメモリーズ」)



というか

アイドルとはださいものだ

っていうテーゼが確実にあるんだと思う・・・すくなくとも日本社会において。

パフュームって、声自体がピッチ操作されてる以上に、色んなトコでアイドルにもっとも必要な「ダサさ」が去勢されてますよね。ダサさが抜き取られ、念入りに再創造されて、振付だのなんだのに付与されてる感じ。

だからこの本の文脈ではパフュームはアイドルじゃなくて、アーティスト<パフォーマーなんだろうと思います。

アイドルってたぶん少女のほっぺとか、眉毛のまわりの産毛的な存在そのものであり・・・そうあるべき・・・・とかなんだとおもいます(笑)

たとえるなら。たぶん余分を極めた存在だと

アイドルは歌手ではなく、アイドルでなくてはいけない。

だからアイドルは歌は下手でよいし、踊りも一生懸命やってる程度でいい・・・んじゃなくて、一生懸命が透けてみえないアイドルはアイドルとは呼べないのですね。

っていうことなんだとおもう

アイドルっていうのは、子どもが小さな大人として機能しなきゃいけなかった近代以前の社会には存在しなかったとおもうんです。

近代、近現代、現代・・・となればなるほど、(増えていった中流以上の家庭の)子どもにはモラトリアム期間が与えられた。その結果生まれたのが日本でいう若衆・女衆の文化ですわ。そこの文脈の現代的な結実が、日本のアイドルであろう、と。

そしてこの本をくださった有楽出版のSさんによる

男性にとってのアイドル像(清純、かわいい、守ってあげたい)
女性にとってのアイドル像(不幸、したたか、大人のおもちゃ)


・・・というまとめは非常に刺激的でした。

今回は、男の網膜とか皮膚感覚では女に感じられてる何かを感じることはできないのだ・・・とかそういうことではなく、ですよ。


この相反する二つの要素を兼ね備えた少女こそ、ホンモノのアイドルだということです。

平均年齢10代前半だったかのももクロに対するぼくの感じた「手をだすべきではない」「触れてはいけない」というのは、この手の若い少女が商業ベースにのっかって笑顔を作ってきた伝統へのちょっとした違和感からでした。

でも結局、動画を見てみると、そういう従来のローティーンのアイドルたちとは全然ちがうパフォーマンスが繰り広げられていた。ももクロはたいへんメッセージ性のつよいアイドルです。あなたがスキなの♥ とか、お客さんを疑似恋愛に陥れるような構造にはまったくなっていない。

ぎゃくに子どもであることを全面にだし、子どもというヨリシロをつかってしか生まれ得ない、特有の神懸かりなオーラが飛び出てるんですよね。



コココ コーコ コッコッコー
コココ コーコ コッコッコー
コココ コーコ コッコッ コッコッコッコッコー
コーコ コーコ☆ナーツ
コココ コーコ コッコッコー
コココ コーコ コッコッコッコーー
コココ コーコ コッコッ コッコッコッコッコー
コココココココ コココココココ
ココ☆ナツ ココ☆ナツ



って・・・・呪文ですし。


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これとか。神がかってる。色々と。


だから、ももクロは、男性/女性の見るアイドル像の二つをあるいみ兼ね備えてるだけでなく、軽々と飛び越えてるのも分かりました。
おじさん世代が安心して(?)スキになれるってのもよく分かる。


ちなみに、男性/女性の見るアイドル像、これをがもっと露骨に、いや完璧なカタチで現れてるのって二次元、アニメの世界ではないでしょうか

前々から、なんでアニメの登場人物ってあそこまで家庭環境に恵まれてない人が多いんだろう?っておもってたんですが。たとえば綾波レイであったり、「魔法少女まどか☆マギカ」の人々ですよ。


男性にとってのアイドル像(清純、かわいい、守ってあげたい)
女性にとってのアイドル像(不幸、したたか、大人のおもちゃ)


これらをナチュラルに兼ね備えてる感じ。

魔法少女~ こと「まどマギ」が自分はかなりハマって見てたんだけど、残酷な運命の中で彼女らの闘う姿(キャラごとのカラーわけがももクロっぽい)ってほんとに神々しいんですよ~

ヨウツベでももクロ見てたら、まどマギも見たくなったですわ。
でもまどマギは”一つの完成系”であるのに対して、ももクロはつねに発展途上。ここらへんが彼女らを応援したくなる魅力のひとつなんだろうと。


彼女らは魅力的ではあっても、性的でありすぎてはダメなんですよね。(一部のファンむけの商品になってしまう)

女性のアイドルは未完成でなくてはいけないから・・・・逆にいえばけっきょく、いつまでたってもモラトリウム的存在でなくてはいけない。「女」になってしまうと神って下りなくなるんだとおもいます。

この本の中でも中世以来の日本の歴史における芸能者の伝統につらなるであろう、ももクロの面々について考察が加えられていますが、芸能って、現実社会の中で現実的な価値を与えられない、与えられてはいけない
存在だとおもうんです。
このあたりの文脈が現代のアイドル・ももクロに繋がるんだとおもう。いわばプロの少女。少女であることのプロ。

そこらへんが男のアイドルとは根本的に違うんだろなーって思いました。

この本の中にも「(水着がNGである、ももクロの面々)性的な目で見ることに対する罪悪感がファンの中にもある」という一節があったけど、たしかに爆発的なエネルギーを発する彼女たちの・・・・・・巫女とかなんとか神懸かり的な要素を失わせるものがそういう性的な眼差しなんだろう、と。
彼女たちは穢れなき若さ、そのものなんだよねーと。

だから、完全にアイドルでありながら、同時に、既存のアイドルの殻には閉じ込められない何かに成長していっている・・・ような不思議な状態が生まれてるんだと思います。


今年の4月に発売されたアルバムは、PVだけ見てると、この本でも指摘されるとおり、棘のついたマスクを被っていたり、ちょっとアヴァンギャルドで比較的オトナっぽい感じでしたけど(たとえば、前山田さんの提供した楽曲に顕著な、ポンポンはずむようなリズムがカットされてる)。


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(さいきんのももクロ)

表面の変化に対し、その表面をいかに受け入れるか。・・・というようなお話も色々とされていました。
ファンは大変だなぁ(笑


余談ですが、パフュームの新曲も今頃ききましたが、これまでのパフュームの楽曲に顕著な、ハウスミュージック的な、四つ打ちでみぞおちにボンボンいってるリズム音が抑えられ、メロウな印象がうまれていたのはと面白かった。パフュームはどんどんメロウになっていってますよね。


そして・・・
これを書いていってる時、最近読んだ「スタッキング可能」という小説の内容が思い出されてしかたありませんでした。

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松田青子さんの力作です。

会社員を演じている人々(多かれ少なかれ誰もがそうだろうけど)をぱきぱきした文体で表現しています。ギャグっちゃギャグ、毒っけある内容といえばそうなんだけど、むしろ淡々と、それらをほの明るく表現。”乾パン”みたいな読後感です。

この中で「女であること」に対する部分はおもしろかった。

会社にいるときくらい、女であると痛感させなくてもいいじゃないか、というような


自分が”女”であることを女が持て余す・・・そんな飽和の時代なのかもね、と。

”少女”について書いていて、思い出しました。また機会あればレビュー書きます
by horiehiroki | 2013-09-17 03:35 | 読書

はいはいはい。

台風ひどいですねー

1週間で1回しか更新しなくてごめんなさいー。

こちらも若干ひどいですねーw

わざわざ見に来てくれてるのにスイマセン。

またもう少ししたら素敵なお知らせができると
思いますので、その時はよろしくです!

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で。

いきなり「今日は一緒に寝ましょう!」っていわれた後、いつのまにか朝になってて、のみならずベッドからネグリジェ姿のジョーを蹴落とした音でお目覚めになり・・・と展開はあいかわらずアレですが、めっきりホームドラマっぽくなってきた最近の八重ww


男性用ネグリジェってスリーパーっていうらしいですけど。
これまで何度もツッコミいれながら見てたけど、書くには到らなかった。
でも今日これを書かずにはいられない。


このネグリジェがジョーのヒロイン力を養っているのか。
(ちなみにボクも小学生のころ、腹がパジャマでは出ているという理由でアレで寝ていました

先週は八重さんのヒロイン力がグッと上がったって話したけど、今回は号泣しながら「歩みが遅くてもいいんです!」とか言ってるジョーのヒロイン力の強さの前に、八重さん霞みまくってましたわ・・・

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八重さんってつくづくみんなの「お母さん」なんだなって思いましたですよ。

・・・・いや、24時間目が潤んでるジョーが母性たれながしてるから、八重さんはそれを見守る母の母・・・ババきゃらってか・・・汗


でも洋服着るようになってから、すごく可愛いんですよね、八重さん。

エプロンみたいなデザインのこの服、かわいい(w

八重さん、「ジョー」と呼べといわれて驚くの巻

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要するに夫婦は対等であり、云々という封建時代の日本ではありえなかった、洋風の生活文化を実践して見せたかったんだけど、それに物凄く反発する人々は多かった、と。その中に通称熊本バンドの面々もいた、と。

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熊本バンド【くまもとバンド】

日本のプロテスタントの源流の一つ。熊本洋学校(1871年肥後藩が設立)で米国人L.L.ジェーンズの感化を受けてキリスト教に入信し,のち同志社英学校に学んだ人々の集団をさす。彼らの多くは1876年1月熊本の花岡山で<奉教趣意書>に署名したが,それが熊本洋学校の閉鎖(同年10月)につながる事件となり,その後は同志社に学んだ。浮田和民,海老名弾正,金森通倫,小崎(こざき)弘道,徳富蘇峰,横井時雄などが代表的である。彼らはキリスト教を近代国家建設に不可欠な精神的基礎であると考え,日本組合基督教会の指導者として活躍した。



・・・だそうです。九州の一徹モノ、じゃっかん怖いです。



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いまの九州の子ってたしかに我は強いし、わたしがわたしがアピールも他県にくらべて強く感じるのは事実だけど、ココまでの人は減ったなぁーーーって思いました。
泣いても泣かなくても男らしいかどうかを考えるとか(w

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聖書の記述である「(世界&生き物&人類誕生)6000年前」とは、宗教的事実
一万年前(あるいはそれ以上も前)から文明が存在したエジプト」は、歴史的事実。
この二つは次元のちがう真実なのです、

という解説は現代(日本)だからこそ出来るっていう話。

19世紀の基督教会は科学文明の発達と闘わねばなりませんでした。


昔みたいに聖書の記述とことなる「それでも地球は回っている!(動いている)」なんて主張を唱える科学者ガリレオを破門させると脅せばなんとかなるって話でもなく。

たとえば、今日のドラマの時点で、ダーウィンによる進化論のベースである『種の起源』は1859年に出版された後です。

科学的事実、歴史的事実と宗教的事実の葛藤は長らく続いておりました。


熊本バンドの面々は、熊本洋学校ないし、宣教師である教師の私邸でのレッスンで高い学力を得てたんですねー。語学力もある。
聖書を学ぶというのはそういう辺りの新知識とどう向かい合うか、宗教者を目指すのであれば、その方策を絶対に得たいとおもっても仕方ないかな、とは思いますが・・・・ナマイキです(w


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なお、中村蒼が演じてるのは思想家・政治家になった徳富蘇峰の少年時代。

徳富蘇峰【とくとみそほう】 1863‐1957(文久3.1.25‐昭和32.11.2) 新聞人・文筆家。本名猪一郎。熊本県生れ。蘆花の兄。熊本洋学校,同志社に学び1880年中退。帰郷して自由民権運動に参加し大江義塾を開設。86年「将来之日本」出版,87年民友社を設立して雑誌「国民之友」発刊,90年「国民新聞」創刊。平民主義を掲げ言論界をリードしたが,日清戦争を機に強硬な国権論・国家膨脹主義に転じ,以後体制派言論人の雄として大正デモクラシーの潮流に対抗,15年戦争期の国民動員に指導的役割を演じ,1942年大日本言論報国会会長に就任。敗戦後は公職追放されたが,「近世日本国民史」(18‐52)全100巻を完結,生涯300冊前後の著作を残した。43年文化勲章受章。

岩波日本史辞典CD‐ROM


平民主義→右傾化。

「 君 しにたもふなかれ 」の与謝野晶子もこういう路線を辿りましたねー。



彼は小説家・徳冨蘆花の兄です。

徳冨蘆花【とくとみろか】
1868‐1927(明治1.10.25‐昭和2.9.18) 小説家。本名健次郎。熊本県生れ。蘇峰の弟。同志社に学び,1889年,兄の民友社に入る。下積みを経て,98年から「不如帰」を発表,大反響を呼んだ。ついで教養小説的な「思出(おもいで)の記」,清新な自然スケッチ「自然と人生」が名声を博した。1905年,富士登山中に人事不省に陥り宗教的傾向を強め,07年に東京府下千歳村に移居して半農生活を開始。大逆事件に抗議し,「謀叛論」で独自の社会観を示した。伝記小説「寄生木(やどりぎ)」や,田園生活の記録「みみずのたはこと」,自伝「冨士」4巻などがある。〔全集・20巻・1928‐30,日記・7巻・85‐86〕



この二人は二人とも同志社英学校中退だそうですが・・・

彼の不如帰 (ほととぎす)。えらくウケた小説です。

が、現在ではあんまり読んでる人って見たことない。

ぼくもぶっちゃけ、今日はじめて原文に触れましたが、が、なんだか戯曲みたい


おほほほほほ ってw

オンナってこういう風にはホントはヘラヘラしてませんがな


オンナがヘラへラしてますのは意中の殿方(しかもそういうのが好きな殿方)の前だけでおますえ
by horiehiroki | 2013-09-16 02:04

放送第35回(レビューは1回とんでるので34回目ですが)

「襄のプロポーズ」あらすじ

八重(綾瀬はるか)は、襄(オダギリジョー)からの突然の求婚に戸惑っていた。
 そんな八重のもとに、時尾(貫地谷しほり)が藤田五郎(=斎藤一・降谷建志) を連れてやって来る。幼なじみとの再会を喜んだ八重は、さらに2人が結婚したことを聞いて驚く。
 しばらくして、東京で裁判を受けていた尚之助(長谷川博己)が肺病で死去したという知らせが届く。襄は悲しみに暮れる八重を人力車に乗せ、八重の弟・三郎(工藤阿須加)が「鳥羽・伏見の戦い」で戦死した場所に連れて行く。激しく動揺する八重に、襄はこの場所に連れてきた理由を話す。襄の優しさに触れた八重は、彼のプロポーズを受け入れる。


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35回目「襄のプロポーズ」。

ついに八重さん本人に、たぐいまれなるヒロイン力が光りはじめました(w

これまでは、男性のほうがヒロインっぽかったんですけど、今回はついについに八重さんが名実ともにヒロインレースのトップを飾りました

すべてがすべて、じぶんの背中をおしてくれるのはドラマのヒロインだけでございます。
そのヒロインパワーをまざまざと見せつけられたのでございますw
「死者はもうどこにもいかない あなたと共にいて あなたを助けてくれる」というジョーの言葉は、色んな人を遠くで、近くで失ってきた八重さんの心の奥にまで届いたんだろーなーーと思いましたです。

尚之助さんの声まで聞こえてきましたけど、実際ああいう夫婦だったのかもなー

自分から相手が巣立っていくのを見守れる(元)恋人って一つの完成された関係だといえるとおもいます。
一生一緒にくらしましたとさ! だけが、二人にとって一番よいかどうかなんて分からないもんって最近思えてならないわけです


藤田さんに改姓した、例のドラゴンアッシュの人が紺色の手袋(よく、商人のおばーちゃんが付けてるアレみたいなヤツ)をつけてて、うまいこと(手のタトゥー)誤魔化すなぁー・・・・・ってスタッフの工夫に感慨無量だった(w

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放送第36回(レビューは第35回)

「同志のちかい」あらすじ

襄(オダギリジョー)の求婚を受け入れた八重(綾瀬はるか)。しかし槇村(髙嶋政宏)は、キリスト教徒である襄と婚約した八重を女紅場から解雇しようとする。キリスト教に入信しないことが雇用継続の条件と迫る槇村に、八重は夫の考えを認めて支えていくことを宣言。そして、教え子たちに後ろ髪を引かれながらも女紅場を後にする。
 一方、中央政界から離れた西郷(吉川晃司)は、薩摩に戻る。彼が地元で開いた学校には、職を失ったことで日本のありように不満を持つ士族たちが集うようになる。
 1875(明治8)年11月、ついに襄の同志社英学校が開校。その翌年1月、デイヴィス邸で洗礼を受け結婚式を挙げた八重と襄は、新しい生活を始める。

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現在では、関西一の名門私立大学(のひとつ)・同志社がここまで苦難の道のりを経て設立されたとは知らなかったんでビックリしました・・・


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英語の教材として聖書ってのはよく考えたなぁって思いますけども。

ただし、キリスト教の宣教者にとって、この手の苦難は信仰が試されるよい機会だから、どうやってでも(金だして買ってでも)経験したかったんだろうなぁとは思いますねw

女紅場を結婚する相手の信仰の理由で追われる・・・というのは、宣教師の妻が仏教徒でいられるわけもないという理屈かと。しかし、当時、必ずしもキリスト教は禁止ではなくなっていました。

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この辺りを歴史的に調べてみますと1868年、明治政府は最初の禁制、つまり国民がやってはいけないことを公開します。この中に、太政官の名で立てられた合計5つの”看板”がありました。

「五榜(ごぼう)の掲示」 とよばれるものです。教科書でならいましたねーー・・・


第1札は五倫の道徳を守ること,殺人・放火・強盗の禁止
第2札は徒党・強訴・逃散の禁止
第3札はキリスト教の禁止
第4札は外国との交際は万国公法にしたがうこと。外国人への暴行は禁止
第5札は士民の本国地からの離脱を禁止している。


キリスト教禁止は、この第三番目にあたってますね。

また、この年、神仏分離令が出されました。こうして、天皇の祖神であるアマテラスを祀る神道を国教とする神道国教化政策が(半ばキリスト教に対抗するカタチで)推し進められます。


神仏分離令が出るまで、明治以前には天皇家は神道だけでなく仏教も信仰してたんですが、とにかく皇室の権威付け政策の一つですね。
ちなみにこの分離令で廃業せざるをえなかった寺の坊さんが神主に転向するなど、いろんなことがありました。またこの時、仏像が破壊されるというような事態も起きています。日本人はなんか集団になると過激ですなー

ところが1873年には早くも欧米諸国が、開国して文明開化をうたってるのに江戸時代のまま、キリスト教は禁止というのはいかなるものかと反対をみせたため、キリスト教は禁止ではなくなりました。
一方、神道は国家権力から特別な庇護をうけ、いわゆる国家神道に変貌していくのでした。



国家神道【こっかしんとう】
近代天皇制国家の下でつくられ,そのイデオロギー的基礎となった祭祀中心の神道。維新期の神道国教化政策において,神社神道は政府の保護・統制下で皇室神道と結合され,国家の存在理由を担った。1882年宗教と祭祀の分離が行われ,一部有力講社は宗教である教派神道とされるが,神社は国家の祭祀を行う非宗教的な施設と位置づけられ,伊勢神宮と別格官幣社を中心とする国家神道の制度が生れた。神社への参拝は,国民の教化・教育上で奨励または強要された。第2次大戦後の神道指令で廃止。

岩波日本史辞典CD‐ROM



・・・・・ということで、八重さんが女紅場をクビになったのは1875年。いちおうキリスト教は禁止ではなかったはずなのに(部分的な布教が認められていたのに)、「偏見」は根強かったんですねぇー。現在でも日本におけるキリスト教信者は1%程度で、他のアジア諸国にくらべてもかなり低いんですよね・・・
鎖国してたのは中国も韓国も同じなのに、どうして日本はここまでキリスト教を嫌ったのでしょうか。
ザビエルが日本にキリスト教を布教したときは、一般大衆からここまでの反発は無かったんですよね。

色々な理由はあるかと思うんですが、キリスト教を文化的侵略の象徴として(本能的に)捉えてしまった・・・というのがおおきいようですね。

根底には欧米諸国に日本は絶対に負けるか! という意識があったんだと思います。

布教が・・・・それこそ、たとえば新島襄は密航でしたけど、アメリカに薩摩から派遣されたエリート留学生・森有礼など、そういうエリート様たちのグループによって成されたという点も、伝統主義・国粋主義(攘夷がカタチを変えたもの)の人々には溜まらなくイヤだったでしょうし。

内村鑑三など、明治期にはキリスト教系知識人が生まれていますけど、特に内村などは「武士道(思想・文化)に接ぎ木したキリスト教」・・・つまり、日本人による日本人のためのキリスト教を作ろうと考えていたようです。

で、もう一つコメントしておきたいのは、八重さんの白いドレス。

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現代日本では(ビッチほど純白なドレスを着たがるという傾向があるそーですが)、ウェディングドレス=白という文化圏にわれわれ日本人は属しております。白無垢の着物を花嫁は着るという伝統だから、ドレスも白・・・というような発想もあるんでしょうが。
この白いドレスが全世界的に流行したのは、イギリスのヴィクトリア女王のロイヤルウェディングが原点だったなーんて説があります。
実際、それまでは、王侯貴族は結婚式に白なんてドレスを着ることは無かった、と。
なぜなら何にも染めてない白い布地は安いからです。
ただ、王族にうまれたヴィクトリアは自分より、身分的には格下である貴族の男性・アルバートと結婚しているんですね。
彼女はとにかく人を自分の陣営に引きずり込んで味方にしたい欲求の激しい人でしたから、わたしは身分としては国王ではあるけれど、国民のみなさんと同じ一人の女にすぎないんですよ♥
みたいな主張がしたかったんだとおもいます。
ロイヤルパレードも初めて彼女がしてますしね。
ちなみにフランスでは現在でも黄色とかクリーム色のドレスのほうが流行りともいいます。

そういうこういうで、八重さんのウェディングドレスが白っていうのも、実際はどうかしりませんが、ありうるなぁーーーーー・・・と思ったり。

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ファッションとしてのキリスト教式じゃなく、こういう信仰あってのキリスト教式、白いウェディングドレスってステキですね♥

最近、八重さんが役の年齢もあってわりと老け込んだ着物の柄なので、ひさしぶりに華やかでよかったです。そしてやはり美しい。

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ジョーがとてもいい男性である。
こういうのをみてると、夫婦はいても、パートナーとしての夫婦とはまたちがった日本の伝統的な夫婦のイメージに新しい歴史をもたらした・・・って考えてもイイ気がします。

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◇◇◇堀江宏樹の新刊もよろしくおねがいしまーす◇◇◇

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百人一首 うたもゑ

(日本じゃ)世界三大美人なんていわれてる小野小町。でもずっとモテる、恋をし続けるということは、あるいみ「たったひとりの誰か」に出逢えてないってことなんです。平安時代、百人一首に収められた歌人たちの歌をベースに展開する、絵空事ではないリアルにして美麗な恋愛絵巻まんがですー。

藩擬人化まんが 葵学園


大河ドラマでもそうですけど、江戸時代はなぜ「ああいう社会」なのか? なんで現在でも県民性は「ああいう風」に存在してるのか? …みたいなことが漫画+文でザックリと理解できます☆

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by horiehiroki | 2013-09-10 10:20 | 大河ドラマ